「仏様が見てるよ!」

私と妹が通った幼稚園はお寺が母体の幼稚園でした。

園長先生はそのお寺の住職さん。

幼稚園の入園セットの中には「おじゅず」が入っていて、男の子は青色、女の子は赤色でした。

お寺の幼稚園と言うことで、クリスマス会がない代わりに節分や雛祭り、七夕を盛大にするところでした。

園庭には「しんらんさま」の銅像があって、朝と帰りに手を合わせて親鸞様にご挨拶をするのがルール。

各教室にも「ほとけさま」がお祀りされていて、ここでも入ったら「ほとけさま、おはようございます」とごあいさつ。

お弁当の時間も、「ほとけさま、いただきます。せんせい、いただきます。みなさん、いただきます」と言ってから食べ始める。終わりも同じ。

帰りもクラスみんなで「ほとけさま」にごあいさつ。その後先生、みなさんです。

月に一回「ぶっさん(仏参)」というのがあり、遊戯室にみんな集まってお数珠を持って園長先生の読むお経を聞く時間がありました。

年に一度「ありがとう祭り」というのがあって、「普段使っているものにも心があるから、感謝の意味も込めて今日はそのものたちは使わないで遊ぼう。さいごにはみんなでありがとうの手紙を送ろう」というお祭りでした。

こう書くとすごく宗教色、洗脳色の強い幼稚園に見えますが(笑)、近所でもすごく評判のいい幼稚園でした。

普段は自由に子どもを遊ばせることに注力し、やりたいことは本人が納得するまでやらせてくれる。

でも、悪いことをしたらしかる。お友達とけんかした、ものを大事にしなかった(物にも魂が宿るという考え方ですね)、などでしかられます。当たり前のことですが、その時の言葉が私や妹の言葉に今でも残っています。

「先生がみてなくてもね、お友達が見てなくてもね、

仏様が見てるよ!

仏様はどこにいてもknkちゃんを見てる。あ、あの子は悪い子だ、じゃあもういいことはあげないようにしようって思われちゃうよ?先生はknkちゃんが仏様に嫌われたらいやだし、仏様もしたくないよ?これが何でいけないことかわかったら仏様に謝りに行こう?」

どの先生も同じことを言って、叱られた子たちは仏様に謝りに行っていました。

この「仏様が見てるよ!」は今の私にも大きな影響を与えておりまして、何かあると「あー仏様がみてるのに…」と思ってしまう。卒園からウン10年経ってもたまに思い出す。おかげで悪いことはできないなと擦り込まれたかんじ😅


他にも、法事に連れて行かれた時に、わたしも妹も小さいのに「マイお数珠」持参な上に、座ってお経聞くのもへっちゃらなので親戚のおじさんたちに褒められたことがありました。祖母が毎晩夕食前にお経を読む習慣があるのですが、一緒に読んでみたり。

メキシコ時代に敬虔なクリスチャンのご家族にお世話になっていて、興味本位でクリスチャンの聖書の勉強会に行ったことが何度かあるんですが、クリスチャンを否定しないけど、やっぱりわたしには仏教だなぁと再確認したことがあります。彼らにも最後に「クリスチャンに改宗しない?」と言われましたが、「ごめん、ここで一緒に勉強して、尚更自分は仏教徒だという意識が生まれた。キリスト教も素晴らしいけど、わたしは改宗できない」と断りました。

三つ子の魂百までというか、幼稚園教育って大事なんだなぁ。と今でも思います。

ちなみに、この幼稚園は小学校と隣り合っていて、卒園した子の9割はこの小学校に行くので、小学校入学後もしばらくはみんな「仏様…」と言ってしまっていました。笑

その後はわたしも妹も普通の公立学校を卒業して今に至ります。


忘れられない言葉

「仏様が見てるよ!」

でしたー。





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