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なぜこの仕事を続けるか

こんにちは。日本語教師knkです。

今日はなぜ私がこの仕事にしがみついているのかをちょっと考えてみます。

このページを見てくださる方は多少この業界のことはご存知かと思いますが、

この仕事は超薄給です。 

お金稼ぎたい人には絶対やめろと言います。

私に子供がいて、この仕事したいと言ったら全力で止めます。

理由は簡単

日本語を勉強する人が世界的に見て圧倒的に少ないから、かつ、勉強する人は途上国の人が多いから。


水道(お金)の蛇口(出どころ)が小さいのでそんな大量には出てきません。

先進国で日本語を勉強する人ももちろんいますが、比率が圧倒的に低い。彼らの中での市場価値が低い。

で、無いものは無いけど人は来るので教える人も必要なわけです。

そのために経営は必要。じゃあどうする?

そこで、少しでも経費削減のために非常勤講師が蔓延してしまいます。

つまり非常勤講師(非正規)が中心の世界。

非正規でも、一つの学校でガーっと授業させてもらえればまだ生きていけますが、大多数の先生は学校内の空いた枠を埋める感じ。

じゃあどうなるかというと掛け持ちが必要。

掛け持ちすると一校で「枠が空いたんだけど入らないー?」と言われてももう一校とかぶる可能性もあるのでNOと言わざるを得ないこともある。

なので「週にこの日だけでもいい」とか言ってくれる新たな人を雇うと。

で、稼げねーからやめるわこの仕事!割りに合わん!と若手であればあるほど消えていきます。

しかも学校によっては5年働いてやっとコマ給10円アップとかよく聞くからね。

ちなみに、専任の先生は安定してはいますが総じて高給とは言えない上に、授業以外の業務が膨大でこれまた頭が下がります。それを好きとされる方、得意とされる方はとても楽しそうですよ。

しかしそれにしても悪循環ですねー。Win-Winどころかlose- loseじゃない?

しかも、政府の方針やら外交政策やら最近のように流行り病などの影響によって留学生やら入国してくる外国人の人数がギュッと減ったりすることなんてザラです。

日本で大地震が起きるたびにやってくる留学生が減っちゃう。

と、ここまで書くとこの仕事いいことまるで無いですね。

ちゃんといいことも書きますね。

あくまで私の場合です。大事なことなのでもう一度言います。

あくまで私の場合です。


私がそもそもこの世界に舞い戻ったきっかけが、「大手塾が新規で手掛ける開校したばっかりの日本語学校で働かぬー?」という声がかかって、その時に現校長と面談する機会があったのです。フツーのカフェで。というかタリーズで。そこで

校長の考えに賛同したから。

上記の日本語学校あるあるに辟易されてた校長が「僕も色々学校見てきてね、もう嫌なんですわ。だから少なくとも自分が作る環境では働きやすい、教務が教務の仕事を蔑ろにして学生管理に駆け回るような学校じゃなくて、離職率の低い日本語学校を作りたいんですが協力していただけますか」と言われて、詳しくお話を聞いたらすごくビジョンが明確だったから。以前の投稿で書いたの通り私は専任の道は断たれましたが、このときは少なくとも同じ意見でした。

で、ありがたいことにそのままサラッと採用されまして(それまで何十校、何十社と落ちたのが夢のように)、枠がとにかく余っていたので「入れる限りよろしく!」って感じだったのです。もちろん研修もびっちり受けて。

それが今でも続いてる。

いちどすこし減らしてもらいましたけど(パンクしたから)、今はまた元に戻り、厳しい本社の規定のおかげで社会保険完備だし、もう「毎日ここに来る人」扱いされているし、私自身も「生命保険と食費払えるだけの額はください!」と言い続けているのでとりあえず生き延びてます。法律で非常勤講師が一校で働ける授業数の最高まで働かせてもらっています。あと、普通の日本語学校では戴けない残業手当てが出るのでそれも助かる。(長期休暇は給料ないけど、前働いてたところが「いつでも働きにおいでー❤️」と言ってくれるので、休みになるとお邪魔してます。人脈って大事。)

これはある意味すごいラッキーで、お声がかかった時に乗ってなかったらこれだけの枠いただけなかっただろうと思います。

ぶっちゃけ、ここをやめたら次見つかるか?が続けてる1番大きな理由。

これだけの枠もらえないよね?コマ給上がっても週2とかで、社会保険もないよね?またそこから?と思っちゃう。

もっと割がいい他業種に行く手もあるけど、人間関係でまた迷う?

あとは学校が小さかった時から今の人数になるまでの変遷とか、入学してきた時全く話せなかった子が最後大学進学決めたとか見てると泣いちゃうよ?(後者は他校にいても見れます)

しかーしそれでもやっぱり生活はカツカツです。節約に次ぐ節約で、ある意味達人化してきました。

でも、せっかく紹介してもらった学校を辞めたくないなぁと、ブレない校長のより良い学校づくりの姿勢はこれからも見てたいなぁ(遠巻きでええから)が今の学校にいる理由。

この子らやから授業上手になりたいなぁとも思うようになったし。(ありがたいことに、テレビでよく見る留学生失踪とか警察沙汰とかは一件も発生してない)

しかし校長がブレない分、学校側から求められる授業レベルと学生管理レベルは並みじゃないです。知るかそこまで!ってこともよくある。でも

ここ以外で先生する気起きなーい。


って思えるくらいの気持ちにはなったんです。


今、非常勤講師のレベルで校長や教務主任、その他の先生と冗談が言えるレベルの人間は多分私くらいです(敬え)

今日も

校「先生、今度授業見学また入るわー。ええ?」

私「え、あると思ってないけどそこに拒否権はあるんですか」

校「もちろんないよー」

私「じゃあ聞く意味何なんですか!笑」

って言える感じ。

そのくらい居心地がいい。

だからいる。薄給は涙が出るけど、精神的に健康な方が結果得するのは身を持って知ってるので。

とはいえ、いつサヨナラを言われても文句は言えない身分なので、そうならないためにもこっちも必死です。より良い授業を。より真面目に誠実に。

その他、日本語教師最大のやりがいはやっぱり

①いろんな国の人と知り合えて、その国の文化や言葉も知れること

私、ベトナムへ行ったことさえないのにベトナム語を少し覚えました。ハノイ の人とホーチミンの人では性格がちょっと違うことも知りました。さらに多分今ベトナムへ行ったら教え子が誰かしらガイドをしてくれると思います。これはありがたい。

プライベートの時はイギリス、アメリカ、オーストラリア、カナダ、フィリピンの英語を聞きました。みんなある程度コントロールして話してくれますが、やっぱり発音のクセやふとした言い回しは違う。日本語を教えてはいましたが、私のいい英語の勉強にもなりました。


② 外国人は反応がストレート。わかれば顔は明るくなり、わからなければ暗い。つまり、自身の授業力がすぐに実感できることは単純な私には自信につながる。

③ 道で外国人に話しかけられても戸惑わない度胸はつく。笑

戸惑わないけど、梅田のダンジョン(迷宮)を案内できるスキルが日本語でもないので、そのまま目的地に連れていく方式です。

④今EPAでいろんな国から介護士さんや看護師さんを育ててますが、将来自分が介護を必要とした時、多分私ら日本語教師は彼らの伝える日本語を周りよりよく理解できるんじゃないかと期待もしてます。

⑤ 日本自体が潰れても生きていける資格を持ってるって大きいよ。

日本語教師自体は無資格でもできますが、仮に国外に出ようかとなった時に資格は有利に働きます。

留学してくる人は少なくても、日本ファンは案外世界に散らばっています。アニメファンやら何やらで結構います。

スペイン時代、日本にこだわりはないけど、外国語を学ぶことが好きだから教えてという人に出会ったことがあります。鉄ちゃんと語学ファンは世界中にいるんだなと知りました。カフェで教えていたら隣で聞いてた人に声かけられてさらに仕事が増えたことも。

メキシコ時代はバスで現地の子と日本語で話していたら、そのバスの運転手のおっちゃんに「今の日本語!?娘が日本語を勉強したがってるんだけどどうしたらいいかわからなくて困ってるんだ!ちょっとこのままうちに来て娘と会ってくれ!」と言われてそのままバスでお家まで行ったこともあります。(その日本語で話してたメキシコの子が『多分いい人だし、私もついていくから』と言ってくれたので行きました。1人なら怖くてできない)

日本の国力は下がっていても、2位から3位、3位から4位程度、まだ上位です。伝えられる知識はあるはず。

私はこの免許しかないので何かあったらヤベーなとは思うので、今医療のお手伝いができないかと勉強中。他に手に職のある方ならこれも使いながら他のことも海外では可能です。

最後に、自分が教えた日本語を外国の人が使って、自国と日本、またはもっと広いで社会で活躍してく姿を見るのは何か自分もそのお手伝いをできている気がして嬉しいものです。

以上が私がこの業界にいる理由。

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