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25歳、取締役への挑戦。一次産業とスタートアップへの恩返しと覚悟。

▼はじめに

このnoteは、ひとりの若者が農業に育ててもらったこと、転職でスタートアップに入ったこと、取締役に任命いただいたこと、そしてこれから先のことを記したものです。キャリアを考えるひとつの材料になったらいいなと思います。(例のごとく長いです)

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▼自己紹介

はじめまして。「食べチョク」を運営するビビッドガーデンのマーケティングの責任者をしている松浦です。プロダクトのグロースなど、幅広く事業全体のことを担当しています。本日付で、取締役になりました

「食べチョク」は、農家さんや漁師さんから直接食材やお花をお取り寄せできる、No.1の産直ECサイト*。生産者のこだわりを知った上で購入でき、直接あたたかいやり取りを楽しめるマーケットプレイスです。

* 調査実施機関:マイボイスコム 詳細はこちら


▼これまでのこと

私がなぜこの会社にいて、何をしてきたのか、まとめてみました。

[1]高校生まで

歴史好きの松浦少年は、小学生で司馬遼太郎の作品に出会い、以降大量の書物を読み漁るようになります。中高キリスト教系の学校に通ったこともあり、「なぜ生きるのか」「世の中に対してどのように関わるか」こういったことに非常に興味があった子供でした。非常に恵まれた環境にいたこともあり、勉強は比較的できた方で、中学受験や大学受験では、まわりの同期と並び模試で名前が載ったり載らなかったりを楽しんだこともありました。いわゆる進学校から一橋大学に進学。高校2年生から行きたいと願っていた「社会学部」に進みます。


[2]大学生

大きな転機が訪れます。たまたま縁があり、農業サークルぽてとという大学生団体の副代表になりました。その後自身でも各地をまわるようになり、また、ぽてとの創始者の森田と畑を借りて農業に取り組んだりとする中で、一次産業への想いを強めていきました。

一方、大学三年生で「スタートアップ」とも出会いました。渋谷のマンションの一室を借りて縫製業界の変革に取り組む企業でのインターンを開始、卒業までに四社でインターンをすることになりました。EC運用・SNS・事業の立ち上げ・リサーチと色々なことを勉強させていただきました。

そして、学部の勉強の中で「社会を科学すること」の考え方を学び、世の中の様々な課題へのまなざしを育むことができました。貴堂ゼミでよかった......

こうした中で、「自分の人生の目指す方向」「どんな社会に向かって貢献していきたいか」が明確になりました。これは社会人になった今でも全くブレていないので、大切にしていきたいと思っています。

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(大学の文化祭にて。100人を超えるサークルに拡大。写真右が森田。)


[3]就職と転職

上記の森田とのプロジェクトの中で、自分の力不足を痛感し、一度一次産業とは遠いところで修行しなければと考え、就職活動をしました。ありがたいことに外資から日系、事業会社からコンサルティングファームなど、6社ほどから内定をいただき、外資系のIT企業に就職することとなりました。その部署は(たしか)アジアでも初の新卒採用となり、かなり親身に様々なことを教えていただきました。Diversity&Inclusionを大切にするカルチャーが大好きでした。「仮想化」という最先端のテクノロジーに触れ、ITの世界の基礎の基礎を学びました。

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(Pechakuchaという社内イベントで話す機会をいただきました)


転職のきっかけは突然でした。2018年の西日本豪雨。自分の周りの農家さんも、Facebook上でかなり悲痛な声を上げていました。数年後に実力をつけてから、まずは副業でどこかに入って、というふわふわしたことを考えていた自分にとって、キャリアを考え直す大きなきっかけとなりました。

一次産業には時間がない

そんなこと大学四年間でわかりきっていたと思っていましたが、初めて現実として目の前に突き付けられた感覚でした。ちょうどそのタイミングで、在学中インターンという形で関わっていたビビッドガーデンの代表秋元と再会し、その強烈な想いと覚悟に胸を打たれ、入社を決意します。「私は今すぐに、この会社とともにすべてを捧げて業界に貢献したい

しかし、進学校から国立大、外資とはいえ本社はかなりの大企業に進んだ自分が、まだ一年もたたないうちに転職することで、たくさんの方からご指摘をいただきました。大切に育ててもらった恩義に対して、その仕打ちはどうなんだという意見をいただきました。この際に多くの方の信用を失い、愛を裏切ったことは、いまの自分の仕事に対するスタンスに大きく影響しています。ビビッドガーデンを成功させないことには、当時の多くの大切な方の想いに応えられない。

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(入社当時はこれだけしかメンバーがいませんでした)


[4]ビビッドガーデンでのキャリア

入社したのが、会社としてマーケティングに注力していきたいというタイミングで、未経験ながら挑戦することになりました。①そもそもマーケティング的な考えとは何か ②具体的にどうやるか に分けて、大量に本を読み、記事を読み、イベントに行きました。

もちろんその間も事業は止まらないので、かなりの予算・工数を非効率に使用したと思います。本当に代表の秋元には頭が上がらない......

何人も業界のエキスパートな方に師匠になっていただき、必死に学びました。Google Analytics、各種広告媒体の立ち上げと運用、マーケティングオートメーションのシナリオ設計、Social戦略、オウンドメディア、TV CMと実際に手を動かして習得していきました。

ベースとなる部分についても、スプレッドシートの扱いや、SQLでデータを引っ張ってくること、Figmaでデザイナーさんとのやりとりなど、何もかもが未経験・冒険

気が付いたらビジネスサイド全体を幅広くカバーするようになり、事業全体をどうやったら伸ばせるかという視点で考えるようになりました。必要なときに、必要なところをやるのが自分の役割になり、全体のバランス感を見て、柔軟に動いていくことが求められるようになりました。


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(社員数名で那須の生産者さんたちにお邪魔しました。現場に足を運ぶことを重視しているため、社内のだれよりも畑に行くようにしています。)


▼農業への想い

さて、私の見える世界を劇的に広げてくれた一次産業、特に農業についても書いてみようと思います。

特に大学四年生になってからは、全国の(時に海外の)たくさんの畑に行き、実際に手伝いをさせていただき、たくさん飲み、たくさん話しました。社会人になってからも「援農(農業ボランティア)」は続けており、多いと毎週のように週末畑に出かけています。

企業の人と接点が多かった大学四年次、生産者の方々との出会いは強烈でした。会社勤めのビジネスパーソンとは全く違う価値観に、ただただ衝撃を受けました。

ひとしきり作業をして、夜によくよく話を聞いてみると、なぜ農業をやっているのか、何を目指しているのか、何が嫌なのか、何を変えたいのか、強い想いを持っている方にたくさん出会いました。"How"や"What"の議論が多い中で、天下国家のことを論じる経験はなかなかなく、自分の中の"Why"を強く問われたのは、農家さんたちと会ってからかもしれません。

「曲がり曲がって真っすぐ」

青森のリンゴ農家の方に、そんな言葉を教わりました。毎年の剪定の際に、一見綺麗ではないけどちゃんと良く実を残す枝を残していくと、その時はジグザグに見えるかもしれないが、数年後振り返って見ると綺麗に一本の道になっている、といった内容で理解しています。私はちゃんと最適な選択をできているだろうか。悔いのない真っすぐな生き方をできているだろうか。こうした問いかけをくれるのはいつだって生産者の方々だったりします。

お世話になった人たちに、この産業に、恩を返したい。そしてこれからもお世話になりまくりたい。そんなことを強く願い、事業に取り組んでいます。この業界に、「持続可能な形」を一つでも新しく生みたい。鮮やかな農地を、豊かな海を残していきたい。社名のvivid gardenに私は個人的にこんな想いを込めています。

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(アメリカのテキサスのブドウ農家に1か月ほど住み込んでみました)

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(高知県馬路村。こちらも住み込みでユズの収穫期に働き、毎シーズンのように遊びに行っています。コロナ......早く収まってほしい......)


▼なぜ取締役になったか

転職後できることを広げ、一次産業への想いを強く持つ私が、なぜこの役職になったか。その理由も書こうと思います。

まず前提として、肩書は「役割でしかない」と考えています。「インターン」も「社長」も、どれも機能。自分がこの役割にふさわしくなくなったら変わるべきですし、逆にいまはふさわしくありたいと思い、お受けすることとしました。

私の中では、「マーケティング」とは、突き詰めると「経営」になるのかと考えています。今自分が取り組んでいる、生活者の方へのコミュニケーションは、会社経営のことと大きく紐づきます。社会に対して、この会社が、サービスが、どのような価値を提供していくのか考えるうえで、マーケティングの視点は非常に重要だと思います。


これから先数年、より高い目線で会社を伸ばさなければなりません。2020年の劇的な成長から、さらなる高みを目指さなければなりません。

大切な友人を何人か会社に誘いました。インターンの方と彼らのキャリアのことを相談しました。その時明確に自分の中で覚悟が決まったと思います。


(大学一年生で立ち上げた農業サークルを共に大きくし、畑を一緒に開墾した盟友とは、卒業時に別の道へ進みました。数年後、一緒に働かないかと声をかけることになりました。)


▼これからのこと

特に今日から何かを変えるということはありませんが、私の内部的な意志としては、目線を上に、自分に足りていないものを早く吸収しきる必要があります。

私は社会人歴が浅く、まして「経営」については正直に言って経験が乏しいと自認しています。経営層の皆様、どうか松浦に少しでもお時間をいただけますと幸いです。色々と教えていただきつつ、私の方でも何かお返しできるよう日々邁進していきます。


一次産業には時間がありません。新たな経営チームの秋元・山下、ビビッドガーデンのメンバーとともに、そして生産者の皆様のご協力をいただきながら、この会社が急速な拡大をできるよう、全力で取り組んでいきます。今後とも何卒よろしくお願いいたします。

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