おばあちゃんとドラえもん

年明けすぐに、母方の祖母が85歳で他界した。

70代に差し掛かった頃から糖尿病、それに伴うアルツハイマー型認知症も患い、ここ数年は一週間の殆どをデイケア施設で過ごし、入退院を繰り返していた。
最終的には身内の者ですら誰が誰やらはっきりとわかってないような状態だったが、それでも初孫である私が帰省すると、いつもにっこり笑って出迎えてくれた。

年末に入院した時点で衰弱が激しく、おそらく冬を越すのは難しいだろうというのが医者の見解だった。
なので私は、正月三が日を夫の実家で過ごした後、その足で田舎へ向かい成人の日が終わるまで過ごすつもりで新幹線の切符を買っていた。
しかし1月3日の早朝、私の母と叔父夫婦に看取られ、祖母は眠るように逝ってしまった。

六人きょうだいの長女として生まれ、いつも大らかで器量好し。美容師と書道師範の二足のわらじで働き、仕事の合間にママさんコーラスや踊り、三味線のお稽古に通う多趣味な女性だった。
私や弟が夏休みに帰省すると、海やプールや盆踊り大会に連れて行ってくれたり、一緒にファミコンで遊んでくれたり、毎日好物を作ってくれたり、まるでドラえもんが次から次へと道具を出して夢を叶えてくれるように、至れり尽くせりの日々を過ごさせてくれた。
不器用で気の利かない私に、お米の洗い方や洗濯物の畳み方を教えてくれたのも祖母だった。
テレビが大好きで、NHKの大相撲中継や朝ドラ、「ものまね王座歌合戦」「筋肉番付」をよく夢中で見ていた。

とにかく祖母は私の人格形成に大きな影響を与えた人物で、優しくて強くて逞しいおばあちゃんだった。
臨終に立ち会えなかったのはかなりショックだったし、今でも自分を責めてしまうけれど、祖母は祖母で食事もとれなくなり痩せこけて死にゆく姿を孫に見せたくなかったのかもしれない。おばあちゃんは最期までおばあちゃんだったのだ。

有名な「さようならドラえもん」の一コマ。
私もすぐに慣れると思う。
だから、心配しないで、おばあちゃん。
ドラえもんはひみつ道具の力でのび太の元に帰ってきたけど、もう一度会いたくてもこればかりはどうしようもない。
でも、私はいつでもおばあちゃんを近くに感じてるよ。

ちなみに、祖父母が営んでいた散髪屋の待合室に、よそのお宅から譲り受けたドラえもんのコミックスが沢山置いてあって、私は帰省の度にそれを繰り返し読んでいて、今でもドラえもんにはちょっとうるさい。

先日、約20年ぶりにドラえもんの映画を観に行った。もちろん星野源が主題歌と挿入歌を担当したからなのだが、映画自体かなり面白かった。
子どもの頃、親に連れられ映画館でドラえもんを観ている時は「パパやママはきっと退屈なんだろうな」と思ってたけど、ちゃんと大人が観ても引き込まれるように作られていたことに、大人になった今気付いた。
Amazonビデオで旧作も色々観てみたりしている。この歳になってまたドラえもんにハマるとは…。源ちゃんの曲もまたもや大ヒットしていて、嬉しい限り。

次は、死者の世界がテーマのディズニー/ピクサー映画『リメンバー・ミー』を観に行けるといいなあ。主役の声優やってる男の子超歌上手くない?

#思い出
#ドラえもん
#おばあちゃん

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