新婚さん、さようなら

引っ越しが決まった。

マンションの退去日まで、あと一ヶ月。
先週末、引っ越し業者の手配が済んだ。物件を仲介してくれた代理店の提携会社だ。
見積もり担当の営業マンが予告なくかなり遅刻してきたので「値下げさせよう!」と夫に言ったら「大人気ない」と却下された。
結局、先方が平謝りで値下げ前提の見積もりを持ってきたため、胸に納めることにしたが、自分の器の小ささを心から恥じた。
コロナ禍の中、そしてこの厳しすぎる残暑の中、日々汗を流してお勤めの運送業のみなさま、本当にお疲れさまです(でも、顧客に遅刻の旨を連絡しないのは、あまりよろしくないと思います)。

5年前、入籍と同時に私たちはここに越してきた。およそ半年後に挙式を控え、何もかもがきらきらして見えた、あの頃。

マンションのはす向かいには広い公園があって、毎朝6時半きっかりに、町内のお年寄りが集まりラジオ体操の音が聴こえてくる。市民病院と警察署も遠くなく、パトカーと救急車のサイレンもひっきりなし。
コンビニもマクドナルドもすぐそこ。歩いて10分圏内に昭和の残り香がするアーケード街、少し足を伸ばせば県内随一の大型商業施設。にぎやかな場所だった。

阪神・淡路大震災で、壊滅的な被害を受けた地域でもあった。毎年1月17日には、亡くなられた方を思いひっそり目を瞑った。
2年前の大阪北部地震の時は、当時の職場に電話がなかなか通じず、心細かった。それからすぐ、万一に備え防災セットを作って押し入れに仕舞った。

住みはじめた翌年からつい最近まで、NPO団体にボランティア登録して、在日外国人の日本語学習支援をしていた。
独身時代にも、実家近くの市営のボランティア教室に参加したことがあったのだが、運営面がぐだぐだで(市が個人に丸投げの状態だった)、すぐにやめてしまっていた。
このNPOは管理体制がとてもしっかりしていて、代表の方や教室のコーディネーターさんにも非常に良くしていただき、マンツーマン制の支援を4年も続けることができた。
学習者の半数以上は、ベトナムから労働のためにやってきた人たち(もしくはその後呼び寄せられた家族)だ。中国、台湾、インド、ロシアからの学習者に教えたこともある。
志を抱いて来日した人もいれば、配偶者がたまたま日本人だった人、生まれてこのかた語学を一切勉強してこなかった人もざらにいる。団体は(語学留学生を除く)どんな人にも門を閉ざすことはなく、公平に学習の機会を与えた。

最後の一年ほどは、同年代のミャンマー人の女性とペアになった。彼女は日本政府が受け入れた難民で、定住支援をNPOが請け負うこととなり、夫とともに教室にやってきた。小さなお子さんもいる。
ほがらかで聡明な彼女は、英語が解るので上達もめざましく、テキストの進みが早かった日は余った時間でおしゃべりをした。彼女はミャンマーの民族衣装の画像をスマホで見せてくれた。とても繊細で、あざやかで、美しかった。亡命せざるを得なかった祖国。どんな気持ちで発ったのだろうか。のうのうと日本人をやっている私に到底わかるはずがない。
先日、引っ越し準備で忙しくなる前に、ボランティアを退会した。教室での最後の日、はにかみながら「せんせい、ありがとう」と言ってくれた彼女。幸多かれと祈ることしかできない。

昨年、小学校教員のパワハラ問題が世間を騒がせた。連日報道されるあまりにも低次元ないじめの内容と市教委のお粗末な対応に、夫と私は憤りを隠せなかった。やがて、前々からひそかに相談していた、夫の地元への転居を真剣に考えはじめた。
懲戒免職者も出たが、首謀者とされたベテラン教員は、教壇からは退いたものの未だ公職を離れていないという(私の親も長らく公教育の現場にいるが、もし不祥事で処分されたとして、今更民間で働くのは難しいだろう)。
未曾有の震災から劇的な蘇生を果たしたこの土地の行政の自尊心が、ほんの少しの傲りや怠慢につながった部分はなかったか。教員の職場環境や、市教委のずさんな体制が見直されていくことを願う。

新しいアパートでは、今より部屋数が増えて、自室が手に入る。それから、ペットを飼うことも可能となった。5年間の“新婚生活”の終焉を感じる。
5年前、今度引っ越しをする頃には、子を産み育てているかもしれないと思っていた。まさか夫婦そろって、生殖機能が人より低いなんて知る由もなかった。
医師は「治療されるという方向でよろしいですね?」と言った。実子を望んでいるから、うちに来たんでしょ。まあ、お金は要りますけどね(ここまであけすけではなかったが、そういうスタンスの病院だった)。「少し検討させていただきます」と言い残したきり、通院はしていない。
しかしながら、言い表せない悲しさはつきまとった。夫と、極めて建設的ではない話し合いを何度もした。いつも淡白で何事にも動じない夫が、一言「別れようか」とつぶやいたこともある。不憫だった。「悪いことでも、恥ずかしいことでもないのに、別れるなんてとんでもない」と私は伝えた。自分に言い聞かせる意味も込めて。

やはり、私たちは環境を変えるべきだと確信した。もう、夢見る新郎新婦ではない。子孫を残さないと決めた今、お互い家庭の共同経営者として、先々について考えていかなければ。
夫の地元へ移ることにより、義理の両親との関係も変わってくるだろう。お義父さんは70歳になられた。お義母さんも60代後半である。いつ何があってもおかしくない。私の実家も然り。もっとも、自分たちが行く道でもある。

うるせえ、所帯じみたことばっか言うなよ。そうですよねー!人生まだまだこれから。もうちょっと気楽にいかないと。
“辛気くさいいうのは、寿命縮めるんや”
(朝ドラ屈指の名作『カーネーション』より、ヒロインの祖母の名言)

まずは、あと一ヶ月、今の土地での暮らしを存分に満喫すること。このご時世、できることは限られているが、後悔のないように過ごしたい。
転居先は、新幹線駅が目と鼻の先である。せめて国内だけでも、安心してあちこち出掛けられるようになる日が、一日でも早く訪れますように。

秋はもうすぐそこまで来て…いない。超絶暑い。地球さん、空調イカれてます?あっ、台風、あなたは来ないで。いい子だから。ハウス、ハウス!ゲリラ豪雨も、じっとしてなさいっ。めっ!!
…どなたさまも、ご自愛くださいませ。

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