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七転び八起きしまくった4年間

はじめまして。はたまたウェルカムバック!
こちらのノートに来てくださりありがとうございます。

マルコポーロといいます。

このノートでは、ひょんなことから転職を決意した、ふつうの、ごくふつうの。どこにでもいるOLの自分回顧録という名の、日本全国のすべての新入社員へ捧げる備忘録です。

前回から引き続き、日本全国のすべての新入社員のみなさんが忙しい日々の中でくすっと笑い、心が穏やかになる捧備忘録を書いていきたいと思います。
それでは行ってみよう~~~!!(パフパフ~~~!)


復活とやりがい

うつ病にかかりましたが、不幸中の幸いか、1か月ほど休職させていただき、その過程で心もからだも順調に回復していきました。

母は休職中に同期が代わり替わり私の家にやってくる状況を見て、
「いい同期に恵まれたね」と言ってくれ、同期たちは「私たちがついてます!!」と言ってくれました。

ああ、なんて優しい人たちなんだ。。。優しいとかそういう言葉では言い表せないくらいたくさん助けてもらいました。

1か月の休職を経て、職場復帰。
会社の人からは期末に向けての営業活動については、私の体調を考慮した対応をしてくださりました。
本当にありがたかったし、今でも頭が上がりません。

そんな1年目を終えるころ、上司からある提案がありました。
それがこれからの私の社会人人生を変えるほどの「やりがい」を生む仕事になります。

私の新しい居場所。

上司からの提案。それは「営業企画」の仕事をしてみないか、ということでした。営業時代、市場分析や顧客分析が得意でそれをもとにした販促企画を作成→店舗に落とし込むというPDCAをよくやっていました。
これがどうやら評価されていたらしく、営業企画課への異動を打診されました。

正直、東京支店にはもういられないと思っていたので、それが評価され、
今後に活かそうとしてくださっていることが本当に嬉しかったです。
もちろん、私はその打診を受け入れ、私は2年目から4年目までの2年間「営業企画担当」として邁進していくことになりました。

手放したくない場所。

完全に心もからだも復活した2年目の春。営業企画課に異動。
今まで自分が担当していた大手スーパーマーケットの営業企画担当になりました。

ここでの仕事は一言でいうと、「天国」♡
内勤勤務なので、服もそこまで気にしなくていいし(笑)というかそんなことを言う人はいませんでした。
逆にネイルとか服とかめっちゃ褒めてくれて、どこで買ったかランチタイムや仕事中に教え合うくらい仲良しの先輩や後輩もできました。
ね、天国でしょう?(笑)

そんな天国での仕事はやりがいもたくさん感じました。
もともと得意だったデータ分析と企画立案を活かした仕事ですから、アイデアもどんどん出てくるし、一緒のチームを組んでいる担当の大手スーパーマーケットの営業担当の方やマーケティング部の方は先輩だからとおごったりせず、お互いに敬意をもって私の意見も多く聞き入れてくれました。

チームを組んだ営業担当の方やマーケティング担当の方からは、
「マルコちゃんが担当でよかったよ~~(´;ω;`)ウゥゥ」
「今回の販促企画もばっちりはまってたよ!!!」といつも言ってくださり、モチベーションアップ、いやアップどころか突き抜けていました。(笑)

なんてすばらしい職場・・・ここが私の居場所なんだ、手放したくない、といつしか強く思うようになりました。

私を鍛えた大阪人コンビ

えっ私がですか?

その言葉を発したのは3年目の終わりでした。
営業企画として邁進していたある日、営業企画だけではなく、業績管理にも携わってほしい、と言われ、統括部への兼務が決定しました。

「統括部」それは全国の営業が恐れている営業管理部隊です。
その恐ろしいといわれている要因。
それは統括部の本部長と部長、生粋の関西人コンビです。
イメージは、オール阪神巨人、みたいな巨匠コンビを想像してください(笑)
お二人のうち、部長は営業成績が全国ナンバーワンを5年以上継続したつわもの。そののち、最年少で課長、部長へ昇進、現在に至ります。
本部長は、外資系会社からのヘッドハンティングで入社された方。
海外勤務経験も長く、効率重視、縦社会なんか知らねーよ!意見いっていこーぜ!マインドの方です。

お二人とも、一般社員にはとても優しく明るいザ・関西人なのですが、
マネジメントする立場の方への詰め方がえぐいことで有名でした。

で、これ何があかんと思う?

兼務初日。会議に参加した私は、部長から名指しで質問を受けました。

それは、統括部が作成していた管理帳票についてでした。
確かに、その帳票は営業からはわかりにくいことで有名で、やりたくない仕事ナンバー1の別名を持っていました。

(ここは正直に言うべきか、いや、でも作った人がこの場にいるもんな…)

私の心の声

うーーん、と私が唸ると。

【今、言うべきか悩んでることあるやろ。それが問題や。】
【なんで悩むん?変えなあかんことはわかってるのに、なんで言わへんねん。マルコちゃんみたいに現場にいた人が感じていることは誰も間違ってるなんて言わへんで?】
本部長にまっすぐな目で見つめられて言われました。

言っていいんだ。単純に思いました。
それから会議の中で疑問に思ったことは、率直に、でも論理立てていうようにしました。

その姿勢が認められたのか、統括部と別部署でやっているプロジェクトに参加させていただいたり、営業本部全体の研修内容の任せてもらえるようになりました。
そんな兼務もしながら、気づけば社会人4年目の終わりが見えていました。

ごめん、守れへんかった

死ぬほど楽しくて死ぬほど忙しい日々

そんな兼務2年目。
いよいよ社会人4年目も終わりに近づいてきた冬。
これまで以上に死ぬほど忙しく、お昼も取れない日々が半年ほど続いていました。
でも、ものすっごく楽しかった。胸を張って、今やっている仕事を誇れていました。

そんな日々は光陰矢の如しという言葉通り、あっという間に過ぎていき、
気づけば来年度の人事異動の話が出てくる2月になっていました。

不穏な空気

全国の会社員が浮足立つ2月。はい。人事発令の時期です!!

私がいる営業企画課も統括部のみんなも、上司に呼び出しされるのは今か、今か、と待っている2月の初旬。こんなにウキウキする呼び出しはこんな時だけです(笑)

ついに営業企画課にもその日がやってきました!
しかし、そこの上司に言われたのは、「マルコさんは統括部で聞いてね」の一言。

もう一つの呼び出し日を統括部にいる同期の子から聞いて、フロアへやってきたある日。

『あれっ?本部長と部長もいるじゃん』
「え?課長だけじゃなくて?珍しくない?」
『私、3年いるけどそんなことなかったよ』
「え~管理職の異動かな」『ね』

そんなのんきな会話や今年のバレンタインチョコはどこのを買う~?
なんて同期とパートのおば様としながら、順番を待っていました。

「マルコちゃん、次どうぞ~」
同期からバトンをもらい、いざ、人事異動を聞きに会議室へ。

ほんまにごめん。

「失礼しま~す」
そんなのんきな挨拶で会議室へ入った私。すぐに空気が違うことが分かりました。

【マルコちゃん、人事異動を発表します】
「・・・ハイ」
【人事本部 人材育成チームへ異動です】
「・・・え?それって・・・」
【うん、本社だね】
「えっと、、それ、は、」
【栄転だよ。おめでとう。】
「あ、はあ、、」
【・・・マルコちゃん、ほんまにごめん。】【ごめん、俺の力不足だ】
「なんで本部長と部長が謝るんですか(笑)」
【ほんまはな、東京から出したくなかってん。でもな、本社の人事異動命令には逆らえんのが、うちの会社やねん・・・】
「そっか、そうでしたね、、」

そう。わが社はホールディングス制をとっており、本社から枝分かれ上に3つの子会社が紐づいているのです。
その子会社の1つに営業本部は紐づいており、総合職採用の人はみな、入社以来、その子会社へ本社社員として出向する形で仕事をしていました。

ホールディングス制の悪いところなのか、うちがそうなのかわかりませんが、本社の命令はなにがあっても絶対。

あの、鬼の本部長も逆らえないという絶対権力の総本山だったのです。

昔、新入社員のころ、本社異動になった先輩が泣いていたことがありました。私の教育担当の先輩は、
『マルコちゃん、あれはうれし涙じゃなくて、悲しくて泣いているのよ』
「なんでですか?本社なら栄転じゃないんですか?」
『本社に行くと戻れないのよ、子会社(ここ)には。ずっと。』
と教えてくれました。

回想シーン

その先輩は営業企画課でもとても優秀な方で、ここで生きていくの!と冗談でも言っているくらい成績を挙げられている方でした。
営業本部長も手放したくない!と豪語するくらい、本当に優秀な方でした。

当時は本社異動は戻れないのか、くらいにしか思っていなかったけれど、
なぜか、人事異動を言い渡されたとき、このこと自然に思い出していました。

「(ああ、もう東京には戻れないのか)」

私の心の声

そう思いました。

総合職として、転勤があることを知って、つかみ取った東京配属。
紆余曲折あったけど、よい仕事をたくさんさせていただき、よい同期、先輩、後輩にも恵まれ、楽しいOL生活を送っていた矢先のことでした。

「本部長、部長。」
【うん、なんや】
「やめます。会社」
【えっ?!】

終わりに

ハイ、まさかのここで一旦終了です(笑)
私は本当に会社を辞めてしまうのか?

次回、真相が明らかになります。

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