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かわいそうな論文購読者

新潟大学の大学院は、学会の盛りです。風にぱっと散る人事。長年のストレスでお日様に光り輝く頭。
学会の人たちがどっと押し寄せて、大学院は、砂埃を巻き上げて混み合っていました。
講義室では、今、2人の研究員が、研究発表の真っ最中です。
当日になっていきなり動画が映らなくなったり、壁紙の二次元嫁画像が大写しになったり、教授の素人質問に致命傷を負ったり、大勢の聴衆を、喜ばせています。
その賑やかな発表会場から、少し離れた所に、一つの石の石碑があります。
あまり気の付く人はありませんが、大学を辞めた研究者たちを、お祀りしてある石碑です。
お天気の良い日は、いつも、暖かそうに、お日様の光を浴びています。
ある日。

教授が、その石碑をしみじみと撫で回して、わたくしに、哀しい研究者の物語を聞かせてくれました。
今、この研究室には、三人の院生がいます。
名前を、田中、鈴木、佐藤といいます。
けれども、その前にも、やはり三人の院生がいました。
名前を、エルゼビア、ワイリー、ACSといいました。
その頃、大学は、省庁と予算交渉をしていました。
予算交渉がだんだん激しくなって、新潟市には、毎日毎晩、研究予算削減のお知らせが雨のように振り落とされてきました。
そのお知らせが、もしも、大学院生に来たら、どうなることでしょう。
院生が暴徒と化し、院生部屋が壊されて、恐ろしい院生たちが街へ暴れ出したら、大変なことになります。
そこで、院生達に、研究不正を行わせたです。

三人の院生も、いよいよ・・・とになりました。
まず第一に、いつも適当に条件検討する、教員の言う事を聞かない、エルゼビアから始めることに成りました。
エルゼビアは、研究費が大好きでした。ですから、不正資金が含まれる研究費を、普通の研究費に混ぜて、使わせました。
けれども、利口なエルゼビアは、不正資金が含まれる研究費を使用寸前まで持っていくのですが、すぐにポンポンと、遠くへ投げ返してしまうのです。
仕方なく、直接不正を指示することになりました。事実だったらNatureやScienceに載るような、とても大きなインパクトがあるテーマと、明快なグラフが支度されました。
ところが、院生の研究能力は、大変高くて、うまくいきそうにないテーマでも、不正なしで実現したのでした。
仕方なく論文購読費用を一円ももやらずにいますと、可愛そうに、十七ヵ月目に大学を辞めました。

続いて、ワイリーと、ACSの番です。
この二人の院生は、可愛い顔をした、Dの、心の優しい院生でした。
ですから、大学教員の人たちは、この二人を、何とかして助けたいと考えて、遠い仙台の大学院へ、送ることに決めました。
けれども、仙台の大学に、研究予算削減の嵐が来たらどうなるでしょう。
仙台の街へ、院生が暴れ出たら、新潟の人たちがいくらごめんなさいと謝っても、もうだめです。そこで、やはり、新潟の大学で・・・とのことになりました。
毎日、論文購読費用をやらない日が続きました。ワイリーも、ACSも、だんだんやることがなくなって、元気が無くなっていきました。
時々、見回りに行く人を見ると、よたよたと立ち上がって、
「論文購読費用」
「校費をください。」
と、細い声を出して、せがむのでした。
そのうちに、先行研究を考慮しない主張をしたり、既知の反応を車輪の再発明するようになりました。
巨人の肩に乗れない哀しい研究者に変わりました。
今まで、どの院生も、自分の子供のように可愛がってきた教授の人は、
「可哀相に。可愛そうに。」と、院生部屋の前を行ったり来たりして、うろうろするばかりでした。
すると、ワイリーと、ACSは、ひょろひょろと身体を起して、教授の前に進み出たのでした。
お互いにぐったりとした身体を、背中で凭れ合って、研究発表を始めたのです。
ポルフィリンについて語りました。
フタロシアニンについて語りました。
応用例について語りました。
限定的な情報を振り絞って、研究発表をしたのでした。
研究発表をすれば、昔のように、論文購読費用がもらえると思ったのです。ワイリーも、ACSも、よろけながら一生懸命です。


教授の人は、もう我慢できません。
「ああ、ワイリーや、ACSや。」と、自宅へ金を取り戻り。そこから走り出て、論文誌を購入しました。
論文誌を抱えて、院生の脚に抱きすがりました。
大学院の他の教員たちは、みんなこれを見てみないふりをしていました。
学長さんも、唇を噛み締めて、じっと机の上ばかり見つめていました。
大学には論文購読費用がないのです。私費から研究費を与えても一時しのぎなのです。
この二人の院生を大学に残しても未来がないのです。
けれども、こうして、一日でも在籍させておけば、研究予算がついて、助かるのではないかと、どの人も心の中で、神様にお願いをしていました。

 けれども、ワイリーも、ACSも、ついに大学に来なくなりました。
就職活動をしていて、事務的なメールのみ返信しました。

こうなると、教授の人も、もう胸が張り裂けるほどつらくなって、院生に連絡を取る元気がありません。
他の人も苦しくなって、院生部屋から遠く離れていました。
ついに、ワイリーは十か月目に、ACSは20か月目に、どちらも、今までの研究成果をまとめて、大学を退学しました。

「院生が辞めたあ。院生が辞めたあ。」
教授の人が、叫びながら、事務所に飛び込んで飛び込んできました。
拳骨で机を叩いて、泣き伏しました。
大学院の人たちは、院生部屋に駆け集まって、みんなどっと院生部屋の中へ転がり込みました。
院生の残した研究資料にとりすがりました。研究資料を揺さぶりました。
みんな、おいおいと声をあげて泣き出しました。そのときちょうど、またも予算削減のお知らせのメールが新潟大学に送られてきました。
どの人も、院生の残した研究資料に抱きついたまま、こぶしを振り上げて叫びました。
「 国立大学の法人化をやめろ。」
「 国立大学の法人化をやめてくれえ。やめてくれえ。」
後で調べますと、盥位もある大きな院生の預金口座には、一円さえも入っていなかったのです。
その三人の院生の研究資料は、今は、この石碑の下に、静かに眠っているのです。
大学院の人は、目を潤ませて、私にこの話をしてくれました。
そして、吹雪のように、桜の花びらが散り掛かってくる石碑を、いつまでも撫でていました。


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