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遺書を書いて死にかけた話。

今日、9/10は世界自殺予防デーという事でこのnoteを仕上げました。先日うっかり死にそうになってしまって、ここまで具体的に行動を移したのは初めてだったので書いてみようと思いました。最初に断っておくけれど、自分は【消えてしまいたい】と思うことはあっても自死は人に迷惑をかけてしまうし大切な人たちを悲しませてしまうから【死んでしまいたい】とは思わないようにしている。それでも行動に移しそうになってしまったのはなぜなのか。

当時の状況

その時は4連休で、友人が家に遊びに来て飲みながら話そう!なんて楽しい予定が入っていてメンタル的には好調だった。だけど私の悪い癖、飲みすぎてテンション上がりすぎて訳が分からなくなるが発動してしまった。その前日に仕事で大きなミスをしたこと、飲みすぎで借りているワイングラスを壊した挙句に友人の洋服にシミを作ってしまった事・・・なんて自分はダメなんだろうという気持ちになってしまい、感情の波が急降下してしまった。でも普通それくらいで死のうとは思わないのが人間。何が私をここまで【死ななきゃいけない】と思わせてしまったのか?

冷静に分析してみる

それは間違いなくお酒の力だと思う。厚生労働省のサイトによると、『アルコールと自殺は強い関係があり、自殺した人のうち1/3の割合で直前の飲酒が認められます。』と書いてあります。そして怖いのは、私のように【死にたい】と思っていない人間でも、酩酊状態になると『アルコールの使用は絶望感、孤独感、抑うつ気分を増強し、自身に対する攻撃性と高め、自殺念慮を実際に行動に移すのを促進し、心理的視野狭窄を促進して対処策を困難にするといわれており、自殺念慮の出現と関係し、計画性のある自殺より計画性のない自殺と関連するとの報告が認められます。』と書いてあり、衝動的な自死をお酒が促進しているという事が分かります。

コロナ自粛がさらにお酒の量を増やした

3月半ばから始まった自宅勤務。チームメンバーとわいわい話しながら仕事をするのが好きだった私にとっては、大打撃だった。今はだいぶ慣れたものの、コミュニケーションの取りにくさや、もともと私がもっているADHDの趣向が悪い方に出てしまって、テレワークは私にとって大きいストレスでした。ストレス解消法を知らない私にとって、唯一しんどさを忘れられるのが飲酒。普段からたくさん飲むのに、自宅勤務になってからとうとう毎日ワインを2本開けるまでになってしまった。

遺書の内容

実際に書いた遺書を見直してみると、ただただ自分の感情が爆発している、支離滅裂な汚い字の遺書だった。(しかも大事にとっておいたDIORのノートに書いていた!)本人はいたってまじめに書いていたのだが。これは残された人が読むのはしんどいな・・・と冷静に思ってしまう内容のものだった。とりあえず親に謝って、彼に謝って、友人に謝って、最後にはインコたちにも謝っていた。インコに至っては3ページにもわたって愛を吐露していたww この遺書を読み返して分かるのは、衝動的に自死してしまった場合、遺族に本当の理由は全く伝わらないな、という事。お酒で感情がジェットコースター状態になっていて理路整然と考えられない、こんな感情の吐き捨てみたいな遺書を見たら皆混乱するなーと。

どうして今元気にしているのか

やはり単純に死を恐れる気持ちのほうが大きかったのだな、と思います。本当に単純。ビビりだっただけ。もう少しお酒を飲んでいたら怖さが和らいで死んでいたかもしれない。それくらいお酒は怖いものだと今になっては思います。まだ死が怖かった当時の私は、彼に連絡を取り助けを求めました。だから今生きている。生死を分けたのはお酒の量だったのだと。

これから

私は父親譲りでかなりの呑兵衛です。ですが父親を見ていて彼が何かの失敗をした時にお酒が必ず紐づいていることに気が付きました。私の見た目は母親似なのですが中身は父親そっくり。立派でチャーミングで尊敬している父ですが、彼が体を張って失敗してきたことを糧に、自分も同じ過ちをしないようにと思う今日この頃です。しかしお酒の常習性は恐ろしくなかなか断ち切るのは難しい。適度な距離を置きつつお酒と良い関係を築けるようになりたいと痛切に思っています。そしてやっぱり自死はしたくないと強く感じます。それは私の周りが不幸になるから。なぜmarinを助けられなかったんだろう?と苦悩させてしまうから。私は自分の大切な人たちが不幸になるのが耐えられない。たとえ生がいばらの道であったとしても。

重いnoteを最後まで読んでくださってありがとうございます!

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