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「サービス=無料」??目に見えない「モノ」の価値
私の父は電器屋を営んでいた。
いわゆる、「あなたの街のでんきやさん」というやつだ。
店舗名は「〇〇(苗字)テレビサービス」だった。
実家に店が併設されていて、父は店で買ってもらった家電の取り付けや修理などもしており、地域密着型の商売をしていた。
今も健在だが、さすがに屋根の上に登ったり重いものを持ったりする年齢ではなくなったので、量販店が主流になったタイミングで店を閉めた。
私が小学生の頃は、近所の小中学生がうちに電池やカセットテープなどを買いに来たりして、私の家は登下校の目印になっていたように思う。
そんなある日。
小学校の同級生の男子から、こんなことを言われた。
「おまえんとこで電池買ったけど、テレビをサービスしてくれなかったぞ」
店の名前の「テレビサービス」にかけて、「テレビを無料でくれなかった」と言いたいのだ。
あほか。
無料でテレビなんかもらえるわけないだろ!
そしたら近所の民がみんな電池を買いに来るわ!
と思った。
だが、今日はそんな話をしたいのではなく、なぜ「サービス=無料」と思うかについてお話したい。
商店街で買い物をすると、気のいい店員さんが「これ、サービスね」と、商品をちょっと多めにくれたり、子供に飴玉をくれたり、料金の端数を割引してくれたり、サービスというのは無料でもらえるオマケのようなものであるという考えが、我々日本人に刷り込まれていると思う。
そのため、「サービス」と聞くと、「無料」と思ってしまいがちだ。
「サービス」の語源は、英語の「Service」から来ているはずだから、「修理をする」という意味で父は「テレビサービス」と名付けたのではないかと思う。
テレビだけを修理するわけではないので、それでもツッコミどころは満載だが、小学生が密かに狙っている、「電池を購入するとテレビが無料で付いてくる」という自己破産的な目的でネーミングをしたわけではないはずだ。
なぜなら、英語の「Service」には、「奉仕する」とか「修理する」という意味はあっても、無料にするとか、割引をするといった意味はないからだ。
日本人は「モノ」に対してはお金を払うが、「サービス」については、あまりお金を払わないそうだ。
日本語で「サービス」は、「相手のために尽くすこと」という意味で、「形のないもの」だそうなので、どんなに労力がかかっていようが、形がないということになる。
「モノ」には原材料費があり、そこから加工すれば労力がかかり、設備や機械への投資にも費用がかかるので、お金を払う価値がある、とみなされる。
それに比べ「サービス」は、人件費がかかることは分かるが、「相手のために尽くすこと」は「形のないもの」なので、価値が曖昧で分かりにくく、お金を払いたいと思えない、ということだろう。
カナダに住んでいると、レストランやバー、美容室などでチップを払うことが習慣化する。
スタッフの「サービス」に対してお金を払う文化だからだ。
例えばレストランであれば、メニューに載っている料金は食べ物や飲み物に対してであり、スタッフの「サービス代」は含まれていない。
店の雰囲気や衛生面、接客、気持ちよく食事をさせてくれた、などに対して「サービス代」を別途支払う。
日本ではチップを払うシステムはないが、基本的にサービスや接客のスタンダートが高く、そこには「モノ」とは異なる「価値」があるで、従業員さんはチップをもらってもいいと思う。
でもきっと日本の文化では、「サービス代」はスタッフの給料に含まれているものであり、サービスや接客のスタンダードを上げることは従業員として当然のことなので、請求された額に追加して顧客がチップを支払う必要はない、という考え方なのであろう。
「カウンセリング」や「コンサルタント」「コーチ」についても、同じことが言えると思う。
例えば学校の先生が、勤務時間以外の時間を使って生徒の相談にのっても、それば「サービス」に含まれており、教師として「生徒のために尽くすこと」は当然のことなので、時間や労力がいくらかかろうが、価値としてみられづらいだろう。
私にはビザコンサルタントをしている友人がいるが、仕事の依頼前に「相談」と称してコンサルを希望する日本人が多いそうだ。
「相談」している時点でコンサルタントの時間や労力を割いているので、費用は発生するはずだが、相談している側はその認識がない。
私は日本に住む中高生向けの、オンライン国際交流サークルを運営している。
日本とカナダの中高生がオンラインで毎日のように交流することで友達になり、お互いの文化や慣習の違い、同世代ならではの共通点を知り、『自分』を見つけてもらうサークルだ。
よく、「お金はかかりますか?」という質問を受ける。
物理的な「モノ」はなく「サービス」が商品なので、「サービス=無料」の定義で考えると、参加無料だと思うのだろう。
目に見えない「モノ」にお金を払うのは勇気がいる。
目に見える「モノ」には取説があり、説明通りに使えば、説明通りの効果や成果が出るはずで、出なければ「保証」があるので返品や交換も簡単だ。
目に見えない「モノ」は、購入者の努力で効果や成果が変わる。
取説もないし、使用頻度も自分で決めなくてはいけない。
払ったお金に対して価値があるかどうかを決めるのは、自分の満足度だ。
目に見えない「モノ」は、使い方によって大きな可能性を引き出せる。
でも、宝の持ち腐れになってしまうこともある。
目に見えない「モノ」を有効的に使うには、自分を知る必要があるような気がする。
自分がどういう状態になったら満足で、それが叶うサービスなのかを見極めなくてはいけないからだ。
自分を見つけてもらうためにつくったサークルなのに、自分を知らないと申し込めないなんて、なんかちぐはぐだなと、書いていて思ってしまった。
続きは次回。ちょっとアピール。こんなことやっています。👆
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