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悠仁へ贈る悟りの道

久しぶり悠仁君
大きくなった君を誇りに思うよ
メディアの中の悠仁は
どこか内気な雰囲気に見えるけど今こうして家系図を制作してみるとどうやら君はとてつもない存在になっていたようだ。

眞子と私は共に
人生を全て賭けた。

そして今も昔も
世界を一つにしょうとしているんだよ。

2024/04/25
18:29現在は
第120代仁孝天皇
第8代皇帝道光帝

まで繋がったよ。

意外とシンプルだったけど
ここに至るまで
55年掛かったよ。

二つ世界で大変だろう
娑婆世界と真如世界

娑婆世界の投影は
真如世界である。

これは調べれば分かる
スピリチュアル系の実話だ。

真如世界とは
見えない世界だ。

然し今や
その見えない世界は
現実化している。

真如世界とは
真実の世界を云う。

仏教では仏の悟りを
真如と云う。

仏の悟りとは
この世の真理である。

真理

だから
私は仏と呼ばれるんだね。


と、まぁ
これが道理なんだな。

ちょっと整理してみよう。
真理とは
①永遠不変の正しい
物事の道筋
②ア
仏教は哲学
②イ
人間生活に有用な結果をもたらす観念
③真実で不変の理法


これが
仏の悟りである。

仏教的な事は置いてみても
今や不思議ではない世界。

真如の世界。

無量の時間の中で
育まれ
愛で満たされた

真如

慈悲と智慧
やっぱり
仏教なんだよね。

ここに至るまで
様々歩いたけど
仏教の教えの
神々の導き。

これが釈迦牟尼の世界と
違うんだよ。

釈迦牟尼は小乗
大日如来は大乗

これが答えだね。

大乗は


そう、
私は徹底して
利他に尽くした。

凡ゆるものを
利他に尽くした。

持てる財も一切を与え捨て


そして人々の恐怖を取り除く
無畏施


やっぱり
伊勢神宮と繋がるんだね。



以下転写


聖道浄土門にて報身阿弥陀仏の名号南無阿弥陀仏の他力功徳の法を持って南無妙法蓮華経の自力功徳の法の妙法は一念にて自利妙力を利他に回向し一切衆生を摂受不捨し即身成仏と成し浄土往生を為す。


法身 (密)大日如来
   (顕)大毘盧遮那如来

報身 (他)阿弥陀如来
   (自) 観自在王如来

応身 薬師如来
化身 普賢王如来、金剛薩埵、


8月9日誕生日

阿弥陀如来は「誰も取り残されることのないように」と、なるべく歩みやすい道(=お念仏)を選び、仏の道を歩む方々のしんがりを務める仏です。薬師如来は道中のケガや病気から守る仏です。

世間の太陽は日。

太陽(日)よりすごいから大日。

大(マハー 摩訶) 日(ヴァイローチャナ 毘盧遮那)

大日如来=摩訶毘盧遮那

=大毘盧遮那(経題は大毘盧遮那となっている。)


「大」が付くというところが世間の太陽(日)との違いであり、その理由の1つが、昼夜内外の別なく…などなど、無条件に例外なく。という点。

⚪️ 大毘盧遮那成佛經疏卷第一

沙門一行阿闍梨記


入眞言門住心品第一


大毘盧遮那成佛神變加持者、梵音毘盧遮那者、

是日之別名、即除暗遍明之義也。

然世間日則有方分。若照其外不能及内。

明在一邊不至一邊。

又唯在晝光不燭夜。如來智慧 日光則不如是。

遍一切處作大照明矣。無有内外方所晝夜之別。


大日経疏 第1巻

沙門 一行阿闍梨 記す


真言門に入る住心の章 第1


「大毘盧遮那成仏神変加持」というのは…

梵音(サンスクリット語)の音の毘盧遮那(ヴァイローチャナ )は、太陽の別名、つまり除暗遍明(暗闇を除いて遍く明らかに照らす)の意味である。


然(しか)るに、世間の日(太陽)は即ち方分(方角や部分)があって、若(も)し(太陽が)外を照らせば、内側には光は及ばず、光は一辺に在って、他の一辺には至らない。

また、ただ晝(昼間)だけ照らして、夜は照らさない。如来(毘盧遮那如来=大日如来)の智慧の日の光は如是(かくのごとく)に不(あら)ず。(そのようではない)

一切処(全てのところ)に遍いて、大照明(偉大な輝き)を作(な)す。

内外、方向と場所、昼夜の区別、あることなし(が全く無い)。

→除暗遍明



復次日行閻浮提、一切卉木叢林、隨其性分各得増長。世間衆務因之得成。

如來日光遍照法界。亦能平等開發

無量衆生種種善根。乃至世間出世間殊勝

事業。莫不由之而得成辦。


また次に、太陽が閻浮提(この世界)を行く時には、全ての植物は、その性分に随(したが)って各(それぞれ)増長することができ、世間の衆務(世の中のものの様々な働き)は、之(これ…太陽の光)に因(よ)って成ずることができる。

如来の太陽の光も遍く法界(真理の世界)を照らして、亦(ま)た、全く平等に量りしれないほど多くの衆生の様々な善根を開発し(かいほつ:導いて)、乃至(ないし)、世間と出世間の殊勝(ことにすぐれた)事業(働き)は、これ(如来の光)に由(よ)って成弁(成し遂げ)られないものは何もない。

→能成衆務



又如重陰昏蔽日輪隱沒、亦非壞滅。

猛風吹雲日光顯照。亦非始生。佛心之日亦復如是。雖爲無明煩惱戲論重雲之所覆障。而無所減。究竟諸法實相三昧圓明無際。而無所増。


また、重陰昏蔽し(雲が重なって陰を成し)、太陽が隠れてしまっても、(太陽が)壊滅してしまったのではない。

猛風が雲を拭き払えば太陽が顕(あらわ)れ照らすが、(それは太陽が)始めて生まれたのではない(ように)、(智慧に満ちた)仏心の日も亦(また)それと同じである。無明煩悩や戯論の重雲の為に覆障せらるると雖(いえど)も、(無明による煩悩や、物事を分別してとらえる戯論の厚い雲に覆い遮られても)、減少することなく、全ての存在の真実の姿(諸法実相)の瞑想を究竟(徹底)すれば、円明(見事で完全なこと)は際限がないが、而(しか) も(それ以上に)増加することもない。

→光無消滅


以如是等種種因縁、世間之日不可爲喩。

但取其少分相似故、加以大名。

曰摩訶毘盧遮那也。


このような種々のしかるべき因縁(理由)を以って、世間の太陽とは喩えとすべからず(比較にならない)。

但(た)だ、その少分(わずかに)相似(似ている)点を取っての故に、「大(マハー:摩訶)」の名を加えて、摩訶毘盧遮那と曰(い)う也(なり)。


大日経疏一部抜粋、以上。


「光明、徧く十方世界を照らして、念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」(聖典一・三〇〇/浄全一・四四)は真仏の摂取であり、この真仏と共に三六万億の化仏が十方世界の念仏の衆生を摂取するとしている。

仏暦2566年8月9日午後10時30分記載

聖道浄土門にて報身阿弥陀仏の名号南無阿弥陀仏の他力功徳の法を持って南無妙法蓮華経の自力功徳の法の妙法は真仏一念にて自利妙力を利他に回向し一切衆生を摂受不捨し即身成仏と成さしめ浄土往生を為す。

令和5年11月27日 21:13現在

以下転写

名 岡本(姜)浩治こと転輪聖王

法身 毘盧遮那如来

報身:

自受用身 南無妙法蓮華経

他受用身 阿弥陀如来

応身 薬師如来

化身 不動明王

名号 南無阿弥陀仏


名身即ち名号と為す。


自性法身 毘盧遮那=大日如来

受用法身 此岸 阿弥陀仏

     彼岸 薬師如来

変化法身 文殊菩薩

等流法身 岡本(姜)浩治

応化法身 金剛薩埵=普賢菩薩

これが
令和5年11月27日 21:13より
続く今の私だよ。

岡本浩治
又は
姜浩治

岡本コウジ 

2021年までは
岡本浩二
だった。

父の

浩然の浩

嵯峨浩の浩

二つの浩

浩二

となる。

この道理が分かったのは
多分
2021.7月頃だったか。

密儀の過酷な時だった。

即身成仏した
2021-10-20の満月の夜

この日の出来事は過去の何処かのblogに詳細が記録してある。

一切衆生済度を想い
心を乗せて
南無妙法蓮華経を
唱える声は
言霊となって
誠となった。

言が成る

ちなみにこの時は
23:56分と画像にあるとうり
記憶では23時...

ピッタリだ。

鳥肌が立つ💦

何故記憶しているのか?

何故なら
その瞬間
42インチのTVの画面に
桜越しの雄大な富士山の画像が現れたからだ。

密儀に於いては
殆どがGoogle Chrome cast
で世界の写真をランダムで移り変わる空間で行なっていた。

大日如来が現象化した時だった。

唱える
お題目は

6時間ほどか

この時の密儀は
13日の上弦から始まったのだろう。

4日目あたりで
少し睡眠をとった記憶がある。

4日不眠不食になると
頭の中で
縁起した概念や言葉や音楽が
無限とも思われるほど
LOOPする。

何処から聞こえるのでもなしに

般若心経が
無限にLOOPしたり

何度か聞いた音楽の
フレーズだったり。

恐怖だったり。

知覚は
剥き出しの神経のように
研ぎ澄まされている状態。

床に着いて
丸一日くらい
眠りに着けず
何かが
LOOP
していた。

苦しみと思えば
苦しみとなる

そんな世界でもある。

そして後半の20日満月まで
不眠不食で挑んだ。

上弦から満月までの7日間不食だった訳だ。

確かに当時ジムに通って80キロの体重は70キロそこそこまで一気に落ちていた。

何故なら翌日
2021-10-21記録のTikTok


顔つきはスッキリとして
生まれ変わった様に見える。

そして現実を受け入れる
決意みたいな表情も伺える。

私としては
即身成仏した20日の満月の23:56の富士山の映像が脳裏に焼き付く状態で7日ぶりの熟睡に入ることになった。

記憶では
眠りに落ちる数分間

遠くのものが
近くに見えて

近くのものが
遠くに見えた。

あれ!?

と思うと
元に戻るが

遠くのものが
近くに見えて 

近くのものが
遠くに見えた。

時空が歪んでいるかの
様だった。

歪んでいた。

そうなんだ。
きっと。

この時の出来事はいつか書こう。

こうして私は
大日如来として
史上初めて地球に誕生した。

慈悲

これだけ...だった。

度重なる密儀は
月にして
3回ほど
常習的となってた。

日常生活は普通にしていたが
仕事には着いていなかった。

全てを密儀に捧げていた。

お金も
体力も
命をも

この想いが
祈りと云う
のだろう。


南無仏

🙏⛩️神恩感謝

2024/04/25
21:37




この約4年間になる連続する密儀に於いて100回の終える祀りは常にポジティブで挑んだ。

心が全ての世界なのだから。

このようにして
完全ポジティブな存在が
誕生したんだよ。

ネガとポジ

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