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【雑文】ゼミ問題で大炎上した帝京大学某教授について思うこと

 久々に記事を書く。書きたいネタは色々とあるのだが、学務や論文に追われて時間がない。余裕ができたわけではないのだが、このテーマについては風化させたくないし、何か書かねば腹の虫も収まらない。一大学教員の目線から、某教授を非難したい。というか、感じたことを率直に書く。

 事案の概要は以下の通り。某教授がゼミ生を募集していたところ、聖奈さんという名の男子学生が応募した。某教授は彼を女子学生と思い込み、「女子だったら即採用」「サンドイッチとコーヒーでも飲みながらお話しよう」といった類の返答をした。その後、聖奈さんが男性だと知ると、「女だと思ったから採用だと言った」「勘違いしたのは自分のミス」「あのメールのことは忘れろ」「結果の平等はない」といった趣旨の発言をした。発言は、聖奈さんが録音していた。

 文字からは読み取れないが、録音の音声を聞くとなんとなく某教授の人柄が分かる。言葉の使い方が無礼極まりなく、高圧的で、教育者としてあまりにも相応しくない。性別を間違えているくらいなので文字通り初対面だろう。学生と教員という立場の差、年齢の差こそあれ、大学生も大人だ。初対面の大人相手に対する話し方ではない。敬語の一つでも使えないのかと言いたくなる。このような人間に貴重な時間を奪われる大学生が哀れとさえ感じる。しかも、某教授は社会経験を十分に積んだ人物である。社会の場でいったい何を学んできたのか甚だ疑問だ。

 話の内容は、言うまでもなく問題外である。某教授も自覚しているが、「女子だったら即採用」と言ってしまうのはマズすぎる。言われるのが女子学生だったら喜ばれるとでも思ったのだろうか。男子学生であれば不当に差別された気分になるだろうし、女子学生であれば変な下心や気持ち悪さを感じるだろう。言うことにメリットが全くない。そもそも、性の多様化が進んでいる現代に、初対面の人相手に性別云々言うこと自体が相当な時代遅れだ。名前をなじるのも論外。両親が、おそらく悩みに悩んで決めた一番最初のプレゼントである。その程度のこともわからないのかと、呆れる。
 女子だったら採用と思っているのであれば、何も言わずにそうすればよい。勿論、それがいいと言っているわけではない。そのような選び方は言うまでもなく不当だ。ただし、少なくともゼミ生の選定に関してはほぼ100%教員の裁量に委ねられているし、もっともらしい「正当な理由」を後付けすればよいだけのことだ。わざわざ言わなくてもよいことを口に出し、記録が残るメールに書くことのヤバさが分からない点が、大学教員としての資質のなさを如実に物語っている。もっとも、口外せずに女子学生集めたところで、自由市場の原理によりいずれ淘汰されるだろう。60過ぎの爺さん教員と女子だらけのゼミ生という構図が怪しいのは一目瞭然だからだ。

 経歴を見るに、さぞかし優秀な人なのだろう。これだけ酷い人物であってもなおゼミ生が集まってくるというのは、やはり研究テーマの面白さや能力が際立っているからかもしれない。しかし、大学教員は研究者であり教育者である。学生は、教員の背中を見ている。学生に対して教員本人が悪い大人の見本を見せるのは、あまりにも情けない。
 時々、大学教員の座につき気が大きくなる人間がいる。自分が偉くなったと勘違いしてしまうらしい。大学教員は、確かに社会的に割とインパクトのある職だ。周りの人の尊敬も集めやすい。だからこそ、通常以上の謙虚さが必要である。こういう事案がニュースになるたびに自省する機会になる。この点は感謝すべきかもしれない。

 今回の件をめぐり、「やっぱり大学の教員なんてこんなもんだ」というコメントを大量に読んだ。一握りの、いや、文字通りたった一人の変態教員に、まともな(というか普通の)大学教員全体が貶められた気分である。私自身は大学教員の仕事にやり甲斐と誇りを感じている。それだけに、唾棄すべき事案である。

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