【闘病記録】抜け落ちた15日間
ぶちです。当方東京在住で20代半ばで大学院生をやっている者です。
実は、8月16日(月)に新型コロナウィルスデルタ株を発症し、8月17日(火)にPCR検査を受け、8月19日(木)に陽性判定が出ました。
そしてこれを書いている8月29日(日)時点で発症14日目ですが、まだ完治はしておりません。熱こそ平熱に戻ったものの、まだ自宅療養で厳重に隔離されて生活していますし(同居人である親の顔すら14日間見ていない)、筋力低下・思考力低下・体力低下・咳や倦怠感等さまざまな後遺症の予感を抱いています。それでも保健所いわく、明日の夜時点で平熱のままだったら自宅療養解除ということらしく、闘病生活にもようやくゴールが見えてきたので、脳みそのリハビリを兼ねてコロナ体験記を書こうと筆を取った次第です。その明日の夜をもって発症から合計15日間経つということで、タイトルを「抜け落ちた15日間」とさせていただきました。
なお、本記事は、300時間以上寝た切りになってた私が、頭がボーっとする中書いたものなので、この記事自体何か感染予防に役立つノウハウのようなものを理路整然と提供するような内容にはなっていないことを、ご了承ください。むしろデルタ株に罹患した一人の患者がそのリアルな心境をとりとめもなく綴ったものだと思っていただけると幸いです。
振り返ってみると、この15日間の闘病生活は、本当にしんどくて虚しくてつらいものだったし、心身にまつわる様々な大切な自己資本を失ってしまったと痛感しています。
忌まわしい記憶は14日前に遡ります。
1.最初の予感
8月16日(月)の朝。
僕には筋トレやランニングを週3~4で行う習慣がありました。
その日の朝も、起きてまず筋トレをしようと、朝ご飯を食べてすぐに腕立て伏せの態勢になり、床に両手の手のひらを触れました。その瞬間、直感的に「?なんか今日筋トレ辞めといた方がいいかも」と思ったのです。明確に具合が悪かったわけではなかったのですが、直感で「今筋トレするのは何かやめといたほうがいい気がする」と感じ取り、その日の朝は筋トレをすることなく大学院に向かいました。
日中は前期の講義の復習や、ゼミ同期と研究に関するディスカッションをしたりして過ごしていました。何の変哲もない大学院生の一日です。この時も、「今日の自分のパフォーマンス良くないな」とは感じていました。
明確な異変が生じたのは帰宅後でした。夜家に戻ってくると酷い倦怠感に襲われたため、検温。結果、38.4℃の発熱があり、コロナの疑いがあるということですぐに両親によって自室に隔離されました。
翌日PCR検査を受けようという話になってその日は消灯となりましたが、この時点で自分は「PCR検査を受けるまでもなくこれはコロナなんだろうな」と感じていました。
2.ひたすら罪悪感に押しつぶされた
翌朝、8月17日(火)に、地元のクリニックでPCR検査を受けました。病院内には入ってはいけないということで検査自体は病院の外のテントで行われました。
お医者さんに昨日の出来事や今の症状を伝えると、えらく気さくな感じで「そりゃもう確実にコロナだと思うね。ぶちさん、デルタ株の典型的な症状だよ。この地域も今本当にデルタ株が増えてる。なっちゃったもんはしょうがないけどね、ははは」と僕に言いました。
そんな気さくな口調に対し、僕は到底気さくな感じで受け答えする気にはなれず、終始「大変な時期に本当に申し訳ありません」とただただひたすら謝りながらお医者さんの説明を聞いていました。自分でも誰に謝ってんだと思いましたが、コロナでてんやわんやになっているクリニックの慌ただしさを目の前に、自分がこのクリニックの余計な負担の一因になってしまっていることに対し謝らずにはいられませんでした。
結局、2日後の8月19日(木)に陽性連絡が来たわけですが、今回の闘病生活の序盤における僕の感情のすべては「申し訳なさ」「罪悪感」でした。
まずは親に対して。
僕の最たる濃厚接触者は同居人である両親です。コロナ患者の濃厚接触者は行動制限をかけられるのですが、それは僕の両親も例外ではありませんでした。特に母親に対する申し訳なさが強かった。というのも、僕の母方の祖母はいつポックリ逝ってもおかしくないほど衰弱しており、母親が足繫く見舞いに行っていました。しかし、母親は濃厚接触者になったため祖母の見舞いに行くことができなくなってしまったということです。僕の陽性が判明してすぐに、母親はとてもつらそうに「今はばばちゃんに会えないのがつらいよ…」と漏らしていました。母親の行動制限中に祖母が亡くなったりでもしたら…という最悪の事態までも頭をよぎり、心の底から罪悪感に苛まれました。自分のせいで、弱りゆく祖母に母親が会いに行けない状況になってしまっていることに対し、本当につらい気持ちになりました。
次に、友人に対して。
これには2つの意味が含まれます。ひとつは、僕がコロナを発症する直前1週間ほどの間に僕と会ってしまった友人に対し、自分のせいで彼らがコロナになってしまったら取り返しがつかない、という申し訳なさです。もうひとつは、8月後半から9月前半にかけて会う約束をしていた友人にキャンセルの連絡を入れることに対する申し訳なさです。前者に関しては、8月の中旬に僕と会ってしまったすべての人に誠心誠意謝罪の意を込めたLINEを送らせていただきました。僕のコロナ報告に対し気さくに「了解!お大事にね!」と返してくれた友人の中にも、きっとすごく不安な気持ちになってしまった人がいたでしょう。
最後に、所属組織(大学院や職場)に対して。
コロナに罹患してしまったことはまず大学院の保健センターや、研究室の指導教員にすぐに連絡しました。また、僕は大学院を目指す社会人の受験勉強をサポートするような仕事もしているのですが、その雇用元にもすぐにコロナになった旨を報告しました。こういった所属組織に対しても多大なご迷惑をおかけしてしまったと、心から反省しました。
以上のように、コロナと判明してすぐの数日間は、ひたすら罪悪感で頭の中がいっぱいでした。
ここまで自分が罪悪感を感じた理由の一つに、僕が決して徹底して自粛をしていたわけではなかったことが挙げられます。
決してプライベートでは友人に会わず、ひたすらに自粛を徹底していたなら、コロナになってしまっても「罹るときは罹るんだな、仕方ない」とある程度割り切れていたと思います。
けど僕は、世間がこんな大変な状況にある中で、わりと普通に友人と食事をしてしまったり、不要不急の外出をしてしまったりしていました。もちろん、手洗いうがい・消毒・マスクは徹底していました。しかし、「手洗いうがいや消毒は徹底しているのだからある程度出歩いても問題ないだろう」という甘い考えが、自分の中のどこかにあったのだと思います。
外出はするけれども消毒なども徹底する、という僕のスタンス自体が間違っていたんです。消毒などを徹底したうえで、不要不急の外出は絶対にしない。今僕が、この身一つで世間に伝えたいことの一つがこれです。
今回に関しては、自分の行動の甘さが招いてしまったコロナ罹患ですから、完全に自業自得です。闘病初期の自分は「コロナはすごくしんどいけど、自業自得だしつらいとか言う権利は自分にはない。我慢しなきゃ」と思い、あらゆる弱音を抑え込んでいました。
その我慢は、自己否定にも繋がっていきました。
僕は人から「生きる価値が見いだせない」といったシリアスな人生相談をされた際には、よく「生きてるだけでえらいんだよ」とかそういうタイプの励ましをしてきました。だから、コロナで病床に伏している自分にもそう言ってあげればよかったのに、いざ自分が社会のお荷物状態になったことで、急速に生きる意味を見失いつつありました。
コロナで自宅療養してる20代半ばの大学院生なんて、完全に社会のお荷物です。そんな状態が嫌で嫌で、罪悪感が昂ぶり、「一刻も早く身体を完治させて、一刻も早く大学院を卒業して、世のため人のために働きたい。こんな社会のお荷物みたいな状態から俺を早く解放してくれ。俺は誰よりも馬車馬みたいに働かなきゃ生きていちゃいけないんだ…」そういう気持ちが強くなっていきました。
ちなみに、自分の反省点としてもうひとつ挙げられます。それは、ワクチンを打てるときにササっと打たなかったことです。
別に僕は反ワクチン派というわけではなく「いずれは絶対打とう」とは思っていました。ですが、副反応で接種後数日間行動不能になることが面倒に思えたり、そもそも予約手続きが面倒に思えたりして、なかなかテキパキと予約を済ますことができずにいました。そんな風にトロトロしていたらコロナに罹患してしまったわけですから、ワクチンをサッと打たなかったことについても猛省しています。
3.一転、不安に
以上に述べてきたように、発症1日目~発症5日目(8月20日(金))くらいまでは、主に自分がコロナにかかってしまったことへの反省と、迷惑をかけてしまった周囲の人々への申し訳なさという気持ちでいっぱいでした。
この期間の症状の方はというと、カロナール等解熱剤を飲んでも高熱が下がる気配がまったくなく、咳をするたび&息を吸うたびに針で刺されたようにのどに激痛が走るというような状態でした。
最終的に、38℃後半~39℃前半の高熱が丸9日間続きました。
この間、解熱剤を飲んでも熱は下がらないし、朝目覚めたときに一時的にでも熱が下がる気配もなく、ここまで長く高熱が続く病気というのは初めての体験でした。
のどの痛みは、6~7日目ごろから治まり、咳だけが残るというような経過を辿りました。
自宅内で家族から隔離された生活環境は相変わらずで、自分は自室(実家の2階)と最寄りのトイレしか立ち入り禁止で、歯磨きやシャワーも3日に1度だけ、という徹底した隔離政策を両親によって採られました。食事や冷えピタなどは都度親がドアの前に置いておいてくれるといったイメージです。
さて、ここまで症状が続くと、罪悪感と反省に苛まれつらさ自体は我慢してきた自分といえど、徐々に不安になってきました。これは、本当に治る病気なのだろうか?重症化してしまうんじゃないだろうか?・・・・・・・
この不安に一層の拍車をかけたのが、経皮的動脈血酸素飽和度 (SpO₂)の急激な低下です。
コロナ患者には、オキシメーターという脈拍数と血液中の酸素濃度を測定する機械が与えられるのですが、このSpO₂値は、96以上あれば正常値なんですね。逆に、この値が95以下となると、もはや軽症ではなく中等症ないし重症とみなされ、入院されたり酸素マスクを装着させられたりするわけです。
僕の場合、発症5日目まではSpO₂値が97~98と極めて正常な値を示していました。しかし、発症6~7日目あたり(8月21日(土)ごろかな)の夜、なんとSpO₂値が92を示したのです。92というのは即入院・即酸素が必要な値で、生死に直結する値です。ただ不幸中の幸いか、呼吸の苦しさや胸の痛みはありませんでした。
慌ててフォローアップセンター(コロナの自宅療養者が何かあった際に相談できる窓口)に連絡しましたが、その際は緊急搬送という対応ではなく、看護師さん電話口で応急処置を指示されるという対応に留まりました。
幸いなことに、看護師さんの指示に従って1~2時間すると、SpO₂値は95まで回復したのですが、この時に僕は東京都が完全に医療崩壊を起こしていることを悟りました。
すぐに救急車が必要な状態になっても本当にギリギリになるまでは自宅で何とかするように求められたこともそう思った一因ですし、救急車も5時間待ちとかとのことでした。SpO₂値が異常値を示してもすぐに入院できない。それどころか救急車も来れない。
万が一重症化したら、自分はなすすべもなく自宅で息を引き取るしかない。本気でそう思いました。同時に、コロナから治ったら二度と罹患しないように自分の身は自分で守るしかない、そう強く思いました。
さて、SpO₂値自体はなかなか良くならず、発症7日目~発症11日目(8月26日(木)ごろ)までは、朝寝起きで測定すると93などかなり際どい数値で、日中になると95~96くらいまで回復する、という日々が続きました。発症14日目の現在はそれよりもさらに回復しており、相変わらず朝のSpO₂値は悪いのですが日中になると97~98を示すほどまでには回復しました。
そんなこんなで、発症7日目以降は「治らないんじゃないか」「大凶を引いてしまったんじゃないか」という不安が日に日に大きくなり(熱が下がらないのもつらかった)、精神的にもすごく弱ってきていました。何か月も同じ部屋に入院しているがん患者とかは、この比じゃないくらいつらいんだろうな、頭が上がらないな、なんて考えるようにもなりました。
また、SpO₂値の一件で、本気で死ぬんじゃないかと思ったため、この頃から人の死を扱うフィクションに興味が失せたり、人の死にまつわる報道ひとつひとつに胸が痛むようになりました。自分が実際に死にかけたのだから、人が軽く死ぬような漫画とかもう読みたくないなと思うようになりましたし、ここ数日報道されているアフガンのニュースで「死者●名」とか言われるといちいちその裏にあるひとつひとつの人生に思いを馳せるようになりました。
4.心身からすっぽり抜け落ちたもの
発症10日目、8月25日(水)の夕方に、10日ぶりに平熱を記録しました。
常にカロナール(解熱剤)を飲んでたとはいえ、10日ぶりの平熱は本当に希望が持てましたし、終わりのない真っ暗なトンネルに一筋の光が差したような気がしました。
これを書いている現時点ですら完治はしていないので油断はまだまだ禁物ですが、長い長い闘病生活に終わりが見えたことで、新たな不安の種が生じました。
それは、
保健所から治った扱いだよとGOサインが出たところで、スムーズに以前の生活に戻れる気がしない
というものです。
丸10日以上寝た切りだった僕は、一日当たり20歩も歩いてないんですよ。当たり前ですけど頭を使う行為も一切していません。そんな僕がひしひしと感じているのは、筋力の低下・体力の低下・集中力の低下・思考力の低下です。
およそ若者が健全に活動するのに必要な心身の資本のすべてが、ゴッソリ削られた、そんな感覚です。
たぶん今は、家から最寄駅まで歩いただけで満身創痍になるでしょう。筋肉量が落ちたのも目に見えて判るため、コロナになる直前筋トレしてた自分のたくましい身体とはまるで別物になっていて非常に悲しいです。
何より自分は大学院生です。9月の上旬には研究の中間報告会もあります。このままでは、何も発表できない。いや、8月前半までは真面目に研究していましたが、8月後半に進める予定だった研究を何も進められていないし、せめて8月前半までの研究をまとめようにも、それをまとめるだけの集中力・思考力、そして時間が果たして残っているのか……。まともに発表が出来なければ、コロナになるまでは真面目に取り組んでいたことすら無かったことになってしまう。悔しい。
今は焦りばかりが増しています。
ですが、生きてさえいれば、生きてさえいれば何とかなる、やり直せると信じて、少しでも前向きに事を捉えたいと思います。
最後の最後まで油断せずに、回復に努めたいと思います。
それでは今回はここまで。
ぶち
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