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記憶の棚卸し▶▶母と祖母

母と、母方の祖母の話。

家に一緒に住んでいた、父方の祖母のことは
おばあちゃんと呼んでいた。

母方の祖母のことは
「ババ」と呼んでいた。

今でこそ、”ババ”というネーミングはメジャーになったが
30数年前、祖母のことをババと呼ぶなんてことは
誰一人していなかった。

友達の前で”ババ”と呼ぶのは恥ずかしかったので
唯一来てくれた祖父母参観では
その場しのぎに「おばあちゃん」と呼んでいた気がする。



ババの晩年は
ガンだった。

高校生だった私は
自分の高校と、ババが入院している病院が
目と鼻の先だったので

毎日、部活帰りの夜遅くに
病院に寄って行った。

ガンだとは知らずに
いつかは良くなるだろう、

そう甘い考えでいた私。

どんどん痩せていくババを見て
ちょっと厳しいかな、

そうは思っても
大好きなババだったので
毎日病院に寄った。

食欲が落ちてきたけど
アイスが食べたい、

そう言っていたので
アイスを買って持っていくこともあった。


春のある日。

さして暑くもない時期に
その日も、カップのアイスを袋にさげ
病院のエレベーターを昇った。


病室に入ると、


空になったベッドが。


どこかへ移動したんだろうか?


「おばあちゃん、亡くなったみたいだよ」


隣の患者さんに
ボソッと言われた。


え?


え?


え???

うそ、


なんで?

え??


知らない、、よ?

「お母さんね、もう声かけられないほどでね、、、
おじさんかな、弟さんもきてね、手続きしていったよ」


え?


、、、


お母さんから
メールも電話もなかったよ?


昨日、いつものように
ババと話したじゃない?

え?

こんな、

突然。


誰にもこの悲しみを共感してもらえないまま
エレベーターに乗った。

エレベーターで、泣いた。

袋にさげたアイスは
溶けていたろうか。



そのまま、バイクに乗って、家へ向かった。


ふと、着く前に、
二つ下の弟に電話した。


「ババ、亡くなったって」


「え・・・まじ・・・、そうか・・・」


電話口で泣く、とか、
そんなのはお互いしなかったけど


私が帰っても
弟はなかなか帰ってこなかった。


分からないけど、

どこかでひとり、
泣いていたんだろうか。



家には母はいなくて、
次の会ったのは
葬儀の時だった。


気丈にふるまう、
だけど、少し落ち込んだような母を見て
近づくことはできなかった。


葬儀のことは、覚えていない。

参列者に頭を下げるその母の姿だけが、記憶に残っている。






初盆の時、
母と一緒に、ババのお墓参りに行った。

墓を出ると
車内で突然
母はむせび泣いた。

運転しながら
嗚咽をもらしながら、泣いていた。


私はじっと
何も言えず
助手席に座っていた。


母が泣くのを初めて見たのは
この時だけ。後にも先にも。



当時は、ただ悲しいんだろうな、としか
思わなかったけど


私も母になった今、思うことは

祖母の臨終を知らすこともできないほど
亡くなった後、家に帰れないほど
娘に顔を合わせられないほど

よっぽど母は
深い悲しみを負ったんだな、

それはもう、到底想像できないほどに。

自分の母が逝くということ。


私は耐えられるんだろうか。

そして、我が子たちに
どんな対応をするんだろうか。



なぜか沸き上がった記憶は
偶然なんかじゃないから、

書き残しておこう。

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