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quan(久遠)成実図Q&A

先週「久遠成実とダブルビッグバンについて考える」という記事を書いてみて自分で読み直してみたところ我ながらよく分からんなーとか詰めが甘いなーと思うところが多々あったので特に誰からもご意見・ご感想はいただいていないのですが自分自身が抱いた疑問をもとにQ&Aで補足・訂正していこうと思います。

quan(久遠)成実図再掲

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Q1 原球Qって何ですか?

宇宙の始まりが点だとすると時間も空間も値が0の原点となります。しかしこのような点では物理法則が適用できなくなるようです。幸い量子力学では空間においてはプランク長、時間においてはプランク時間より小さいスケールの物理現象は観察され得ません。したがってビッグバンの最初期状態もそれが物理現象である限りプランク長とプランク時間よりも大きなスケールを持つ現象だと考えられます。こうした大きさを持つ領域は位相幾何学的に球だと考えられます。ただし球というのは点からの自然な拡張としてそう考えただけで位相幾何学的に球以外の形状の領域、例えば原球ではなく原トーラスなのではないのかというところまで詰めて考えたものではありません。したがってそういう意味では方便として原球Qと置いているということになります。また形而上学的な可能性としてはそもそもの始まりからして閉じていない空間があるのかもしれないですがquan(久遠)成実図は形而上学的着想として回帰する閉じた構造を考えるために作ったものなので、全ての話が仮にそう考える場合にはという前提付きとなります。

Q2 ダブルビッグバンって何ですか?

「すごい物理学講義」では量子のレベルでは時間は存在せず共変的量子場から生じる様々な変数の平均値として時間が現れてくるといいます。他方、反物質とは時間を逆行する粒子と解釈できるという話も聞きます。仮に反物質が多い領域があると平均値として現れる時間の流れは我々の時間と反対方向に流れることになれば原球Qから始まって原球Qに還りつつエントロピー増大の法則とも矛盾しない回帰構造を作ることができるのではないかというのがquan(久遠)成実図の着想の出発点となっています。
原球Qの内部は常に量子的にゆらいでおり膨大な数の粒子の対生成と対消滅が繰り返されているとします。対生成では物質と反物質は正確に同じだけ生成されます。このため平均的には時間が流れたりしないのですが量子的なゆらぎのため一定の確率で粒子の密度に偏りが出てしまい時間が流れ始めます。物質と反物質の量は正確に同じなので原球Qのどこかで時間が流れ始めると原球Qの反対側で必ず反対方向の時間が流れ始めます。時間が流れ始めるということは当然空間も広がり始めるのでダブルビッグバンが起こることになります。このとき原球Qの中から何がどれくらい飛び出すかは確率的に決まりますがいったん何かが飛び出せば必ず反対方向にも符号だけが逆で絶対値では同じ量だけ飛び出すとすると全体では釣り合いが取れます。このときエントロピーの符号も逆になっているとすると構図全体では定常になります。
ダブルビッグバンが原球Qから始まり原球Qに還ってくる回帰構造を持つとするとダブルビッグバンは何度でも繰り返し起こり得ることになります。こうした繰り返しがquan(久遠)に続いているのであれば原球Qから生じうるあらゆるビッグバンの初期値が既に実現されたことになります。ループ量子重力理論に基づく情報理論の解釈によれば宇宙全体の情報は有限でありビッグバンの初期設定の数も有限のはずだからです。

Q3 成実界面とは何ですか?そこでは何が起こるのですか?

まず成実界面という名称は構図全体の名前から便宜的にとったものであり界面の性質を言い表したものではありません。成実界面で何が起こるのかというと特別なことは何も起こりません。特別なのはその時間に2つのビッグバン宇宙の時間が交差するというだけであって世界菱内部の話ではないのです。成実界面においてはquan(久遠)の時間の中で2つの宇宙はほとんど無に帰しています。しかし素粒子の崩壊は確率的に起こるものなのでわずかに素粒子が残っている確率も厳密にはゼロにはならないのでしょう。しかし空間もとんでもなく広がっているので粒子の存在密度は途轍もなく低くなっているはずです。2つの宇宙では物質と反物質の存在比率が逆転しているのでもの凄く低い確率で粒子が衝突して対消滅してしまうこともあるかもしれませんが大勢はほとんど何の障害もなくすり抜けるはずです。

Q4 縦軸の時間とは何ですか?縦軸の時間がquan(久遠)に続くとはどういうことですか?

原球Qから上下に広がりながら伸びる2本の直線がダブルビッグバン宇宙を表すのであれば縦軸は空間を1本の線で代表した時空座標だと理解するのが自然であり縦軸の時間と言われても意味が分からないという気もします。quan(久遠)成実図には成実界面の上下に時間tに虚数単位を並べて描いたものが世界菱を挟むように上下から流れているかのようにみえる記号を書き込んでいますが、これはイメージに過ぎず数学的な意味を持たせているわけではありません。例えば実の時間に直交する虚の時間の流れが存在し虚の時間と空間は本当は同じものであるなどということを主張するつもりは毛頭ございません。
だったら変な記号を書くなと怒られそうですが縦軸の時間と空間が図の中でごっちゃになってしまったのは私の作図能力の限界ないし不足に起因するものであり大変申し訳なく思います。
それで縦軸の時間とは何かということですがまず量子的ゆらぎがダイナミックなものである場合を考えます。例えば時間が平均値に過ぎず量子のレベルでは時間は存在しないということであれば素粒子は実の時間にとらわれず過去と未来を行き来できるし実際にしているとします。一方で平均値として時間が流れるのは初期の不均衡のせいでビッグバン宇宙側では素粒子が未来に移動する確率がわずかに大きくなっているためだとします。そうだとすると実は素粒子は時間を行き来して同じ状態を何度もやり直しているのではないかとも考えられます。このやり直しがquan(久遠)に繰り返されているとするとある物理系において確率的に実現可能なあらゆる状態が既に実現されたと考えられます。系の取りうる状態の数は有限だからです。この量子状態の繰り返しが縦軸の時間がquan(久遠)に続くということの意味になります。この場合、例えば1つの量子が二重スリットを通り抜けるとき、文字通り両方のスリットを通っているし自分自身とも干渉しあっているのです。縦軸の時間の中では1つの量子が同じ時間にいくつでも存在し得るからです。平均値としての時間が流れるレベルのさらに上のレベルに存在する意識が時間を通じて量子を観察すると波束の収束が起こったように見えますが分岐した世界線が消えてなくなったわけではなく意識の方が時間軸上を不可逆に移動してしまったためにその意識からは見えなくなっただけということになります。
他方、量子的ゆらぎはそのようなダイナミックなものではなく状態は静的に重ね合わされているだけで実現しなかった可能性は世界から捨てられてなくなるという考えもあるでしょう。しかし原球Qからはquan(久遠)にダブルビッグバンが飛び出し続けているのですから同じ初期設定のビックバン宇宙も何度でも繰り返します。そしていずれば実現可能なすべての可能性が実現されます。この場合はこのことが縦軸の時間がquan(久遠)に続くということの意味になります。
そんなふうに考えていたのであれば変な記号を書かずに最初からそう言えばいいのにと思われるかも知れません。しかしながら先週quan(久遠)成実図を描いてから縦軸の時間というところが一番詰めが甘いと感じ、後付けで必死に考えた結果がこれなので何卒ご容赦ねがいます。

Q5 結局、quan(久遠)って何なんでしょうか?

宇宙全体の情報=とり得る状態の数が有限だとします。そうすると途方もなく大きな数であるが有限である回数の試行で可能性を出し尽くすことができるはずです。有限であるが可能性を出し尽くす程度に十分大きい数のことをquan(久遠)と名付けています。大乗仏教の久遠成実においても永遠に等しいほどの遥か昔ということを言っても無限であるとは言い切らないようです。「すごい物理学講義」の著者ロヴェッリ氏も無限を非常に嫌っていました。私としては無限が物理世界に実在するとすると神秘的超越者の壁を乗り越えることができないからだと理解しています。仏教もまた神秘的超越者(ブラフマンのような)を嫌います。私としてもそのような姿勢に共感しています。私にとって形而上学というのは真理を探究するものではなく形而下の現象を考察する時の助けになるのであれば考えてみても良いという程度のプラグマティックなものです。したがって形而上のことについては想像力の赴くまま自由に考えていいと思っています。それが事実かどうかは直接問題にならないからです。
そういう観点でquan(久遠)成実図を見たとき、心に浮かぶのは原球のようなものは一体どこから来たのかという疑問です。場合によっては原球Qこそが唯一絶対の神であるということにもなりかねないからです。この場合、原球Qには本来固有の値のようなものがあるのかということを考えてみます。対生成は別に材料がなくても起こり得るのであればこれまでの理論の前提として原球Q自体が何らかの固有の値を持っている必要はないと思われます。つまり固有の値はあってもなくてもいいでしょう。その場合、私の希望としては無い方がうれしいです。原球の中身が空っぽなのであれば原球Qはどこからも来る必要がなく、あってないようなものです。そうであれば原球Qが大乗仏教の説く「一切皆空」の形而上学的解釈ともなり得るからです。

Q6 成実界面の反対側にすり抜けた宇宙が世界菱の上下にも展開していると完全な回帰構造になってないのでは?

ここまで回帰構造を作ることにこだわってきたのであれば最後に原球Qの位置に戻ってきたとき成実界面をすり抜けた宇宙が原球Qに回収されていないように見えるのはどうなのかという疑問が生じます。もし原球Qが空っぽではなく固有の値を中身として持っている場合、宇宙を回収しきれない構造だといずれ原球Qが蒸発してしまうのではという余計な心配も出てきてしまいます。他方、両宇宙が成実界面をすり抜けた後はほとんど無に帰しているので原球Qの位置に戻る頃には雲散霧消したとみなしていいし、原球Qの中身が空っぽで回収しなければいけない中身なんかそもそもないとすると時空全体が構造的に回帰し総体として定常ならば宇宙の回収にこだわらなくてもいいかもしれず当初はそれでいけるかという気もしていました。それ以前に膨張し続ける時空をどうやったら原球Qに回収できるのか思いつかなかったのもあります。それでも何となく気持ち悪いので再考してみたところ次のような改良版の図ができました。

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黒い太線が入って落花生のようになっています。成実界面をすり抜けた後に世界菱の上下に展開する宇宙の部分を便宜上、余剰宇宙と呼ぶことにします。元の図では余剰宇宙は膨張し続け原球Qには戻りません。改良版の図では余剰宇宙が曲線を描いて原球Qに吸い込まれ図の両端で完全に回収されます。
回帰構造の図としてはまあまあの出来ではないかと思うのですがなぜそんなことが起こるのでしょうか。成実界面をすり抜けるころには物質(反物質)を構成する素粒子は崩壊が進んでほぼなくなっています。しかし何らかの理由で重力だけは残るとします。重力の担い手はこの際問わないことにしましょう。まあ例えばダークフォトンのようなものかもしれません。そうすると余剰宇宙の重力が世界菱を引き延ばしてその膨張を加速させる一方で余剰宇宙の方はエネルギーを失って世界菱に落ち込みます。最終局面で余剰宇宙が滝のように原球Qに向かって落ち込むときは反対に世界菱ではインフレーションが起こっているでしょう。ここまでくると妄想がはかどりすぎていると怒られそうなのでこの辺で止めておきます。

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