奇跡の世代の卒業式

掴みの文を一時間考えて結局何も浮かばなかった小澤です。ここ書かないと始まらないので書いちゃいますね。

今日は中学校の頃の卒業式の話をします。もしかしたノート以前書いた内容かもしれません。そんな時は非常事態なので泣いて謝りますので許してください。

僕の中学校はいたって普通の公立中学校です。ごくありふれた校舎とグランド。変わったところなどほとんどないどこにでもある中学校でした。ただ茨城県南、千葉との県境付近にあるという立地からか不思議と不良が毎年出る中学校でした。

各世代でいろんな話を聞きます。

例えば自転車で他校に乗り込んだとか。『うら〜出てこい、うらあ』ですよ。漫画みたいな。もうすごいでしょ。乗り込むという荒さと自転車というコミカルさ。その他校よくよく考えたら結構遠いの。そこまでせっせと自転車こいでるとこ考えたらもう。

さらに別の世代は消火器を学校でばら撒いた末に校長だか教頭だかの背中けって新聞に乗っちゃったり。

もっと古い世代で言ったら廊下自転車で走り回ったり、教師ダンボールに詰めて階段から転がしてたりしてたらしいです。真似しないでね。

そんな数々の不良が過ごしてきた中学校。小澤の世代はどんな世代だったか。

なんと不良が一人も出なかったのです。みんないい子笑顔が似合う素敵な世代だったんです。あまりにもぱたっと不良がいなくなったものだから『奇跡の世代』と呼ばれていました。ちなみに僕しか呼んでません。

やんちゃではありましたよ。ひと月にどこかしらのガラス5枚は割れてました。でも尾崎みたいに割に言ってるのではなく、はしゃいでたら割れちゃったみたいなのがほとんどでした。

そんな素敵溢れる世代も卒業の時を迎えます。先生たちも力が入ります。みんないい子でどこか思い入れが強い世代だったんだと思います。

そんな世代の卒業式、例年とは違った試みされました。それは『卒業生が在校生、保護者に向かって歌を歌い、そのあとに代表者が感謝の言葉をのべる』というものでした。

これが本番めちゃくちゃ感動的で。卒業生はもちろん保護者、在校生がみんな泣いてるという感動に包まれる卒業式になったのです。

そんな中、小澤

全く泣けていないのです。なぜか。遡って書いていきます。

卒業式前日のことです。仲のいい男の子と卒業式でなくかどうか話していました。二人ともどんな演出があっても泣かないという結論にいたり、「卒業式、泣くことができたら500円」という遊びをすることになりました。神聖な式で遊ぶ愚か者です。

家に帰り考えます。どうやったら卒業式で泣けるか。部活を思い出す?いや夏休みの練習ほとんどいってない、泣くほど頑張れてない。友達との思い出?だめだ全然ピンとこない。勉強?した記憶が一切ない。

考えれば考えるほど泣ける要素がなく、それで泣きそうになっていました。どうするか。

「ん?いやまてよ。これって」

卒業式当日。

小澤は学校にわさびと、からしのチューブを持って現れます

物理で泣きに行こうと決めたのです。

卒業式始まる直前、わさびを目に塗り、からしを丸呑みします。

そして始まる卒業式。

感動に次ぐ感動。みんな泣いてます。小澤以外。卒業生、在校生、保護者、先生みんな。小澤以外。

小澤は物理でも泣くことはありませんでした。何より

からし食い過ぎてずっと具合が悪かったのです。


多分胃が荒れちゃったんですね。

まあ泣けなかったけど、どっちも泣いてないなら引き分けだよな。

勝負してた友達の方を見ます。


しっかり心から泣いてました。


もう勝負とか忘れた泣き方してました。結局500円は支払うことも支払われることもありませんでした

この卒業式でわかったことは、人への感謝とかそんなことではなく、「からしは丸呑みしたら胃が荒れる」です。

読んでいただきましてありがとうございました🙇‍♀️







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