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『のだめカンタービレ』でクラシック再勉強【その5】

こんにちは!音大を卒業して20年のパクチーです。すっかりクラシックから遠ざかった日常から、漫画『のだめカンタービレ(以下のだめ)』の再読をきっかけに、日々、新しい気持ちでクラシックに出会い直しています。漫画の登場順にクラシック音楽を聴くシリーズ、今回で第5回。


大学卒業後しばらくの間は、音楽に関わる仕事をしていました。その時持っていた音楽に対するアプローチは、かなりロジカルなもので、感性丸出しで感情的に反応するのは、自分には出来なかった。どこか子供じみているとすら思っていたかも知れない。

ところが、『のだめ』で、漫画に出てくる音楽を、今、「聴いてみたい」「もう一度聴きたい」と思って聴くと、わたしはそれを「感情」で受け取って、ロジックで補足分析していた。かつてと逆の方式で受け取っているのだった。以前と違う情報を、以前よりたくさんの量で受け取って、涙でびしょびしょに洗ったみたいになっていた…、おお…うわあ…自分がそんなことになるなんて…。

内省と外側。内観と環境。感受するとは、内側にあるリアリティで確かに感じることで、ロジックとは、外側にある自分以外が構築している。内面の世界と、外的世界。その両方が必要なのは、何もクラシックの演奏だけではないと思うけど。

時間をかけてこのnoteを書いて、時間をかけて音楽を聴いて、理由のない謎の情熱。わたしは、自分の中から、大事なものを見つけようとしてる?


デュカス 「魔法使いの弟子」
Dukas : L'apprenti sorcier, scherzo symphonique 

パリを拠点とする、ルー・マルレ・オーケストラ(以下マルレ)の指揮者がスケジュールをキャンセルしてしまった為、急遽、定期コンサートを次期常任指揮者である千秋が振ることになった。その本番、2曲目。千秋の指名は本番3日前であったので、リハの時間もほとんどまったく取れず、実力のある奏者も十分おらず、悲しいことに散々の出来…。

お馴染み、ディズニーの「ファンタジア」で使用された曲…って、イマドキの子は知らんかな?パクチーはお家にビデオがあって、子供の頃何度も見た記憶がある。ミッキーが魔法使いの弟子で、何故か、人間の怖そうなお爺さんが師匠。セリフはない。良くできたアニメで、良く出来すぎてて、あの映像がばんばん浮かんできてしまう。一言一句(?)憶えてると思ってたけど、意外に記憶違いの箇所もあったわ。

…と、思ったら!今wiki見たら、アニメ用には編曲されてんだわ!わお!どーりで!!デュカスはフランス人で、気に入らない作品は全部捨ててしまう、完璧主義だったそう。「ファンタジア」のアニメも、1年がかりで、桁違いの予算がかかったらしい。確かにすごかった。でも、怖かった…。

ユーフォニウムかな?などの低めのホーン隊や、トライアングルの使い方が、映画「ハリー・ポッター」シリーズの音楽にインスパイアを与えているように感られる部分があって、面白かった。うん、魔法感。


シューマン 交響曲第1番
Schumann : Symphony No.1

千秋が振るコンサートの終曲。本番終わって、楽屋で燕尾を投げつける千秋…。一曲目のボレロの時点では、笑い混じりの拍手をもらっても、まだまだへこたれていない様子だったが、デュカスとシューマンの出来は、かなり堪えたよう。日本にいる頃から千秋の指揮を見ている黒木くんの慰めが、実に温かい。黒木くん本当に良い人…!

オケを振って「どうにもできなかった」とは、どんな感じだろうか。音程が合わない。音の入るタイミング、切るタイミングが合わない?アマチュアの合唱の指揮なんかすると、歌がどんどん早くなって伴奏と合わなくなったり、丁度1拍ずれたまま(あるいは1小節ずれたまま)ずっと終わりまで行くことも、まあ、あるっちゃある(そしてご本人たちは気付かない)。楽譜に書いてあることと違うことが起きていたら、「何も出来なかった」という気持ちに、まあ、なるのかな…。

曲はと言えば、【】でピアノ・ソナタが既出のシューマンさん。良く鳴るオーケストラを書くのはお茶の子さいさい、考えずともばんばん"映え"るフレーズばっかり並べて曲が書けそうな彼、シューマンは、対位法の基本が当たり前にがっつり脳髄に入ってるんじゃろうのう。しかし…それにしても、初めての交響曲だから?なんだかCMのクライマック部分だけを切って繋げたコンピレーション作品なのかってくらい、1楽章は最高潮の連続。力入ってる!全4楽章。

そして、どの交響曲でも、2楽章がゆっくり穏やか安眠ミュージックであることは、ままあるんですが、この2楽章は「俺の2楽章では寝かさねーぜ」という、穏やかながら、前進する推進力も保った楽章な感じがしました。シューマンさんの男気。そう。この交響曲は「男気」。各楽章に可愛らしい副題が付けられてるが、なんだ、これ、違うだろ「男気」やろ(←こら)。…でも、まあシューマンさんが曲にタイトルをつける時、大抵いつもポエちっくで可愛いくはある。

コンサートが終わってみて千秋の独白。「あの人(シュトレーゼマン)の使える魔法が、今ならオレにも使えるんじゃないかって──思い上がりだ」。

千秋が「魔法」と呼ぶもの。

楽器はある。演奏者がいる。楽譜もある。ステージで良い演奏をしたいという思いもある。つまり「必要なもの」は全部揃っている。誰もが名奏者じゃないにしても、10回に1回良い演奏が出来るなら、「出来る」という気持ちにさせて、その1回を本番に持ってくるように、最短で引き出してまとめる、そんなような感じのことが、指揮者の「魔法」なのかな、と何となく思った。イマジネーションを引き出して、最短で導く。

例えば、1回のレッスンで、別の人のように生徒を変えるボイストレーナーの先生がいる。カメラマンなんかも、本人の知らない、隠された表情をぐっと引き出すような人がいるかもしれない。明文化されてない、その人の中にある要素と要素の回路を繋げて、新しいパッションを発見させる。勇気を与えて、背中を押して、新しい解放先に向かって、一緒にテンションを上げていく。

「完成された状態」を、既に皆んなの中に見ている指揮者は、だから今の状態から、これがこうなって、こっちがこうなって、これがこっちになたら、ほら、もう出来てるよ、と。それは…人間を愛しんでるから出来るんだよね。信じているし、プロセスを一緒に楽しんでいる。そして何より、その、「完成された状態」という、楽園のビジョンが、誰にも文句がつけられないような、美しく洗練されたものなんだ。その人の持てる精神性の集合体。その人にとって、「楽園」は身近で、何度でも訪れることができる。


ワーグナー 「タンホイザー」序曲
Wagner : "Tannhäuser" Overture 

千秋を観に(冷やかしに)来ていた、先輩指揮者の松田。オーボエの黒木くんに、松田さんの振るコンサートを観に行こうと誘われ、千秋はルセール管弦楽団の定期公演を黒木くんと観に行く。松田さんは、日本の有数のオケ(「Mフィル」というらしい…日フィルがモデル?)の正指揮者に就任しており、千秋が日本で結成した「ライジング・スター・オーケストラ」の、千秋の後任の指揮者を引き受けてくれている。松田さんがMフィル以前に常任指揮者をしていたのが、ルセール管弦楽団。

ワーグナー、好きな人はワーグナーばかり大好きなワーグナー、これまでちゃんと聴いていない…。なるほどね!メリハリがすごい。「全部の楽器が鳴ってるのか?!」というド派手な音のうねりで、ゴージャスさに打ちのめされる時間と、非常に聴き取りやすい、歌いやすいメロディーをしっかり聴かせる時間。の、メリハリが、非常に効いているんですよ!これは「聴いた」感がありますねー!高いチケットを買って、わざわざきちんとした格好をして来たお客様を、「満足して帰す」ってのは、非常に値打ちのある能力ですよ。誰でも持ってるわけじゃない。

コンサートが終わって、千秋は松田さんに無理やり飲みに誘われる。決して善人ではないが、憎めない、非常に人間味のある松田さん(一応若手No.1らしい)。家にまで乗り込まれて、鉢合わせしたのだめをフォローする千秋は、なんだかんだでやっぱりのだめを愛しんでるんだなあ〜と思えて微笑ましい。悪態をつきながらも、松田さんの分のコーヒーも淹れようとしている千秋、育ちが良いなり…。


モーツァルト ピアノ・ソナタ第11番
Mozart : Sonata No.11 K.331

さて。のだめの、オクレール先生のピアノレッスンは、モーツァルト。音の響き、音のバランス、フレーズの構成の理解を定着させるために、1小節単位のレッスンする、こともある。パクチー、リストの最初の和音だけで1時間、最初の3段だけで、4時間レッスン受けたことがある…。わたしの飲み込みが悪い、そしてむしろ先生がすごいよなあ…。

全3楽章ですが、この3楽章が、あの「トルコ行進曲」でござい〜。まだ近所でピアノを習っていた小学生の頃に発表会で弾いたけど、高校生になってから音大の先生に教わったトルコ行進曲は、全く別物だった。オスマントルコだった。トルコ行進曲は、オスマン軍楽からインスパイアされており、オスマン帝国兵はその軍楽隊の音楽に鼓舞されて、非常に勇猛だったらしい。オスマン軍楽、結構好きです。日本ではドラマ「阿修羅のごとく」とか、CMとかで使われた曲が有名。だから、つまり、結構「どしっ、どしっ」とした行進曲で、ブラスバンドが「ぶびゃー」ってビリビリした音を出す、ころころくるくるした軽やかな曲ではないんですよ。殺人の音楽だ。それを、殺戮の匂いを全部削いで、ニュアンスだけ持ち込んでポップにしたのが、この曲だよなー。

1楽章は、シンプルで愛らしい、素朴なテーマから始まる。それが変奏曲で、いろんなバージョンに味変していく。モーツァルトは、本当に脳みそをぱかっと開いて、軽くトランスした状態で弾くと、最高にスリリングなエンターテイメントである…。


チャイコフスキー ロマンス
Tchaikovsky : Romance Op.5

のだめや千秋と同じアパートに住むターニャが、試験のために練習している。ターニャは、チャイコ(チャイコフスキー)と一緒のロシア人。

チャイコのピアノ、弾いたことないなあ!ちきんと、がっしり作られてる曲。チャイコは素敵なバレエ曲いっぱい書いてるから、小曲でも、コンパクトに世界がきちんと収められている感じがしますね。千秋がターニャのピアノを聴いて「濃い」と言っている。「濃い」と呼ばれる部分は、「ため」とか、急に音量を上げるとか、下げるとか、「感情たっぷりに」と言われて変わる部分ですよねー。セクシーさ、色っぽさと言いますか。あんまりやると、くどいし、同じことを繰り返してるように聞こえちゃうし、嫌らしいので匙加減も重要です。でも、全然出来ないのも、味のないスルメみたいで良くないね…。得意な人もいるけど、人の目を気にする日本人は、あっさりする人の方が多いかな?油絵と一緒ですか?日本の油絵は水っぽい、三代ビフテキ食べないとヨーロッパような濃さは出ない、と、初期の油絵画家が、誰か言わなかったっけ…?


プーランク ピアノ・オーボエ・バソンのための三重奏
Poulenc : Trio for Oboe, Bassoon, and Piano, Fp43

のだめ、室内楽の試験のために、オーボエの黒木くん、バソンのポールと、トリオを組む。命名「ヤキトリオ」。客観的な感想を聞きたくて、千秋の部屋まで演奏しに来た3人に、「これはちょっと嬉しいかも」と心の中で言う千秋。うん、こういうの、実際結構嬉しいよ!

プーランクはフランス人で、バソンもフランス固有の楽器だそう。一般的にクラシックの奏者はバソンの後継のファゴットを使う。プーランクは、自分の音楽がどうしてもポップになってしまうのを、コンプレックスに感じていたらしいんだよね。彼の時代、他の作曲家は、オーソドックスな調性から離れて、無調の音楽を展開させて行こうとし始めていた。前衛な人たちのようなアグレッシブな才覚も持たず、前時代的な重厚な音楽も書けず、しかし生粋の都会っ子パリジャンのプーランクは、何と言うんでしょう…すごい…高級なCMミュージック的な…?「芸術」の括りに入る「ポスター」みたいな?単純でない複雑さもありながら、芸術ほど重くない。実は、こういうのって、意外に使い勝手が良いというか…。


ショパン 練習曲作品10第2番
Chopin : 12 études Op.10-2

のだめ、コンセルバトワールに来て最初のピアノの学年末試験です。試験の前に、部屋で千秋に演奏を聴いてもらいます。

ショパンのエチュード(練習曲)で、こういう系が一番精度高いんじゃないかとわたし個人的に思うんですけど、すごい、なんか、気持ちよくありません…?体が…。マッサージ効果が…。

実は、のだめ、Ruiがエキストラをした千秋のマルレのコンサートの後、RuiママがRuiをアメリカに連れ帰ろうとするところに居合わせていました。パリで住む家を「自分で探したい」と言うRuiの言い分を無視して、Ruiの頬を引っ叩いて力づくで引っ張って行く様子を見て、のだめは立ったまま小さく震えていた。暴力的な方法でピアノを強要されるところに、自分のトラウマとリンクする部分があったのかもしれない。

千秋はのだめの様子に気付いて、のだめは暴力的に無理矢理ピアノを弾かされることから逃れるために、演奏家として遠回りしてきた、しかしそのプロセスは決して無駄になってないと感じ始めたことを、のだめに寄り添って伝える。

Ruiを過剰に意識して、のだめが自分の可能性を信じられなくなりそうになったのは、それは千秋自身も体験したことのある「焦り」だった。「焦り」を手放す方法、それは遠回りに見えた道のりの途中で、自分が拾ってきたものを、受け入れて、安心して生かすことによって、のみ、手放すことが出来るのかもしれない。


リスト 超絶技巧練習曲 第12曲
Liszt : Études d'exécution transcendante, S.139 No.12

ショパンに続いて、リストの超絶、こちらものだめのピアノの試験の課題曲で、千秋に聴いてもらいます。

「雪あらし」の副題がついていて、なるほど確かに、みぞれっぽい重い雪がどしゃーっと吹き付けてますね。個人的には、絶対に弾きたくない…。


ドビュッシー 「ピアノのための12の練習曲」より「半音階のための練習曲」
Debussy : 12 Études pour piano, No.7 "Pour les degrés chromatiques"

場面変わって、試験本番。のだめのピアノの試験の曲、3曲目。試験曲こんなに弾くのか〜。

ドビュッシーにピアノの練習曲があるって知りませんでした。全部で12曲ある練習曲集からの1曲って、それぞれ「三度のための」「反復音のための」など、テーマが決まっていて、ちなみに1曲目は「五本の指のための練習曲、チェルニー氏に倣って」。冒頭が、確かにツェルニーっぽいメロディーから始まるんだが、急にスクラッチが入るので何事かとびっくりした!ツェルニー。ピアノを習っていた人にはお馴染みツェルニー。面白くないツェルニー。ベートーヴェンの弟子で、作曲家としての自分に早々に見切りをつけて、彼がたくさんメカニックな曲を書いたのは、学習者が、ベートーヴェンのソナタが弾ける指を身につけられるようにであった。愛…。


モーツァルト ピアノ・ソナタ第11番
Mozart : Sonata No.11 K.331

このnoteで既出のソナタ。試験4曲目で、試験会場のピアノが良いピアノ過ぎて、舞い上がった演奏をしてしまったらしい。和音を足したり…つまり、楽譜通りの演奏をしなかったもよう…!オクレール先生、「モーツァルトはレッスンの時と違うよ」。多分、トルコ行進曲でだと思われる。

図書館で『のだめ』を借りるついでに、小学生用のプロコフィエフの伝記も借りたんだ。漢字にルビが振ってあるんだが…プロコフィエフの伝記を読むマニアックな小学生なんているのかな…?プロコはサンクトペテルブルグ音楽院の作曲科卒業後に、ピアノ科を主席で卒業している。モーツァルトやショパンの演奏で音を足すわ、ロシア最高の女流ピアニストでもあった教授のレッスンについて、「個性を押しつぶすことに全力を注いでいる」と言いふらすなど、なかなか語気の荒い反逆児だったらしい。プロコの方は、のだめがついやってしまう「サーカス」よりも意図的な感じがするが、楽譜の通りに弾かないことが自然であるという演奏家は、のだめの他にもいたんだな!


モーツァルト ピアノ・ソナタ第18番
Mozart : Sonata No.18 K.576

のだめの試験の演奏を、「リサイタルを聴いた気分です」と言った試験官の先生の感想を受けて、オクレール先生は、のだめをリサイタルの演奏者として推薦することを思いつく。西仏にあるお城、由緒ある貴族の住むブノア城では、毎年ブノア家主催のピアノ・リサイタルが開催されており、のだめはオクレール先生の推薦で今年のソリストになった。ピアノの試験では何とか無事「トレビアン(優秀)」を取り、千秋とターニャ、黒木くんを一緒に連れて、ブノワ城へ前乗りする。

モーツァルトの熱心なマニアである当主は、モーツァルトと時代の近い鍵盤楽器も所有。その古楽器を、本番で演奏するソナタで試し弾きするのだめ。

このソナタは、全体的に可愛い、きれい、どこも淀まず濁りもなく…ここは原宿のファンシーグッズ、淡いピンクとパープルの店内…。プロイセン王女に捧げるとなると、そういうもんか…。でも一面、薄いピンクとパープルなのに、全部似ていながら、ひとつも同じものがない。あ、2楽章は実に良く寝れそうです。

千秋が「難解な曲」と言ってます。あ…、え…、こんな感想しか言えないわし…。

実は、あまり顔に出さないものの、晴れて恋人同士となった千秋は、のだめに結構発情しているらしいです。そんなことお構いなしに、ひとつのベッドで、同じ部屋にしてもらっているのだめ。寝る前にモーツァルトの下ネタ満載の書簡を読んでもらって、完全にムード皆無にさせられてしまう千秋…。ええ、それらは全く、物語の本筋ではない…。


モーツァルト 「きらきら星変奏曲」
Mozart : 12 Variationen über ein französisches Lied "Ah, vous dirai-je, maman" K. 265 (300e)

さあさ!ブノア家でのリサイタル、開演です〜!のだめ初リサイタル、1曲目はよく知られている「きらきら星」。それがテーマで、プラス12の味変で出て来ます。

もともと「きらきら星」はフランスのシャンソン(世俗的声楽曲)で、娘ちゃんが初めて恋に落ちたことをお母さんに言わずにおれない、という内容の歌詞(原題「ああ、聞いてちょうだいお母さん」)。

それまで私の支えは
仕事と杖と犬だけだったのに
恋が私をだめにしようと
犬も杖もどこかにやった
ねえ! 恋が心をくすぐると
こんなに甘い気持ちがするんだね!

きらきら星(Wikipedia)

4番の歌詞が、これまでの自分の支えが「仕事と杖と犬」だと言うんだが、ウィットあるよなあ…支えてくれそうな納得感あるもんな。足が悪い女子なんだろうか。歌詞を全文見て、この12の変奏曲を聴くと、初めての恋に伴って感じる、初めてのさまざまな感情の波を、ふしゃ〜〜っと浴びてるみたいな感じでとっても面白い。ぜぇ〜〜っったい、歌詞の内容をモチーフにして音楽にしてるはずだ…。


リスト 「2つの伝説」より「波の上を歩くパオラの聖フランチェスコ」
Liszt : 2 Légendes "St. François de Paule marchant sur les flots" S.175

続いての演目のリストを、眠りに入ろうとするブノア家当主を叩き起こすかのような出だしで始めるのだめ。こういう、オーディエンスとコミュニケーションを取って、その日、その時しか起こらない演奏が聴けるのが、生のリサイタルの醍醐味ですね!この曲は、2曲組の楽曲の2曲目です。

リスト、ここまで聴いて来て、やっとリストの聴き方が分かって来た…音が多いからリストは複雑だと単純に思い込んでたけど、メロディーラインだけを聴き取れば、かなりシンプルだということが分かって来た…。リスト、その生涯の間には、難しい関係の恋や、封建的な地元の聴衆に受け入れられない時代があったみたいで、長く努力、し過ぎてしまったのかなあ…。結果、彼のいた土地はブランド力が上がるんだが、それは彼が人格者だったからこそ成し得たのかも。その後、50歳頃ローマに移り住み、下級の教会僧になる。「2つの伝説」はローマで、キリスト信仰がさらに深まって行った頃の作品で、それ以降のリストは宗教的なテーマの楽曲が多くなっていく。晩年、健康状態が非常に悪く、精神的にも難があったかもしれないが、「天才は社会に役立たねばならない」という信条の持ち主だったらしい、ぎりぎりまで音楽活動を続けた。父親を亡くした15歳から教えで家計を支えて来たリスト。スケールのあまりに大きい人物、スケールの大きい愛。宗教的なテーマは、彼の大きさに応える十分な広さを持つものだったのかもしれない。


ラヴェル 水の戯れ
Ravel : Jeux d'eau

のだめの、続いての演目。「フランチェスコ」も水がテーマで、続くラヴェルも水がテーマになってる。

「波の上を歩くパオラの聖フランチェスコ」は、「舟を出すのを断られたフランチェスコが、マントを海に敷いて渡る」という伝説を音楽にしたということで、楽曲に物語性がある。一方、「水の戯れ」は、ラヴェルは「テンポ、リズムも一定なのが望ましい」と述べて、客観的な描写のようだ。情緒的な弾き手の「揺れ」や「ため」は、システマチックな音楽の進行の範囲に収めなさいよ、ということである。この、「一定」が、バロック音楽っぽい硬質な感じも感じさせ、でも響きは当時にするとかなり斬新で、誰とも似ていないメロディーを作るラヴェルの冷静な感じが、この曲には良く出ているような気がする。

関係ないけど、フランスの出版社の楽譜は何となく読みにくいの…分かります?黒玉が小さい…。あと楽譜のミスも割合ある。日本の楽譜にはほぼ無いんだけどね。


シューベルト ピアノ・ソナタ第16番
Schubert : Sonata No.16 Op.42 D.845

のだめ、コンサートの最後の曲。千秋が聴きながら、只者では済まなそうな予感をのだめに感じている。会場の後ろで立ったまま聴いてるので、自分は客じゃなくて、関係者だという気持ちなんだなあ。

交響曲のような重さのある1楽章。シューベルトはピアノ・ソナタを21曲書いている。シューベルトも早逝、31歳だよ…早すぎるよ…。ピアノが歌っているような2楽章。ところどころユニゾンが効果的で、むちゃくちゃセンスあるなあ!この人!時代的にはベートーヴェンの後半と被っており、モーツァルトが大好きだったみたい。このソナタは確かに、ベートーヴェンとモーツァルトを足して割ったような気がするのは、…安直かい?

シューベルト自身が少年聖歌隊出身で、優れた歌曲が莫大な量あるので、そのことの方が先に評価されていた作曲家。音楽の本場イタリア・オペラからの名曲アリアが、いわゆる芸術としての「歌曲」だったのに対し、彼はドイツ語の詩を歌曲にして新しい芸術にしたのだった。わたしは大学の副科で声楽取ってたけど、イタリア歌曲だけで、ドイツリート(ドイツ歌曲)は1曲もやらなかったぜ…。何となく、だからシューベルトの器楽曲も「小品」のイメージがあったけど、全然そんなことないや!…長い!全4楽章。


さ!ということで、のだめの初リサイタル、お客さんの満足度も非常に高く、盛況にて終わりました。『のだめ』15巻の中程まで来ました。

次回はお城でのモーツァルト・仮装パーティーからですよ。

それでは、また!




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