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『のだめカンタービレ』でクラシック再勉強【その6】

漫画『のだめカンタービレ』。物語の中で、キャラクターたちが演奏するクラシックを順に追うシリーズ、6回目です。


このシリーズ始めて、3週間経つんですけど、「変わった」って言われるんです。ちょっと変わって来てるみたい!音楽を聴く時の自分が変わってきてる自覚はあるんですけど、普段の自分がどうかは気付いてなかった。何か…リハビリ効果?千秋やのだめのエピソード書きながらぼろぼろ泣いてるんだが。何のリハビリだろう?…と言うか…作者の二ノ宮さんは、それほど心理描写や関係性について細かく書き込まないんだけど、ものすごい人間ドラマが、人生が、コマの向こうにあって、リアリティを感じる…。紙の向こうで彼らの人生を生きてる…。名作だよお…。

今回は、ブノア城にて、のだめの初リサイタルが終わったところから。


モーツァルト 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
Mozart : Eine kleine Nachtmusik K. 525

のだめの初リサイタルが無事終わり、会場のブノア城にて、余興のパーティーが行われる。お食事、ゲストの演奏などなど…皆んなでブノア家所蔵のコスプレを着て、楽しそう。千秋がヴァイオリンにて、ブノア家特設のモーツァルト五重奏団と「ナハトムジーク」を演奏。

モーツァルトの、有名すぎる有名曲。1曲紛失しており、全4楽章。タイトルは、「小さな夜のための曲」という意味らしい。なんともシュチュエーションにぴったりじゃないの。こういう時、ハッピーな曲を書いてくれるモーツァルトという人の人間性が、年取ってくると有り難いな…と思ってしまう。既にモーツァルトより自分、年上になっちゃってますが…(モーツァルトは35歳で没している)。

こういうモーツァルトの五重奏を、本当に5人だけで演奏しているのを聴くと、こじんまりした親密な感じがあって、すごく良いんだよ…!オーケストラの音の魅力と、また全然違った味わい。千秋は主旋律だから、のだめが「ムキャアア」ってなる気持ちが分かるなあ。


モーツァルト オーボエ四重奏曲
Mozart : Oboe Quartet K.370, 368b

黒木くんが、ブノア家楽団と一緒に演奏する曲。ブノア家が用意した仮装をしぶる千秋に、「いいじゃないか」「当時の仮装なんてなかなかできるものじゃないし」と、黒木くんは意外に柔軟である。「ボクはこの青緑っぽいのにしようかな」と、「青緑(フランス語:暗い)」は彼への批評だったのにも関わらず、そんな自分をも、ありのままに受け入れる受容力を持ち始めている黒木くん…。

この曲は、当時モーツァルトも感心した、友人のオーボエの名奏者のために書かれたらしい。こじんまりしたホールや、サロンで、世の深刻なことは全て忘れて、オーボエの音色をとくと楽しむのにぴったりの曲。3楽章は、おおっと思わせる、テクニカルな瞬間もあり、明るい気分で聴き終われる曲。


モーツァルト ピアノ・ソナタ第8番
Mozart : Sonata No.8 K.310

のだめのリサイタルに付いて来て、何もかも思惑通りに行かなかったターニャも、ここでちょいとソナタを演奏。明るい気分で終わったオーボエ四重奏の直後、「ダーンダーダダーン!」と、やや攻撃的な出だしで始まるソナタ。ところどころロシアものと共通するようなパキッと重く表現する部分もあり、今回何かにつけて卑屈で愚痴っぽいターニャは、暗いテーマが執拗に繰り返されるこのソナタが、気分だったのかも。

しかし、2楽章をどんな風にターニャが「ネットリ」演奏したのか想像してみると、でもターニャは、傷ついてたんだよなあ…、と、ピアノばかりを一人で頑張り続けることに、苦しくなって、逃げたくて、救いが欲しくて、才能が無い人間の頑張り方は、ずっと上の方にだけ小さな窓のある石の部屋に入ってるようで…晴れ晴れした瞬間が全然訪れない。上を見ないで、足元を淡々と踏み固めて行くような、それしか出来ない。逃げたい。逃げたいのよ。でも、淡々と踏みしめる、「それが出来る」ということを覚悟して引き受けるのが、その場所で見出せる、唯一の可能性なのよね…。


ジョリヴェ バソン協奏曲
Jolivet : Concerto for bassoon & orchestra

千秋は、ルー・マルレ・オーケストラ(以下マルレ)の次期常任指揮者として、足りない団員を選出するオーディションの、審査に加わる。千秋は黒木くんにオーディションを受けてくれるようにお願いしており、それを聞いていたポールが、募集のないバソンでもって、この曲で応募。ちなみに合格。

かつて、のだめとトリオを組んでいたポール。「ヤキトリオ」と命名され、黒木くんと3人で、室内楽の試験でプーランク(【】)を演奏した。バソンはフランスの伝統楽器で、ジョリヴェもフランス人の作曲家。実は【】で、日本にいた時、ティンパニの真澄ちゃんが、卒試で演奏したのがジョリヴェであった。ほら、千秋がほぼ初見で伴奏を弾いた、あれよ。

この曲も、本来はオーケストラとの協奏なんだけど、オーディションなのでポール母のピアノ伴奏と演奏している。ピアノ伴奏バージョンと聴き比べると、オーケストラバージョンの方が何やってるか、ずっと良く分かる…!(つまり、何やってるか、分かりにくい…!)ジョリヴェは実験音楽的な現代音楽から、CMのポピュラーミュージックまで、幅広く書く作曲家だったらしい。北アフリカへ行ったり、打楽器の曲が好きだったりもして、このコンチェルトも、エキゾチックでダンサブルなリズムシーンがある。バソンに出来ることを、全部詰め込んだような曲。むちゃくちゃ難易度高そうだ。2楽章の冒頭が美しい。


グリンカ オペラ「ルスランとリュドミラ」より序曲
Glinka : "Ruslan and Lyudmila" Overture

マルレと同じく、パリに拠点を置くデシャン・オーケストラ(以下デシャン)は、千秋のライバルであるジャンが新しい常任指揮者になった。以前は固い指揮者が、固い演目をやっていたらしいが、千秋には無いタイプの華を持つジャンが来たことで、定期公演の演目内容も派手な感じになっている。

ジャンが振る定期コンサートの演目がこの序曲。あ!聴いたことある…!昔、運動会の徒競走でかかってた曲じゃない…?!グリンカという作曲家も、タイトルも、知らんかったでした。ロシアの作曲家で、ロシア語のオペラだそう。リュドミラ姫が魔術師に攫われて、助けた人が結婚出来るっちゅうことで、彼女にホの字の騎士のルスランと、ホの字他2名が助けに向かう。そう思ってこの曲を聴くと…なんだか笑えてしまうんだが…いや、笑ってはいけない、皆んな真剣なんだ…!


チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲
Tchaikovsky : Violin Concerto Op.35

ジャンの振る定期コンサートの演目。かつて千秋が、指揮者コンクールでこの曲を振って、優勝した(【】)。コンサート終了、お客さんの反応も良く、デシャンの評価もジャンの評価も、どうやらとても高そう。

ジャンが指揮者コンクールで千秋に負けた理由に、華やかではあるが、曲の本質を追求する姿勢に欠けるという点があった。華やかさって、最初の受けは非常に良いんだけどね。繰り返すと飽きられちゃうのも早いというかね。かといって「深み」は、付け焼き刃では出ない。千秋とジャンも、互いに無いものを持つ、いい組み合わせのライバルですね。同年代、同じ職種って、現役でいる限り、ずっと比較され続ける存在ですが、両者とも相手を良い意味で利用しているのが、精神レベルが高い。


ロッシーニ オペラ「ウィリアム・テル」より序曲
Rossini : "William Tell" Overture

大盛況だった新シーズンのデシャンを尻目に、翌日はついにマルレ、新シーズン初の定期コンサート開幕です。千秋、常任デビューです!!1曲目は「ウィリアム・テル」だ〜。じゃじゃ〜ん!

ロッシーニはイタリア人で、オペラを、驚きの39個も書いている。でもこの「ウィリアム・テル」は、フランス語で書かれたフランス・オペラらしいわ。フランス・オペラって珍しいんじゃないか。全幕やると4時間ですって!長い!

序曲は4部構成になってるんだが(夜明け/嵐/静寂/スイス軍隊の行進)、全部を繋げて演奏するようになっているところが、新しかったらしい。あれだ。CDアルバム作る時、ギャップ(無音の時間)を入れずにすぐ次の曲が再生されるやつだ。

この、第4部の「スイス軍隊の行進」こそ、これこそ、そうそう、昔の運動会のやつ…。もう流石にこの曲を流す小学校はないのかな…。今は運動会でJ-POP流すからね。エンディングに向かって、シャンシャン鳴りまくってるシンバルがすごい。こんなのやってみたい。


ブラームス ハイドンの主題による変奏曲
Brahms : Variations on a Theme by Haydn, Op.56

千秋の正式な常任デビューコンサート、2曲目はブラームスの変奏曲です。ジャンの華やかコースと違って、派手じゃ無いですが、質の良い美しいスーツみたいな良さがあります。千秋向きじゃないの〜!

古い遺跡で聞こえてくる古楽器のような、シンプルで美しいコラールが、ブラームスの味付けで、広がりのあるストリングサウンドになり、どんどん色が付いていく様が、ファンタジ〜。ノスタルジッ〜ク。センチメンタ〜ル。ブラームスの得意なところが、とても生かされてる構成じゃないでしょうかね…!


ニールセン 交響曲第4番
Nielsen : Symphony No.4 Op.29

千秋の正式デビューコンサート、終曲。弦も管もそれぞれ聞かせどころのある、全体としてはやや難解かなあ?ニールセンによって、「不滅(滅ぼし得ざるもの)」という副題が付けられている。

デンマークを代表する作曲家なんですって。いや〜全然聴いたことないかも…。なんか、ひとつひとつの要素はそれほど複雑じゃないんだけど、珍しいタイプのパーツ作りで、いまいち構成が掴みきれん。と思って、いつもは音源だけで聴くんだけど、YouTubeでオケの動画を見てみました。なるほどね!弦のセクションと、管のセクションは、それぞれ別々に、独立したことをやっていると考えると、非常に分かりやすい!ニールセンはルネッサンスのポリフォニーを研究していたそうで、それは同じメロディーを、5度違いでずらして演奏したりする。ヴァイオリン隊がパート練の時間増やしてましたからね。弦のみのシーンもかなり長い。なるほどね〜!難解かと思ったけど、楽譜通り演奏すると、意外に普通にニールセンになるのかも。「不滅」とは、生きようとする力のことらしいです。これは生演奏で聴くと、なんだか、体で感じられる感動がありそう。


チャイコフスキー 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
Tchaikovsky : Fantasy-Overture "Romeo and Juliet"

正式なデビュー公演が終わって、千秋の振る、2回目のマルレ定期公演です。大盛況で終わった1回目が終わったと思ったら、もう次の公演!大変だなあ!

最初の曲が、このチャイコフスキー。「序曲」とついてるけど、本編があるわけでなく、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を題材にして、これ単体でひとつの作品らしい。チャイコの最高傑作と言う人もおるんだとか…。ほほう…初めて聴いたぜ…。冒頭、かなり長い間、ストリングスの物悲しく美しい音色が続く。リズムとか派手な音色や勢いで音楽を展開させて、聴衆を巻き込んで行くのでなく、情緒的な景色でじっくりじっくり音色の中に聴衆を沈めようというところが、チャイコフスキーの作品の中では毛色が異なってるかも。ほほう…だから「幻想」なんだな…。


バッハ ピアノ協奏曲第1番
Bach : Piano Concerto No.1 BWV 1052

千秋の振る定期公演、2曲目。千秋がピアノで弾き振り(ピアノを演奏しながら合図を出す)をする。もともとこの曲はハープシコードと弦楽器のアンサンブルで、現代ではピアノが使われることも多いのだそう。管楽器や打楽器は入らない、小さな編成の協奏曲。

先に、ハープシコードバージョンを聴いてみたんだ。なんだか…あれだよ、あれ…ゴシック耽美ビジュアル系バンドが、これをテーマ曲に出現しそうな…!ピアノで1楽章を聴くと、ビジュアル系バンドは去るんだが、それでもわたしはかなり怖い…ホラーじゃない!?不安がずっと解消されないまま、ずんずんどこどこホラーハウスの奥へ進んでいって戻れない…怖い!2楽章は救われるのかな?と期待したけど、だめ…。ホラーハウスに残された、かつての、しあわせな時間の残骸…。ここまで怖いバッハ聴くの、わたし初めてかも。3楽章は、生者による「悪霊退散」です。ということにしてくれ。お願い、生命パワーで打ち払って!千秋は、この曲を練習している間、熱も出してる。曲のせいじゃない!?

そして、のだめは、苦労して獲得したバッハの世界観を、違うベクトルからバーンと千秋に打ちのめされて、かなりショックを受けてしまう。うん…。このバッハは、のだめがやってきたバッハと、かなり系統が違う。こういう曲をやろうとすると、バッハの宗教音楽についてや、キリスト教についてなど、もっと勉強が必要かもしれん…。


ベートーヴェン 交響曲第4番
Beethoven : Symphony No.4 Op.60

千秋の振る3曲目。この曲に入る前に、千秋は客席にお父さんがいるのを見つけてしまう。千秋は動揺して、演奏の最中に、自分がどこを振ってるか分からなくなってしまうのだった。コンマスがしっかりフォローしたので、何とか事なきを得たが、千秋のミスに、気付く人は気付いていた。

しかしこの曲、暗い…暗いわあ…。こういう曲、千秋は得意なのかもしれないけど、若いんだから、もうちょっと華やかな曲やらせてやってよ〜!もしかして、ジャンのいるデシャンと差別化して、「黒王子」として売りを明確にするための狙いでもあるのかしら…。それにしても…この並びは聴いてる方も辛いわ〜!ベートーヴェンの人生で最も調子の良い次期に書かれたこの曲、自分に対する万能感、溢れる自信…。みんなは暗く感じないかも知れないけど、パクチーは、なんだか攻撃的な感じで不安を掻き立てられるのよね…!

ベートーヴェンの失敗で、千秋はかなり落ち込むんだが、のだめは自分が追いつけそうに無い勢いで先に行かれてしまった(ように見える)千秋に対して、内心穏やかじゃいられない。それを千秋本人にぶつけて足を引っ張る代わりに、コマンド「無視する」を選ぶのだめ…。

同アパートの学生ユンロンは、千秋が弾き振りしたのを「嫌な奴だな」「君が弾くくらいなら僕に弾かせろヨ」と言う。のだめも、内心そういう気持ちがあったかもしれない。のだめが千秋に決してそう言えない代わりに、ユンロンがどストレートに言ってくれたことで、千秋はかえって気が楽になって、有り難いとすら思ったのかもね。

自分が焦った結果だと、少し肩の力を抜いて受け入れるような強さを既に持っている千秋。強い…。自分のことを受け入られるって、こんなに強いことなんだな…。


バッハ パルティータ第2番
Bach : Partita No.2 BWV 826

千秋を、一見そうとは見せないながら、さわやかに軽く無視中のだめは、ひとり千秋のお父さんのリサイタルを聴きに行く。千秋雅之氏のピアノリサイタル。その演目のひとつ、パルティータ。

パルティータは6〜7曲でセットの組曲で、バッハはパルティータを6つ書いている。それぞれの曲は、イタリアの古典舞曲の名前が付けられいる割合が多い。イタリアの宮廷の典雅さを借用して、優雅な抒情を音楽的に聴かせることを意図して作られているんだろうと思わせる。

ピアノの学習者は、バッハの「平均律クラヴィーア」をバッハだと思ってしまうけれど、バッハの作品の中で、最も宗教色や、演奏効果を抜いたものが平均律かもしれん。平均律は難易度があるので、学習者が、平均律を弾くためのスキルを段階を踏んで身につけられるように、バッハは初心者向けの楽譜集をいくつか用意している。平均律は、バロック音楽で必要なことを全て学べるように、ぎゅうぎゅうに全部乗せで詰め合わされた、完全ドリル…?平均律がおかず30品目の幕の内弁当だとしたら、パルティータはフルコース…?

と、のだめが大学で学んでいるバッハと、千秋や千秋パパがなどが演奏会で演奏するバッハは、本質がかなり別のところにある。のだめは千秋のバッハでもショックを受けてたけど、あのバッハには、平均律には決して無いスケールの大きな陰鬱さがある。パルティータには高尚な気品がある。もうショックは受けないかもしれないけど、千秋パパを見つめるのだめは、自分との差を、しみじみと感じているような顔にも見える。


ブラームス 「6つの小品」より「バラード」「ロマンス」
Brahms : 6 Klavierstücke Op.118 No.3, No.5

千秋パパ、千秋雅之のリサイタルの次の演目。「バラード」は「6つの小品」の6曲あるうちの3番目、「ロマンス」は5番目。

「6つの小品」は、そうね、パクチーが説明するとすると、鬱っぽい時は聴かない方がいいんじゃないかな。余計落ち込みそうな気がする。ん?むしろ聴いた方がいいのか?泣きたい時は泣いた方が?ブラームスさんが晩年近くなって、クララ・シューマンに捧げた小品集。クララ・シューマンとは、ピアニストで、献身的にシューマンを支えたシューマンの奥さんであるが、ブラームスは生涯彼女の苦難を友として支えたらしい。だから、こう…全体的に、なんか苦しい…。何もかもあるのに、幸せじゃないみたいな…。しかしパクチー以外の人が聴いたら、単に美しくてうっとりするだけかもしれない。「ロマンス」は、リサイタルにおいては、箸休め的な役割ですかね。琥珀糖的な。


ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第32番
Beethoven : Sonata No.32 Op.111

千秋雅之氏リサイタル、最後の演目。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタで、一番最後に書かれたものです。全2楽章。

いやー。

うーん。

語れることがない…。ベートーヴェンの後期ソナタは非常に複雑だとか難解だとか言われている。既に耳は聞こえなくなっており、彼の頭の中だけで構築された、密度の濃い、制限のない、何でもありの世界。20代でも無理、30代でも無理、40代くらいでやっと何かが分かる、などと言われておる…。思いついたことを思いついた順に次々と並べて、脈絡がないまま、次の要素、次の要素、前に聞いたような要素、…て、わしには聴こえる。そう、だから、「人生」って感じで…。

でも若かったら太刀打ちできないものが、年齢を重ねたら理解出来るものもある、年取ったからこそ展開出来る世界がある、っていうのは、クラシックの奥深さで、いちばんの魅力かもしれないなあ。


ミュライユ 「ラ・マンドラゴール」
Murail : La Mandragore

のだめが学校のロビーで、うたた寝している時に持っている楽譜が、「ラ・マンドラゴール」。この曲のイメージが、何かのだめの心に引っかかっている。

ミュライユはフランスの現代作曲家で、今もご存命でいらっしゃいます。メシアンの作曲科クラスに在籍し、クセナキスなどに影響を受け、スペクトル分析に基づいて作曲する「スペクトル音楽」というのを確立したそう。スペクトル音楽って何…初めて聞いた…。スペクトルな作品を聴いてみたところ、なんか、音階とかがもう無い感じですかね?(Tristan Murail: Gondwana (1980) for orchestra)うーん。思ったより自然に感じる。オンド・マルトノという、フランス発のテルミンのでかい版みたいな電子楽器があるんですが、それ用に書かれた曲も、結構好きかも…(Tristan Murail: Les Nuages de Magellan (1973))。

「ラ・マンドラゴール」、何回聴いても、「…ん?でマンドラゴールが?どうしたと?」と、何についてどう書かれてるのか分からないなあ…と思っていたんだが。他の、ピアノでない楽曲をちらっと聴いてみたことで、むしろ、音と音の間にある音響を聴かせたいのかもしれない、と感じた。

Wiki見てたら、「マンドレイク」って本当にある薬草なんだね!架空の植物だと思ってた…!麻薬効果、鎮痛薬、鎮静剤、瀉下薬(下剤・便秘薬)、幻覚、幻聴、嘔吐、瞳孔拡大、場合によって死に至る、ということで、現在薬用にされることはほとんど無いそうです。伝承では、媚薬になるので「恋茄子」とも。

のだめは、「千秋絶ち」をすることで生まれる莫大なエネルギーを使って、一直線に千秋を「早く見返したい」のだった。無事見返せれば、正面に立って千秋を愛して良い、と、自分の餌にしておる。「恋」を遠ざけることで、自分をがむしゃらにする力を得ている──「恋」の作用──麻薬、鎮痛、幻覚、幻聴──毒にも薬にもなる強い作用は、どうやらマンドラゴールと一緒──のだめの中のインスピレーションがある。「和音の変化に気を付けてね」「リズムもね!!」───強い動力を得るために自ら「恋」を遠ざけ、もしかしたら「恋」そのものを失ってしまう───「満月の夜の間に摘まないと」───変化に気を付けなければ───「もうここには戻れないから」────取り返しがつかなくなる前に。


ショパン ノクターン第2番
Chopin : Nocturnes Op.9

千秋の部屋のピアノを調律してくれた友人が演奏するノクターン。この曲は、ショパンと言えばで思いつく人も多そう。

ちっとものだめに構われなくなった千秋は、今いるアパートから出ることを決意する。となりの部屋にのだめはいるのに、部屋で夜、ワインを傍にひとりで過ごすことが多くなった千秋。この部屋で待っている状態のまま構われずにいると、根底にある不安が刺激されてしてしまうのか。のだめと音楽で繋がってることは分かっているのに。

子供の頃、どんなに求めても応えてくれることのなかったお父さんに対して、子供の彼は自分なりに出来る努力をして、し続けて、し切ったところで、「これは手に入らない」と絶望してしまったのだった。でもその絶望が痛すぎるから、そもそもの欲望、「お父さんに関心を向けられたい」と、思う原初的な欲望から、彼は自分の中で無いことにしてしまった。痛みから自分を守るために。

千秋のお父さんのリサイタルの夜、月は三日月だった。それが満月になっている。

「小さい頃に住んでいたんだ」「家族で」。その部屋を出る。千秋の音楽の中で、「お父さん」がいることによって不自由になっている部分を、自由にしようとしている。今、引っ越しをその手がかりにしようとしている。千秋雅之の演奏を聴いているのだめには、千秋が何にもがいているのかが良く分かったのかもしれない。

ふたりが、これからも音楽的に繋がり続ける為に、今、物理的に離れる。望みを受け入れたのだめと、通じ合うものがあった千秋が、そして………。と、そこで調律師の友達が演奏したのがこのノクターンでした。「ごめん…もう帰っていいから」と、となりの寝室から出てくる千秋のシャツが、前ページより、ボタンが!一個多く!外れてることに注目!!!!


バッハ イタリア協奏曲
Bach : Italian Concerto BWV 971

夏の間、西仏のブノア家のお城でリサイタルをしたことがきっかけになって、パリのマダムの主催するサロンでのコンサートを依頼をされたのだめ。パリではこういうサロンコンサートがしばしばあるんですかね。のだめの友人は入れない、マダムの呼んだお客様だけが集まる会。主催者の裁量で呼べるアーティストをお披露目して、皆さんに楽しい時間を過ごしてもらおうという、非常に文化的な上流な会。こういう方々は、若い芸術家の発するエネルギーを、自分の力に取り込むのがお上手だ。そして、自分が持っている財産は、文化のレベルを担保することに使う役割がある、ということもご存知だ。

のだめが演奏する一曲目はバッハでした。イタリアン・コンチェルト(イタリア協奏曲)は、全3楽章で、1、3楽章はうきうきわくわくの楽しい感じで始まって、明るく弾きやすい曲です。ジャズアレンジされたりもしてるから、比較的ポップかもしれん(Jacques Loussier Trio)。2楽章がしっとりしてますが、わたしは夏のヴェネツィアの暗い物陰で、煌びやかなんだけど誰もいない感じをイメージします。ヴェネツィア、行ったことないけど。

千秋と、千秋パパがバッハを弾いて、ついにのだめがバッハをステージで披露、と続きました。

のだめにとって、千秋雅之のリサイタルを聴いたことはどう影響しているのか。

これはわたしの考えですが、千秋雅之の演奏を聴いて、わたしは、のだめが普段千秋に言われている、音楽を理論的に理解する、楽譜から作者の意図を読み取る、作曲者が利用した様式について理解する、時代背景を理解する、という、理性的な音楽のアプローチの、その集大成、完成版を、千秋雅之の演奏を通して見たんじゃ無いだろうか。感性はもちろん大切である。個性もかけがえがない。だけど、のだめが成長段階の前半でずっと避けてきたことこそ、同じくらい真剣に大切にしていたなら、演奏はこういう世界を作れる。

千秋が言っていることはこれだ、

千秋の音楽の根源はここだ。

それに、自分が取って代わろうとしたら、まだまだ遠い。

音楽を理解しようとすることに対しての、ひたむきな愛と真剣さ。誠実さ。演奏を聴いて、「もっと冷たい人かと思ってたけど」「そんなことないデス」。千秋雅之が、楽曲の理解を、自分のために分析して、深めて、そこには千秋に似た、甘すぎない、冷たすぎない愛が満ちているかもしれない。でもそれは自分ひとりの演奏の中で完結して、他者の入る余地は、そこにないのだ。千秋が同じ努力を、楽譜に向かって、毎回大きな壁を感じながら、怖さを脇に追いやって、ひとつづつ自分で紐解いて、その努力は、いつでも他者と共有するためにある。

そこが、この親子の根本的な違いだ。

千秋の努力は、いつでも、オケにいる人々を巻き込んで、いつも、必ず、他者と関わって、交信し続けるものの中で完成するものの方へ向かっている。そこにはのだめも含まれるし、のだめはそういう交信の中に入りたい人なのだ。

のだめのサロンコンサートに行くつもりで出かけた千秋は、途中下車してしまう。渋滞に巻き込まれた満員のバスで、心の師匠、ヴェイラ先生と再会するのだ。

ヴェイラ先生を見かけて戸惑う千秋に、ヴェイラ先生は間髪入れずに、周りのお客さんに詫びながら、千秋を抱きしめて、「真一、やっと会えたな、本当にでかくなったな」と、頭をわしわしする。

千秋は…。これを、お父さんにして欲しかったんだろうな…。本当に、これだけで良かったのにな…!だから、くら〜っとして、放心状態になって、のだめのところには行かずに、そのままヴェイラ先生について行ってしまうのだ。フランスに来て、初めて千秋が緩んだ瞬間かもしれない。報われた。認めてくれた。全身で。

のだめは、千秋雅之のリサイタルの後、千秋に会って「先輩も聴きに行けばいいんですヨ〜」と言っている。ちょっと意地悪だと思う。でも、今なら千秋が、お父さんと千秋が持っている音楽が、もう根本的に違っている、ということを理解出来るだろうと思ったんだろう。千秋はお父さんの世界から弾かれてしまった。そこに千秋の落ち度はない。そして千秋はもう、父さんが持たない全然違う種類の音楽を持っている。

そして。

お父さんが音楽家として到達した場所は、千秋にとっては、サンクチュアリのような貴重なもののはずだ。原点。あるいは遺産。受け継いだ気質。

ヴェイラ先生の音楽が入る容れ物を、千秋の中に作った人。


それではまた!続く!




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