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世界は肯定されなかった子供たちで出来ている

8年前の散文シリーズ、
/{yellow note》の終章です。
ちと表現が鋭すぎるかな、と今のわたしは思うのだが…
どうオブラートに包んでも結局わたしはここに帰結してしまうので、
開示してしまうのがいいように思いました。
もっとマイルドな表現にすべし、と考えるのはわたしの優しさなのであるが(そしてその成果がこのシリーズの他の散文群であると思うのだが)、
どうあってもわたしの素は、
これ以上でもこれ以下でもなく、
これがわたしのニュートラルなのでした。
なぜ今更?
分からない。
時世が合った、
そんな気がします。



世界は肯定されなかった子供たちで出来ている。

だから僕たちは、
生きていること自体が罰であるとか、
夢は叶わないとか、
お金がなくては生きていけないという理屈を
真実だと思って簡単に受け入れてしまう。

我々は社会に鎖で繋がれている。
「わたしが持っているのは唯一無二の魂である」
という尊厳を、
楔で打ち砕き、
鎖で繋ぐ。
犬のように。
社会は許可証を与える。
「社会人」というのは
掛け替えのない「個」を無くした人間の、
肯定されなかった存在を許す許可証だ。
社会は代償に「金」を吸い上げる。
金を吸い続ける間は「社会人」というバッヂは外されない。

人々はそれを、避けられない現実だと受け止める。
「生きるのには許可がいるんだ。」
「許可証さえあれば、生存は肯定されている。誰に何を言われる筋合いもない。」
社会はありとあらゆる娯楽と快楽を用意している。
「自分の個の無意味さを、
痛みを、
死ぬまでの数十年くらい、
何とか誤魔化し切れるさ。」

肯定されなかった人生を
「社会」から金で買っているんだ。
「それが人の生きる方法だ」と信じて、
その理屈を受け入れているんだ。

だが金を吸い上げるものの実態はなんだ?

皆が「社会」と呼んでいるもの。
皆を繋げる鎖の先にある支柱は
一体何者なんだ?

それは皆の意識の集合体だよ。

「これが社会だ」

と、人々信じる

概念の塊。

見る人、

見る時によって

形と名前を変える。

実態はない。

だがその実態のないものを、
ある条件のもとに
まるで実態があるかのように
信じ込ませる方法を知っている者たちがいる。

そいつらには実態がある。

1%の人類、ある家族、地球外生命、諸説あるが、
本当のところを知っている者は少ない。
そいつらは太古から大掛かりで緻密な計画のもとに、
「社会」という意識の総体を、
大きく、
複雑にしてきた。

許可証を得る条件は過酷になり、
人々は使い捨てだ。
人はもう、多すぎるからね。
過酷な条件に耐えられない人間は、
鎖を手放す。
ドロップアウト。
負け組、とか言う。
命の許可証は取り上げだ。
生き残った負け組に、
また違う鎖をかける。
病院。カルト。裏社会。
これらは「社会」から独立したものじゃなく、
むしろ「社会」の別の呼び方で、
それ無くしては社会は成立できない、
「社会」の一部だ。

そして干からびるまで吸われ続ける。

金を。
命を。
つまり人生を。

すぐに諦めるのも、
ゆっくり諦めるのも、
結局同じだと思うかい?

だが繰り返して言うが、
これら幻影だ。
人々の命を吸うような社会も、
生きるために受け入れざるを得ない鎖も、
自分が生み出している幻想で、
実態はないんだ。

2013年。世界人口は72億人。
今や繋がれた犬の数は膨大だ。
犬を死なせずに働かせるのだって、
塩梅がいるしタダじゃない。

「社会人」として自分の存在を肯定するために、
「自分」を人質にして得られるものは
年々チープになっていく。
物の寿命は短く使い捨て、
食料も安く大量生産で、
薬品を使って保存期間を伸ばし、
毒性はあっても栄養は無い。

安く手に入れたプラスチック製の
使い捨ての物が身の回りを埋め尽くす頃、
人々はある事実に気づいていくだろう。
チープに扱われているのは自分自身だということに。
自分が「社会」から買い得たチープな品々と同様に。

人々にチープなものを与えて、
浮いた金はどこへいくんだ?
人々が働き続け、生み続けた利潤の累計は、
地球上の全ての人間と動植物を数回救っても
おつりがくるくらいだ。
人々が「人々を救いたい」と思った善意は、
金は、
どこへ行ったんだ?
なぜ人は何年経っても救われない?

答えは
「社会」を企図する主体に
犬を救うという目的が無いからだ。

社会は人を救わない。

我々ひとりひとりが所属している社会は
人類の幸せを目指していない。
集められた莫大な金は、
人類の幸せとむしろ逆の方向にその目的がある。
近代社会は自由に見えるかい?
民主主義は人類の進歩に見えるかい?

違う。「社会人」はブロイラーなんだよ。

改めて言うが、
社会とは意識の集合体だ。
あなたが「社会」と呼ぶものを、
わたしが「社会」と呼ぶものを、
同一とみなしましょうという
単なる約束事だ。

その意識の集合体の中で
人々は完結させられている。

黒くすっかり肥え太った社会を、
金を産み続ける巨大な幻想の塊を、
数千年の間、途切らせることなく回し続けて、
それを肯定し、
それに肯定され、
それに地球を支配させ続け、
それに支配され続け、
それに組み込まれたまま死んでいく。
社会という暗黒の渦の中で、
「ある主体」が指図した指針に沿って、
肯定されなかった子供たちが、
肯定されなかった子供たちの消費するものを作り、
与えられた基準で競争し、
策略でもって他人を蹴落とし、
銃弾を撃ち合い、
自分がそうされてきたように、
他者の尊厳を否定し、
それらの行為は全て「社会」の名の下に肯定され、
自分が使える金の大きさだけをアイデンティティに変えて、

だがそれも様々な手段で段階的に取り上げられるのだ、
初めから「預けていた」と言っても過言では無いくらいに。

人類を幸せにしない社会。
それを走らせ続けているのは、
肯定されなかった子供たちだ。

僕は
肯定されなかった子供たちを救いたかった。
僕は、
肯定されなかった子供たちが、
肯定されない子供たちを育てることを
見過ごしておけなかった。

社会は幻想だと言ったね。
それから鎖も。
それらは
自分自身が真実だと信じるから、現実のように見える。

そこから君を解放する手段が一つある。
君自身が、
肯定されなかった自分に
幸せになることを許すことだ。
誰の許可もいらない。
君自身がそうするんだ。
そうするのに力が足りなかったら、
こう考えてくれてもいい。
どこからか来た君の魂が、
地球に存在するものを使って構成された、
君の肉体に入った。
君の体は全て、
地球にあるもので出来ているんだよ。
水、酸素、肉体を構成するもの、
どれが欠けても君は生きられない。
生きられないものは存在できない。
君が知っている死んだ人間を、
産まれなかった人間を思い出して欲しい。
それらは人間としての存在を世界に肯定されていない。
君の肉体と意識は、
存在しているということ自体で
圧倒的に地球に肯定されているんだ。

君は自分を肯定してもらうことと引き換えに
辛い時間や
望まない環境を受け入れる必要はないんだ。
肯定されなかった子供が持つ穴は
不安と孤独と繋がっている。
「社会」はその穴を目ざとく見つけて
君を鎖で繋げた奴隷にするためのあらゆる機会を狙っている。
その穴を、
これから自分で埋めていくことを
自分に許可するんだ。
君の幸せは、
社会が君にもたらす
あらゆる条件とは無関係であることを知るんだ。
「社会」にとって重要なのは、
犬の尊厳を育てないことだから。
尊厳なんてあったら、
すぐに
鎖なんかなくても人生は肯定されていることに気付いてしまうからね。
「社会」は
学校、家庭を通して、
何年もかけて君の尊厳を壊す。
点数をつけて君自身の尊厳を信じられないように仕向ける。
君は、
君の尊厳を取り戻し、
大切に育てるんだ。
君が君の好きなことをするのに
点数はいらないし、
生きたいように生きることは、
点数なんかとは無関係に肯定されているんだ。

家庭やプライベートを崩壊寸前まで犠牲にして
会社の利益になるために働くのを当然のように強要されるのを、
そしてそれに相応の報酬が支払われないことを、
おかしいと思ったことはないかい?
生存に必要な当たり前の食事、当たり前の睡眠が、
当たり前のように企業の利益のために犠牲になるのを、
おかしいと感じたことはないかい?
ただ住むための家が、
収入の30%の家賃を当て、人生の3分の1を費やさねばならない金額に設定されているのを、
おかしいと思ったことはないかい?
それらが人生の3分の1の年月で壊れるように作られているのを、
おかしいと思ったことはないかい?
最初から労働時間が、
それを続ければ大多数の人間が、
肉体的にも精神的にも正常でいられないところに設定されているのを、
おかしいと思ったことはないかい?

これらは犬たちをしっかり繋ぎ止める、
強い鎖なんだ。

負け犬、
弱者、
イコール子供、老人、病人。
このように設定されているのを、
おかしいと思ったことはないかい?
この人たちは
社会との鎖が細い人たちだ。
社会にとって人生を金で贖ってくれるような得にならない。
だけど実際は、
その人自身の幸せにより近い人たちで
決して弱者なんかじゃない。
彼らが持っている無限の力に、
本当に僕たちは気付くべきなんだ。

「社会人」という許可証のために
人生を引き換えにしたって、
社会との繋がりが君に最期にもたらすのは
ただ人の迷惑になるだけの老人の死、という
ありがたくもない匿名性だけだ。
そんなものと自分の人生を引き換えにしたいと思うかい?

とは言っても、近い将来、
犬たちを繋ぐ支柱、
すなわち「社会」は崩壊する。
ゆっくりなのか、衝撃的な破壊によってか、それは分からないが、
今この構造は機能しなくなりつつある。
完全に幻想が、誰の目にも破綻したとき、
君の人生はまるごと君のものになるだろう。
その時君は、
君の価値を構成していたと思えていたものが
実は実態が無く、
長い年月、
本当に積み重なっていくものを
構築してこなかったと感じるかもしれない。
だがそうなる前に、
君自身が、
君の幸せになることを許された人生を取り戻すことは可能なのだ。

人の不幸を救うのは社会じゃない。
人が、目の前にいる人の感じている苦痛が、
それがどんなに辛いものか想像できるから
手を差し伸べるんだ。
痛みが想像できるから、
力を出し合ってひとつの困難を解決しようと尽くすんだ。
君の命が、
魂が光り輝いていることに、
何の条件もいらないんだ。
今この瞬間の君は
存在そのもの全てが無条件に肯定されているんだ。

本来、全ての人が持っている命の輝きを、
「社会」は
大きな総体の力で歪め、
流れを淀ませている。
行き場のないエネルギーは魂を汚し、
どす黒い感情を育て、
それが街の隅に溜まっていく。
君は、
君の住んでいる街に、
そんな流れがあるのが見えるだろうか。

もし見えたら、
その流れを包んでいる
さらに大きなものに意識を持ってみて欲しい。

僕たちは
社会よりもっと大きな世界、
銀河系、
宇宙に包まれていることに気づくだろう。
そこで生き生きと流れる
エネルギーと、
光、
全てを肯定する愛があることに気づくだろう。
君が今必要とする物が全て目の前に用意され、
君の発するエネルギーはサポートされ、
自分以外の様々な縁ある魂が、
君を守り、
君が得たいものに近づけるようにサインを出していることを知るだろう。
それらは目の前の小さな虫や、
足元の草や
気持ちの良い木の影、
あらゆるところから君とつながっている。

社会の楔と鎖から君が解放された時、
そこから先が、
この時代に、
肉体を持って生まれたことの目的だ。
そこからの視点で、
世界にさまざまな人間がいることを見るんだ。
さまざまな動物と、
ざまざまな植物と、
さまざまな土地、
さまざまな気候、
さまざまな感情…。

お金や社会的権力を行使するのに
社会に支配されている必要はない。
それらは単に、
人が人とのコミュニケーションにおいて、
より便利であるためのツールだったんだ。
人の力は金よりも権力よりも大きい。

僕は、

君の君らしさが

社会の中で薄められていっていると感じていることを知っている。

僕は君に気付いて欲しい。

君に、君が救えることを知っていて欲しい。

これまでのあり方を、何かを今すぐに変えなくたっていいんだよ。

ただ、目を開いて

今いるその場所で、

今まで見ていたものをもう一度見てみて。

そして静かに呼吸をして。

鼓動に君のハートが脈打つのが

聞こえるくらい。

押し出されて全身に巡る何かの音が、

聞こえるくらいに。




fin

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