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もうすっかり大人のパクチーの「なぜBTSにこんなに感動するのか」

ある時突然、人生に飛び込んできたあるアイドルグループ。なぜ?どうして?彼らを見続けるのを止められないんだろう?その理由をわたし自身が一番知りたくて、彼らを好きになってから数年、考え続けていました。

びびっと来た個人の嗜好に当てはまる「好き」は言語化できないものだけど、「好き」以上にパクチーが「感動」していることについて、自分よりずっと年下の青年たちに「感動」していることについて、BTSをよく知らない大人にも共有できるくらいの言葉でわたし自身腑に落としたかったのです。

もうすっかり大人のパクチーが、なぜ、BTSにこんなに感動するのか。

その研究の成果を、4つの要素に分けてご紹介したいと思います!


改めまして、わたしパクチー。


大学卒業前後から、舞台に関わる仕事と、音楽の仕事をしておりました。
業界のすみっこのすみっこの方で、「いつか…自分の名前で仕事をしてやる…!」と息巻くベリーショートの痩せっぽちの音大生だったパクチー。その仕事は大学卒業後4年くらいで辞め、今は静かな島で、旦那くんと力を合わせて子育てをしているパクチー。82年生まれ。

ある日、2018年の8月頃、iTunesで上がってきたリリース紹介の中にカラフルな男の子たちの写真がありました。その今まで見たことのないようなポップなスーツと味のあるアッシュなトーンが気になって検索したらば、丁度その時その曲の『MV視聴数が1億回突破、2018年で最速』であるという。

「へー」と思いながら初見。

「自由だ…」

最初に思い出したのは、10年前以上前にパクチーの先輩ソングライターが受けた、ある日本のアイドルのアルバム収録曲のコンペで出されていた指示であった。それはつまり、要約すると、「カラオケで歌える」。

これは…K-POP?…アイドルなんだよね?
なんだこれ、7人合わせた音域はむちゃくちゃ広いし、メロディーもボーカルスタイルも、カラオケで歌える前提になく、幅広く、なんだか、とにかく…自由だった。

そしてパクチーの大好きな刈り上げ!またパクチーの大好きなジェンダーレスとやや言えそうなスタイル!またまたパクチーの大好きなダンスのコンテンポラリーっぽさ!

初めて見た時、やっぱり髪の色が色々なことや、女性並みのメイクの濃さには驚いたけど、「男性らしさ」からの自由、「アジア人」という造形的な縛りを逆にキャンバスにして、「今Hip-Hopはアジアの端っこで、こういう風になったんだなあ」と、何でもありな、シルクロードを通って混ざり合ってたどり着いた文化みたいな砂漠の広さと遠さを感じ、「ミックスカルチャー、ここに至れり!」という声明を聞いた気がした。
そしてシルクの服をひらひらさせている彼らに、「ああ、シルクって彼らの文化にあるものだものなあ」と妙に納得感を持ち、カラフルな顔のない獅子舞のような生き物の動きには、まさに今、パクチーが住んでいる島の祭りで獅子舞を練習していた「知ってる知ってる」感を(実はアジアには獅子舞文化がかなり広くある)、所々に入れてある「韓国感」に(この曲は特に韓国的なニュアンスを入れた曲ではあったのだけど)、韓国が世界に誇れる歴史と文化を持っていて、日本の今の文化のすごーくすごーく土台になったものであることに今更ながら気づいたのだった。

パクチーはHip-Hopの根っこはやっぱりアメリカンカルチャーの中にあるものだと思ってしまうし、ブルースは黒人文化の、ロックやフォークやパンクは英語圏の中で育ったものだと考えてしまう。それらはアジアの風土から生まれる文化とは、やっぱり少しタイプが異なるんじゃないかと。スーツはヨーロッパの気候が生んだヨーロッパのもの、どんな美しいスーツを作っても本家があると。
だけど、彼らの衣装の一つがヨーロッパ的なアメリカ的な古着(テイスト)で、古着はどこの国の人がどう着ても成立するみたいに、POPカルチャーには本家も正統もない。POPは誰のものでもない!ということに、気づいてしまった。

POPは誰のものでもない!

POPは誰のものでもない!

声を大にして言ってみた。

そう、彼らの音楽は、Hip-Hop、彼らのルーツ、それ以外の様々な音楽ジャンル、を、見事に「POP」の括りに納めて成立させていた。パクチーはこの、いくつものルーツの見事なミックス具合にやられ、そしてフュージョンめいたダンスがもっと見たくて、おそるおそる彼らの別のMVを見始めてしまった。
そして見つけた「Save Me」→「Mic Drop」のダンスでトン、トン、トーン!とツボにはまってしまい、間も無く、さしたる時間もかからず、7人のメンバーの個体認識と声の識別ができるようになってしまったのだった…。

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「Save Me」の急にユニゾンになるところで、ぐっ!っと!

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この「Mic Drop」の首ががくっとなるところで、ぐわぁあっ!と!

我が半生は、まったくアイドルとも、K-POPとも無縁で過ごしておりました。そしてさらに言えば、今もその世界について、パクチーは未だにBTSのみしか存じておりません…。

しかしどうして彼らの動画を見るのをやめられないんだろう。

さしたる理由の分からないまま、パクチーの日常の中でBTSの存在感が日に日に大きくなっていく。彼らを見ることを始めてから、次々と動画をクリックする手を止められない。「この年齢で…」と自分ではかなり動揺と葛藤があって、傾き沈んでゆく自分の心を疑ってみたりした。「ヒットチャートのトップグループである彼らだけがわたしの心を掴むのではなく、最近のヒットチャートがどれも素晴らしいのかもしれない」。そう思って、その時のトップ10を全部聞いてみたりもした、アイドル界がこんなに進歩しているなら、パクチー好みの、刈り上げジェンダーレス女子ばっかりのグループもあるかもしれない。そう思って、K-POPの女子のグループを聴いてもみた。

だけど、パクチーにとって、BTSで受けた衝撃は他のものでは覆らなかったのだった…(そして刈り上げ女子のグループはなかった…)。

理由も分からず見続けながら、パクチー、彼らの動画を見て、何度も何度も泣いていた。

日本語の字幕を見ていて言葉も違うのに。カルチャーも違うのに。

なんだか彼らの気持ちがとってもよく分かる。
すっと言葉が届く。

それは彼らが、ステージで、バックステージで、「自分の言葉で話している」というのが、伝わるからだった。

それではやっと1つ目の感動ポイントが、こちらです。

感動ポイントその1:自分の言葉で話している

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なぜ、パクチーが「自分の言葉で話している」ということを一番に持ってきたか。

これはわたしは、ほんっっっっっと〜〜〜〜〜〜〜に驚いたし、ほんっっっっっと〜〜〜〜〜〜〜にびっくりした(同じか)。

それは、パクチーが若かりし頃にやっていた舞台の仕事で、アイドルさんが主演で出演するお芝居の音楽を作曲するという仕事があったことに、さかのぼります。まっ、正直下っ端のパクチーにはまったく絡みはなかったんですけども!

舞台の業界においてアイドルの認識は、先輩でもあった演劇業界有数の演出助手の女性の話によると、アイドルとは、「子供の時からまわりの大人に大切にされて育つゆえ、性格が大変良く、周囲の人に優しく、非常に頑張り屋さんで、すごーーーーーく、いい子」であると。きっと持てるベストをいつも尽くし、スタッフを困らせるようなことなどしないのだろう。

そして実際に現場でお会いすると、もう、めつぁくつゃキレ〜〜〜〜な肉体。ゆるっとしたジャージを着てでさえ、動いた時に服の上から分かってしまう、全身の筋肉の、すごい、質の良さ。なんていうのかな〜、とにかく「見せる」「体を動かす」お仕事じゃないですか。ダンスで作られるしなやかな動作。体のどこにも一片たりともぷよんとした肉なし。「なんでそこに?」という高さに筋肉だけでできているお尻があって、腰がくっと反られている。ちらっと見てそういう印象。決して舐め回すように見ていたのではない。例えるなら全身が手羽先の先の細い部分のようとでも言おうか(いらんか)。

だから、凡的スタイルの一般人であるスタッフたちの中に(他の俳優さんたちを含めてさえ)紛れていると、瞬時に目が捕まえてしまうのであります。首が「ガキッ」と止まるのであります。「かちん」と視線が引っかかるのであります。(WHY...?)と思うと視界の中にアイドルさんがいるのであります。視線が止まったことで、「あ、今視界の中にアイドルさんがいたのか」と、無意識の方が先に彼を捉え、意識が後から彼を認識するという、わたしの意思とはもはや関係ないのです。本能が捕らえる、抗えないフォルムの美しさなんだと思います。

正直、自分が彼らのファンになるところは考えたことがなかったし、ファンになるという形では今も当時も興味は持っていなかった。しかし、この自分が自分の無意識に抗えないことに、理屈じゃなく、「これは本当に、生物としてすごい」と、勝手に腑の方に落ちてきたのでした、思考じゃなくて本能の方が引っ張られてる、その、選ばれしアイドルさんのアイドルたるゆえんが、ゴトンと。

かようにも素晴らしく、素晴らしく身体能力の高く、素晴らしく飲み込みが早く、素晴らしく危機管理能力が高く、素晴らしい人柄である、彼、アイドルさんその人、しかしその表、プレス・メディアに出る言葉は、イメージは、ファッションは、音楽は、会社(の人)によって常にコントロールされていた。用意されていた。

「いつかアートで自分の名前を残してやるんじゃ!」と息巻いていたパクチーには、(彼個人の考えや欲求を、仕事で関わる人も、お茶の間の人も、ちゃんと問いかけることがあるのだろうか。聞く用意があるだろうか。役割として振舞うべき適切な、フィットするアクトを求めていて、それ以上には誰も、本当には彼自身の答えを求めていないのではないだろうか…)と思うと、彼らが本当に人と全く違う、全てにおいて能力の高い、生物として稀有なトップオブトップ、そして且つなんと「いい人」であるのに、そうであるのに、表現者として自由でなかったことを、彼自身が本当はどういう人なのか問えないことを、問われないことを、目の前にいる当時同世代だった男の子の人生を、少し悲しく思えてしまったのでした。この「いい人」とは、都合の「いい人」ではない。人格の優れた人という意味である。

誰か問うてくれ。こんなに才能に溢れた青年の中には、素晴らしいものが、唯一無二の、人々にとって共有財産になるような何かに育つ可能性のあるものが、そこにはあったのではないか。

だから、BTSのメンバーが、バックステージやスピーチなどで自分の言葉でしゃべってるってことに、パクチーは本当に驚いた。「あ、彼らの会社はこれをさせるんだ。彼らはこれをする人たちなんだ」と。ちゃんと自分の本音のところにアクセスして、努力して、丁寧に、誠実に、自分の心や考えを言葉にし続ける、ということを。アイドル、アイコン、タレント、役者、である前に、素の彼らがどういう人間であるか、と、周囲が彼らに真剣に問うている。一人の人として尊重して扱われている。

そこには等身大の本人がいた。

「自分が何を感じているか」
「どう考えているか」

これって、大勢の人の前で分かりやすく端的に伝えるのって、実際にはとても難しいことです。トレーニングの要るようなことです。実際、彼らはきちんとトレーニングをしたのだと思う。サポートを受けていたのだと思う。精度は順々に上げていったのだと、パクチーには度々感じられた。

どういう種類の言葉でも、本音から発せられた、嘘がない言葉は、とても伝わる力がある。「楽しい」「辛い」「嬉しい」。心からそう思っているんだろうと思えると、その時心と心の距離がゼロになる

言葉も違うのに。カルチャーも違うのに…。

画面の手前と向こう側なのに。

こんなに物理的に距離があるのに。

ああ、こういう風に人は、人に信頼感を持つのか。こういうやり方で人は、人を好きになったり、応援したくなったりするんだな。

彼らを見ていると、それを目の当たりにしているように思うのです。

いつも彼らが、嘘のない本当の言葉を語ってくれるから、わたしたちはいつも心打たれている。内側を晒すそのあり方を選び続けてくれる彼らに、いつも心打たせてくれる彼らに、やっぱりパクチーはいつでも、心打たれるのでした。うわ〜ん。


感動ポイントその2:若者に対するメッセージ

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BTSにはまっていく自分の心を疑ったりして抵抗してみたパクチーが、けれども結局、完璧に胸を打たれたのは、彼らが「自分を愛せ」と言っていることだった。

かっこいい男の子が、うら若き女子たちに「自分を愛して」と言うことに、どれだけ大きな意味があるであろうか!

だってこの世界の1番コアな要素はそれだから!世界の扉を開く鍵はそれだと思うから!地球が崩壊しないで続いていくための鍵はそれだと思うから!

だからその役割の偉大さに、もう、わたしが何をどう思うかと関係なく、彼らにはいつも光り輝いて欲しい、と深く深く思った。

繰り返し語られる「Love Yourself」の難しさ

とはいえ、「Love Yourself」は単純ではない。「よし、自分を愛そう!さんはいっ!」と言ってできるものじゃない。

パクチーは、「自分を愛する」ということが、幸せに生きる最初で最大のステップだということを、彼らが、このことに価値があり、しかし難しいことであると言っていることを、深く共感している。

人は、幸せにありのままの自分を生きる人を見て、「あの人は幸せそうだ、自分もそう生きたい」と思って、実際の行動が変わっていく以外に、他人の人生を変えることはできない、悲しいことに…。他人を幸せに変えたかったら、自分の人生を幸せに変えることででしか、できない。そして、自分を愛していなければ、自分が幸せになる方を選択することはできない。

「Love Yourself」とは、究極のシーンにあって「それでも生きる」方を選択することができる、最終的なセーフティネットなのである。彼らが懸命に自己愛を語るのはこのためである、とパクチーは感じている。

自分に満足していて満たされていると、近くに苦しんでいる人がいたら辛いなと思うし、その人が安心して、心地よくいられたらいいのにと願う。「周囲の人の幸せ」は「自分の幸せ」になる。他人を退けたり、貶めたりしたいとは思わない、だってそんなことが自分を満たしてくれないのを知っているから。

つまり、
「自分を愛する」
ということが、
世界を幸せにする、
世界を平和にする鍵で、テーマで、本当に実際、そうなのだ。

パクチー、舞台や音楽の仕事を通して、自分を愛せない、自分を傷つける若者に何人も会った。わたしの家族もそうだった。わたし自身もそのこととずっと対峙した。そしてそう、もちろん、「幸せにならない」という尊重されるべき選択もある。

「自分を愛する」
「ありのままの自分を愛する」

これ自体は、ありとあらゆる様々な方法で、たくさんの人が言い続けているし、BTSのしていることが特別に新しい訳でも、彼らのしていることだけに価値がある訳でもない。

ただ、彼らは彼らの言葉を聞きたい世界中の若者に、文字通り体を張って、アルバムごとに段階を踏んで「自分を愛する」に至るという、自分を愛するのをサポートするようなユニークな構成で、この価値あるメッセージを表現してきた。彼らの作品が発表されるごとに、アルバムごとに、段階を踏んで自分を愛せるようになった人がどれだけいるだろう。

なんて偉大な仕事だろう。
そしてこれは現在も進行しているのである。

彼らが「Love Yourself」をテーマにし始めたことで、彼らの語る抽象レベルは音を立ててぐんぐん上がっていきました。今や、大変高度なものになりました。愛って、なんたって、目にも見えないし、触れることもできない。

彼らが体得したその目に見えないものは、ファンに対峙するときに、盛大に、花が開くように活かされ、わたしたちはそれを「見る」ことができる。わたしたちが見ているのは、「僕たちは自分を愛する、きみたちも自分を愛することを、共にしていけるね、だからお互い大切なんだね」という、世界が存続する秘密、そのものなんだと、パクチーは思っている。


感動ポイントその3:メンバー同士のパートナーシップ

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BTSを「好きだなあ」と思うと、同時に深く感じること。

「人ってここまで深い信頼関係を築けるんだ…。」

利己の先にある、愛。
自分のエゴとそれぞれが上手く向き合いながら、メンバーと真剣に向き合うことで、彼らはメンバー同士の中から本質的な愛を、はっきりと、しっかりと、ゆるぎなくそこに見ている。彼らが互いにありのままでいればいるほど、その人はそこにしかいない、他に代わりがない、変えようのない魂そのものの形を見るようになる。その唯一無二の形をそのままにコミュニケーションをとり、その人のそのままの形を親愛するようになるに至るまで、彼ら自身が段階を経て、愛を表現する力を、語る力を、磨き続けてきたように思う、若くエネルギッシュで、やんちゃな少年たちから、徐々に、時間をかけて。

彼らがファンから受け取っている「愛」について、適切にクイックに言語化できるのは、メンバー同士のコミュニケーションで決して手を抜いてこなかった下地があるからだ。

メンバー同士がどんなコミュニケーションを取っているか、それを垣間見せてくれる動画がたくさんあって、それは微笑ましかったり、声をあげて笑っちゃったり、癒されたりするものなのだけど、と同時に、パクチーはすごく救われたような気持ちにもなる。
それは、

「この世には、これだけの深い信頼関係を持った人間関係が存在するんだ」と知ることで、「自分の人生にも、それが起こる可能性がある」ということを知ることができるからだ、とパクチーは思っている。

「IDOL」のMVを見て以降、なぜかも分からず惹かれるままに「最近、何が何だか分からないけど、すごい夢中になって見始めた子たち」が、程なく国連でスピーチをし、グラミーでプレゼンターをする。「何が何だか分からないけど、どんどんすすすすすすすすごくなっていく!」。内面世界からも、リアル社会という外側からも、両方からめくるめく魅力の鞭に打たれて、目の前で大きな絵物語が展開していくようで、パクチーは大変興奮したし、大変どきどきした。
だから、2020年に「Dynamite」がきっかけでBTSを好きになった人たちが、「好き」が深まるのと同時にあれよあれよと世界で歴史的な記録を打ち立てていくのを目の当たりにするのは、さぞやどきどきしたり興奮したろう、心中お察し申し上げます。

そして2021年1月。グラミーを目視しながら、ビルボードのトップアーティストとして立っている今の彼らを見ていると、パクチーの心の底には、ある深い深い感動が横たわっていた。

そうか、ポジティブなコミュニケーションの積み重ねは、人をこんな高みにまで連れていくことができるのか。

パクチーがかつていた舞台の世界では、演出家がかなりの暴言を吐くことは、偉〜い演出家でも偉くない演出家でも、まあ普通にあることだった。
それを現場の人々が受け入れていたのは、厳しい世界だから、強い言葉で、ただの子娘だったパクチーが(何を言っても許される人なんていないんじゃないか)と心の中で思うような言葉で、打ちのめされたり凹まされたりすることは、ハイレベルなものを生み出すためには必要なのだ、と考えるからだ。

ちゃうやんか。ちゃうやんけ。

今、BTSが立っている場所が、「ポジティブなコミュニケーションが到達できる場所」を明示してる。彼らは今高みに立つことで、芸能の世界のセオリーを、マイナスからプラスに転換した。彼らより高い場所を「ネガティブコミュニケーション」が到達できるとは思えない…。

メンバー1人1人について知ることが増えてくると、BTSが、それぞれ全く違うものを持った人たちの集合体だと感じてくる。そしてそれぞれの違うものが、非常に魅力的に融和し合っているのを感じることができる。違うからこそ、BTSの魅力が深く広く展開しているのだと思える。

「互いが違う」ということを、今の状態にするまでに、どれだけの壁を乗り越えてきたのだろう。人格が形成される前後の思春期の、過渡期の、その難しい期間を、この青年たちは、辛抱強く、粘り強く、諦めず、向き合い続けたのである。自分と。互いと。

それはどれだけ困難だったろう。

人間関係、その困難さに向き合う価値が、本当にあるの?

それを、彼らはわたしたちにいつも、さまざまな形で見せてくれている。自分の人生に他者がもたらす豊かさ。彼らの言動を見ていると、「他人とのコミュニケーションの間で、皮肉とか、いじわるとか、可能性の否定とか、いらないのか…」と思える。いつだって、彼ら同士のコミュニケーションには、ざまざまなレベルのヒントが散りばめられている。

彼らが、彼らの中に(「Louder than bombs」の歌詞中に書かれているような)エデンを作ることができたように、自分のそのままの自然な形が、そのまま自然に受け入れられる場所があったら、自分の周りにそういう空間を作ることができたら、ほんの小さなコミュニティの中でも、そこがまず自分にとっての地上の楽園になるのだろう。それはわたしにも、あなたにも、可能なんだと、わたしたちは知ることができる、今使っているこの肉体で、地上の楽園に暮らすことが。

いつだって、自分の発言から、ネガティブな言葉を取り除くのは難しい。その言葉の生まれる自分の心のあり方を見つめるのは難しい。

それでも、「BTSというモデルを知っている」ということは、いつだって他者との関わりで自分を心地よくする方へ歩むのを、背中をそっと支えてくれていると思うのだ。


感動ポイントその4:そして歌って踊れるスーパーヒーローなのね

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ところでパクチーはダンスを見るのが好きだったの。
特にコンテンポラリーダンスを見るのが好きだったので、舞台の仕事をしていた時は関わりのあったダンサーさんたちのステージを見に行ったりするのは、大変楽しみなことでした。

パクチーがBTSを見始めて、「ぐっ」と掴まれ「ぐわぁあっ」と振り回された初動のところには、今やどんな表情でもくらくらきてしまう皆んなのお顔や、上記のような本質的な魅力より先に、パクチーの場合「ダンス」があったように思います。ダンスが見たくて、次々に作品に対して興味が湧くのを止められない。

パクチーがBTSのダンスのここがすごいなと思うポイントは、

「目新しさ」と
「奇抜過ぎない親しみやすさ」。
そして、
「めくるめくフォーメーション」
です。

見たことのない世界観と、知っているニュアンスのポップなところが混在しているところ。彼らのダンスの振り付けって、ひとつのジャンルに収まっていませんね。他であまり見たことのないようなコンテンポラリーな部分もあるけど、そこには既存のジャンルの親しみやすい部分がミックスしていて、まったく不可解な未知の動き、という訳ではない。
そして、アクロバティックに変わるフォーメーション。フォーメーションが変わるごとに世界が切り替わるような、ダイナミックな表現を7人が作っていると感じられるところ。このフォーメーションに関しては、特にマンネ!末っ子のジョングクくんが、初期の頃からずっとすごい。すごいって何がかというと、メンバーの中で断トツで移動が多い。功労者。ありがとう…グク…。全然そんな素振りないけど…。

そして、ダンス経験者ならお分かりになるだろう、彼らのパフォーマンスを成立させるために、
いったいどれだけの時間と努力が必要か!
どれだけのトレーニングがいることか。
どれだけ挫折やスランプに出会うことか。
どれだけ体力作りが必要か。
体調管理やメンテナンスが必要か…。
しかも彼らは歌って踊っている…!

それでは、今回のこの記事、このnote、パクチーが個人的に印象深かったダンスの動画を年代順にいくつかご紹介して終わりたいと思います。それーー!


2014年「War of Hormone」practice
みんなかわいい…んだけど、SUGA、かわいい…「대취타(デチタ)」のAgust Dさんと同じ人と思えない…。


2016年「21st Century Girls」

ジンくんが表現している表情に幸せな気持ちに。ステージ前のジミンちゃんのえぐい切り替えが見られるBOMBもおすすめ。


2017年「GO GO」

いつもと違うタスクのせいか、ハイバイブレーションの集中が気持ちいい…。


2018年アメリカの番組での「IDOL」
入念な調整と気合が感じられるステージ。彼らにとって初めて出演するアメリカの大型局の朝の有名番組「Good Morning America」にて。一見すごくやり辛そうなステージ環境、ものすごい集中に、パクチーは体を硬直させて見入ってしまう(公式が消えちゃったよ〜う涙)。もはやアートと…。


2018年ジミンちゃんの扇子パフォーマンス
ホビ(J-hope)もグク(ジョングク)も最高。そしてジミンちゃんは真骨頂よ…。ほぅっ…(ため息)。伝統舞踊の大家に褒められたと言う、先生のコメント、全く同感です。


2019年「We are bulletproof pt.2」
改めて見るデビュー曲。MAMA。感無量。としか言いようがない。


2020年「Boy With Luv」
皆んなが振り付けを踊ってるんじゃなくて、パーティーを楽しんでいるみたいに見えて楽しい。


2020年「MIC DROP」

公式があったらいいのに…泣。日本の番組「FNS」での韓国語ver.。なんという集中したパワー…。時は至れり。


あとは公式MVの「Save ME」「ON」、他の記事でも取り上げたThe Late Late Showでの「Black Swan」のダンスは、パクチーとにかく痺れるわ!

BTSのダンスを、「どんな方が振り付けしているのかな」と見てみると、とても多様で驚きます。そして振り付けしているダンサーさんのダンス動画など見ていると、楽しくてあっという間に時間が経ってしまいます。

パクチーは、ダンサーが、世の中の可能性を司るところにいる属性を持った人たちのように感じる時があります。言語化できない、この世に存在する何か、何者かのエネルギーと交信する特殊能力がある人たち。言語化できないエネルギーを動きで空間に転写する人たち。

完全な職業ダンサーなら、「笑顔」とか「顔が見えるように」とか、却って個人は作品の妨げになる場合もある、そういう意味では彼らはダンサーとは言わないかもしれない。でも当然ダンサーの要素なくしてはできないことをしている。だから、パクチーはいつでも、彼らの語ることの裏付けに体を動かす人たちの認知していることの確かさ、誠実さを感る。

そんなところも、パクチーが彼らが好きな理由の一つかも知れません!


というわけで。

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パクチーがいかに、本質的にBTSにしびれているか、お分りいただけただろうか。

愛の伝道師!と、パクチーは思う。

そして愛の伝道師という役割を前向きに努めようとし始めてから、彼らの顔つきや振る舞いがどんどん変わって、時々一瞬、特にリーダーなんか、もはや菩薩さまに見える時がある(そもそも菩薩さんっちゅうのが修行中の行者さんことでもあり…)。

いつまでも、彼らの展開を楽しみにしたい。そしていつでも、わたしの世界に新しい発見をくれることを、わたしは心から感謝しています。

別の記事では、メンバーひとりひとりの持ち味から、パクチーが感じているBTSの魅力を共有できたらいいなと思います。


それではまた!




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