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塾講師牡丹たんの憂鬱③

その①その②もあります。未読の方は是非読んで貰えると嬉しいです。

塾講師のバイトをしていた当時、牡丹たんは男子小学生にやたら人気がありました。
この理由はハッキリしています。精神年齢が彼らと同じ11歳くらいで止まっているからです
う◯こが〜とかちん◯が〜みたいな話で僕は未だにゲラゲラ笑ってますし、好きな女の子には決まってイジワルしたくなってしまいます。

そんな牡丹たんが特に担当する機会の多かった二人の小学生男子(5年から6年まで担当)について回想して、このシリーズの最終回としたいなと思います。

どちらも普通の公立に通っている子で、一人目は学校でやった内容の補習を目的として通っている子でした。ここでは仮に名前をやっくんとしておきます。理由は、彼の苗字が有名な暴力団の名前と同じだったため、最初ヤクザの息子なのではないかと僕が勘違いしていたからです。

やっくんは算数の出来が悪くて塾に通わされたのですが、僕が担当した当初はぶっちゃけそれ以前の問題でした。
宿題はおろか教材そのものを毎日のように家に忘れてきてしまうし、授業中も中々集中力が続かずすぐに無駄話を始めたりチック症状的な動作が随所に出たりしてしまいます。多分、ADHD的な傾向があったのかと。

ただ、これまでのシリーズを読んでくださった方々はもう薄々勘付かれていると思いますが、牡丹たんがその現状に対して何か真面目に対策をとるはずがありません。

忘れたもんは次もってくりゃいーじゃん、という適当さであまり責めることはしませんでした(次回の授業で忘れた分もしっかり持ってきてくれるケースが多かったので、やってない言い訳でというよりかはほんとに忘れ物が多い子だったのかと思います)し、やる気が切れたならしゃーねーわな、と僕自身も無駄話に付き合ってうん◯がどうだのち◯こがどうだのでゲラゲラ笑ってました。伏字の場所ここで合ってましたっけ?

ただ先述のチック症状については、もう集中力がないのにちゃんとやれちゃんとやれと詰められた場合に出ることが多いタイプだったようで、牡丹たんが担当するようになって少しすると(少なくとも塾の中では)見られなくなりました。牡丹たんの無責任さが良い方向に出た、怪我の功名と言えるケースだと思います。

そんな感じで暫く授業をしていると、どうやらやっくんも牡丹たんのファンという将来悪人に騙されて痛い目を見ないか非常に心配なタイプの人種になってしまったようでした。

ただ生徒というのは不思議というか単純というか、こんな風に講師のファンになってくれると、やたらと頑張って成績を上げてくれるようになるんですよね。
やっくんもその例に漏れず、6年生に上がる頃には学校の授業でやる内容は殆ど問題なくこなせるようになり、その年の秋だか冬からは中学での学習内容まである程度身につけることができるようになりました。

この頃になるとADHD的傾向もだいぶマシになってきていて、結構集中して問題に取り組んでくれるようにもなってました。もしかしたら、算数が結構面白くなってたのかもしれません。

ここの5→6年生のタイミングでやっくんは急に自己というか、自我が芽生えたようで、色々な相談も僕にしてくるようになりました。
僕も逐一真面目に不真面目に答えてましたが、
「好きな女の子がクラスにいるけど、変に意識しちゃってうまく話せなかったり、イジワルをしてしまったりする。どうすればいいか?どっかで思いを伝えるべきか?」
みたいな相談を牡丹たんにすることは明らかに人選ミスと言わざるを得ません。何故なら、牡丹たんは未だに好きな子とは素直に話せませんしイジワルもしてしまうし、そもそも論で経験が乏しすぎるからです。

その他には、やっくんは元々ドラムをやってる子だったんですが、中学に入って吹奏楽部に入るか個人的に続けるか、みたいな相談をされたこともありました。
僕が中高大と吹奏楽やオケをやっているのは彼もその時既に知っていたので、当時の経験を色々話しながら、最終的にはどっちでもいいと思うけど僕は吹奏楽やってそこそこ楽しかったし貴重な経験が出来たと思ってるよ、みたいな所に着地したような覚えがあります。

牡丹たんファンであることに影響されてかどうかは知りませんがやっくんは結局吹奏楽部に入り、どうも音楽的センスがあるヤツだったようで、一年次からコンクールのメンバーに入って夏場は猛練習。
夏期講習でたまたま担当した時に、金賞が獲れそうとか県大会でもいいセンいけるかもみたいな話を嬉しそうにしてくれたのを見て、僕も自分のことのように嬉しかったのを今でもよく覚えています。

初めて彼の授業を担当した時はまさかこんなことになるとは思いもよらなかったですよ。
ガチで吹奏楽なんかやってると辛いことも沢山あると思うんですが、順当に行けば今はどっかで高校生をやってるであろう彼が楽しく音楽を続けているのを、僕は心から願っています。

二人目は中学受験のために塾に通っている子でした。
中受を考えてるだけあってやっくんよりはだいぶ落ち着いた子で、授業もとてもやり易かったですね。夏目漱石先生の坊ちゃんに倣い、ここでは彼を山嵐と呼ぶことにします。理由は、この名前をひっくり返した地名がある所の中学校に入学したからです。

山嵐くんの中学受験は、公立の中高一貫校に絞って計画立てられていました。
ご存知の方は僕のノートの読者ではふくちさんくらいかと思うのですが、公立の中高一貫って入試問題がすごく独特で、普通に高校+大学受験を経験してきたっていう人では全く見たことがないような問題ばかりなんですよ。

牡丹たんの中学受験も受けたのは私立だけだったんですが、その内のある一校で「国語特別選抜」という形態の試験が行なわれており、そこでは公立中高一貫校の問題のように小論文が中心となっていた(そして僕はその試験で偶々拾ってもらえてそこに入学した)という経験があったため、山嵐くんの授業も特に抵抗なく進めることができました。
当時あの塾で彼の授業を仮初にでもこなせそうなのは、僕くらいしかいなかったんじゃないかな?と思います。

また、山嵐くんはすごく真面目で知的好奇心も強いタイプだったので、僕が授業の折に挟む余談やムダ知識を結構面白がったりもしてくれました。
兵役対策で皆女の子のフリしてた話とか、クジ引きで将軍を決めた話とか、けっこうウケがよかったような覚えがあります。

作文方面は最初の頃はやっぱり素人同然だったのでイマイチでしたが、僕が簡単に模範解答を(この世の物とは思えぬほど汚い字で)何度か作ってあげると基本的なルールは概ね理解してくれましたし、字数制限がヤバい時のちょいテク(漢字を使ったりあえてヒラいたり、細かな言い回しを変えたり)を教えると、これも結構速くモノにしてくれました。

やっぱり元々頭の出来が良い子だったので、ここまで来るとお互いに結構楽しくなってきます。この文脈でこの言い回しを入れるとエスプリが効いてて面白いけど、採点者の機嫌を損ねるかもしれないので本番は絶対にやらないようにみたいなネタを随所で仕込んだりして、よく二人で笑ってました。
そうこうしてると小6の秋口あたりには志望校の判定もBだかなんだかになって、これは合格もワンチャンあるのでは!と機運が高まってきたところで事件が発生します。

山嵐くんの母親から、中学受験は辞めにしたいという申し出が入ったのです。

他人の家庭事情なので一介のバイトである僕が詳しく知ることはできなかったのですが、ご家庭の経済問題だったりとか、旦那さんとの関係がその要因なのではないかとの話。
折角合格が見えてきたのに…と残念な気持ちもありましたが、僕より山嵐くんの方が余程残念だろうと思い直し、月謝を払ってる分は塾にも通わせるというご家庭の方針もあったので、しばらくは受験用ではなく学校の予習を授業では取り扱いました。

ただ、山嵐くんもこの時は全然楽しそうじゃなくて、僕もとても申し訳ない気持ちになったのを覚えています。
そんなつまらない授業を何度か行い、彼と会うのも次が最後とかか…となったところで、ご家庭でも色々ゴタゴタがあったのでしょう。
急転直下、やはり中学受験をやることにしたという連絡がご家庭から入ったようで、山嵐くんは再び戦場に赴くことになったのでした。

僕が一番心配していたのはやはり生徒のメンタルです。
中学受験というのは齢12歳の少年少女が経験するにはあまりに厳しい世界で、ただでさえそこで生きるのに精一杯だというのに、更に家庭の事情でやれるだのやれないだのと二転三転が起きた山嵐くんの心中は、察して余りあるというものですよ。

せめて牡丹たんはいつも通り、ちゃらんぽらんな軽いにーちゃんでいようと普段にも増してムダ話とムダ知識のストックを用意して授業に入ったのですが、そこにあったのはそれまでと変わらぬ態度で動揺を全く見せず、勉強に取り組む山嵐くんの姿でした。

正直これには冷血人間と名高い僕も心を打たれましたよ。大人が勝手な事情で振り乱してくる中、彼は惑わされずに自分にできることを愚直にこなしている。こんな出来た小学6年生がいて良いんですか?

こりゃ何とか合格させてやりたいなと気持ちを新たにして直前期の追い込みに入った牡丹たん。
とは言えムチを入れるようなことはせず、むしろこの辺りから彼へのアドバイスは受験直前のメンタル管理とかそっちの方が多くなってきました。

あとは中学生活がどうなるかみたいな話ですね。中高一貫に入るとこういう環境になるよ〜みたいな話はモチベーションアップになると思ってガンガンやりましたし、本人が
「落ちたら人生終わりだ…」
みたいになるのもよくないな〜と思って、公立は公立で色々楽しいこともあるとか、一応中受では成功の部類に入ってる牡丹たんも今ではこの通り生産性皆無の人生終了孤独死秒読み男だから中受で全てが決まるわけじゃねーぞとか、そんなような話をしたようなしなかったような気がします。ひょっとしたら後者はやや誇張された表現かもしれません。

そんなこんなで山嵐くんの志望校の入試当日がやってきました。
関西の学校なので応援に行くことも結果をすぐ聞くことも出来なかったんですが、なんとか彼が納得できるくらい力を出し切ってくれるといいな〜と思い、牡丹たんも東京から念を送っていたのを思い出します。

数日後、偶々僕が休みの日に結果報告に来てくれたようで、またその数日後に僕が塾長から聞いた山嵐くんの結果は不合格でした。
ゔぉい!!てめーが適当な授業はするわ怪しい念は送るわで足を引っ張っといて、どのツラ下げてこんなノート書いてんだ!?!?山嵐くんに謝っても謝りきらんわ!!死んで償えカス!!!!!!という風に思っている方も多いと思います。

僕自身も非常に申し訳ない気持ちでいっぱいでしたし、正直不合格という結果を意外に思っていた面もあったんですが、「山嵐がすごく晴れやかな顔をしていた」という塾長の言葉に少し救われたところもありました。
色々あったけれど、彼が彼なりに過程と結果を咀嚼できたのであれば、少しは意味のある時間だったのかなあと。

関西に引っ越すこと自体は既に決定事項だったので、向こうの公立に通いますって言ってたよ〜と塾長が言うのを聞いて、向こうでも頑張ってほしいな、と思い、僕はその日予定されていたAちゃんたちの授業の準備を始めたのでした。

…ところがその1週間ほど後、何故か塾長から再び「山嵐なんだけどさあ…」と声をかけられます。
なんだ?不合格にしてしまったことを時間差で絞られるのか!?まさか牡丹たんはここでクビ!?!?!と狼狽する僕を気にも留めず、塾長は

「さっき塾に来てさ…、第一志望の学校、補欠で合格したって!

という衝撃のニュースを伝えてきたのでした。

しばし塾長と喜びを分かち合った後に、牡丹たんにも感謝してるって言ってたよという言葉を聞いて、とても嬉しい気持ちになりました。
結局その後もタイミングが合わずに山嵐くんと直接は会えなかったのですが、別に彼が僕に感謝してようが恨んでようがそんなことはどうでもいいんです。

彼は僕が担当してきた中で一番真面目で、一番人間ができてて、一番健気な生徒でした。
そんな子が補欠とは言え最高の結果を掴むことが出来たのが、僕は堪らなく嬉しかったんですよね。

一つ前の記事でも書いた通り、今の世の中、人間はどうしようもなく最悪ですし、そんな中に新しい命を作って解き放つのは僕には狂気の沙汰としか思えません。
きっと山嵐くんも志望校に受かったとは言え、そこでは辛いこともたくさん待ち受けていたと思います。
もしかしたら再び、家庭の事情に振り回されて苦労しているかもしれません。

それでもどこかで、あの時頑張って勉強して良かったなとか、この学校に入れて良かったなあと思ってくれていて、加えてもし万が一記憶の片隅にでも、あの牡丹たんとかいう先生はアホだったけど面白かったなあとか、あの人が担当で助かったなあとかそういう風に僕の残像を残してくれていれば、それに勝る幸せはないですね(教師になれば良かったのにと思う方がいるかもですが、僕は教師同士でのリレーションシップが生理的にムリだったので、就職の時教師は選択肢にありませんでした)。

僕はどうしようもなくもうダメで、きっと心が今の低空飛行を抜け出すことは死ぬまでないと思います。
それでも牡丹たん先生と深く関わってきた生徒たちが今少しでも幸せになってくれていれば、ほんの少しでも生き易くなってくれていれば良いなと、僕は心の底から、本気で、思ってます。
牡丹たんは病的な嘘つきですが、これは嘘じゃないです。

このろくでもない世界に生まれてしまった若い命のうち、狭い狭い範囲だけど、僕と多少は深く関わってくれた彼らの、彼女らの未来が少しでも明るいモノであることを願って、このシリーズを終わりにしたいと思います。

①〜③を読んでくださった方々、本当にありがとうございました。


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