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可愛い子には旅をさせよ

今日は"可愛い子には旅をさせよ"ということわざについて自分なりの解釈を覚え書きしとこうかなと。

今というかだいぶ前からかもしれませんが、日本の教育はどちらかというと"転ばぬ先の杖"みたいな教育が主流になっている気がします。内申で良い点がとれるように、さらに良い大学に入って良い会社に入れるように、他の子達よりも自分の子が抜きん出るようにと先手を打って教育、教育…。しかし私は"転ばぬ先の杖"とは自分が自分自身の心得としてとめておくことわざであって、教育のためのものではないと思うんですよね。

私としては教育にふさわしいのはやはり"可愛い子には旅をさせよ"の方ではないかと思います。私は生まれつきなのかバカなのか、結構いろんなものをバーン!と捨ててバーン!と新しいところに飛び込む、ということをしてきました。あ、バーン!と捨てて、は大げさだな…もうおそるおそる、しがみつきつつ手放す、ということの方が多かったような。

しかしどちらにせよ0にリセットして新しいところへ足を踏み入れなければならなかった、という意味では同じで、それは自分の意思であったりそうでなかったりいろいろでしたが、とにかく全然知らない世界へ勇気を持って足を踏み入れないとにっちもさっちもいかない、という経験を何回かしました。

その時は本当になんで自分がこんな目にあわなきゃならないんだと泣きそうにもなりましたし(実際泣いた)、明日が不安で不安でどうしようもない時も多々ありました(占いに頼ったことも一度や二度ではない)。だけど振り返ってみればその全てがどうにかなったし、おかげで全てが今に繋がっている…。こういう経験を多少でも若いうちにしておいたのが本当に良かったな、と私は思うのです。

年をとればとるほど、最初にこういう経験をする時のハードルは上がります。私は何回かそういう体験をしてきたおかげで、何かにしがみつく、何かを失うことに恐怖する、ということをしないで済んでいるのだと思います。何かがとつぜん頓挫したとしても、カウンターがゼロに戻されても、"捨てる神あれば拾う神あり"、という経験があるのでそこまで怖くはないというか。そういう経験をしてきたか、してきていないのか、では精神的な余裕さが違うと思います。

だからこそ"可愛い子には旅をさせよ"ということわざは教育に必要だと思うのです。旅に出れば必然的に困ることも出てくる、痛い目にもあう…うちの子も転んでばかりだけど、きっと自分の力で立ち上がれるはず、と信じられるのは、こんなに弱虫で怖がりで意気地無しでダメな私でもここまで強くなれたんだから、という自負があるからです。転んで立ち上がった経験があれば人はたくましくなれる…私はそう信じます。

余談ですが岡本太郎さんの「いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ。やってごらん」も同じような意味だと思っています。映画『トップガン マーヴェリック』の名言、「考えるな、行動しろ」も。とにかく旅に出なければ(もちろん比喩です)、そこに飛び込んでみなければ、行動しなければ何も始まらない、というのは人類共通なのかな、と。

ということでまとまりないですが"可愛い子には旅をさせよ"についての考察でした。

※写真は最近旅に出た時に撮ったもの。都内、増上寺のカフェにて。


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