崇高な雷に打たれて、「これが私か!」となるエピソードなんてドラマにしかない

「自分探し」は、時に今の自分を苦しめる。私は、学生時代から「私じゃない私」を探してる。しかも、ドラマチックな出来事で「私はコレだったんだ!」と啓示を受けるような、そんな出来事をずっと待ち望んでた。だけど、そんなことは私には起こらないんだ。

突然、会社員を辞めて、自分探しを2年間

2年前に、「仕事って楽しんじゃいけないんだっけ?」と疑問になり、仕事を辞めた。

次の仕事も決めずに、ただただ、この場所から離れたかった。パワハラやセクハラがあったわけでも、残業が多かったわけでも、多大なるプレッシャーがあったわけでもない。
ただ、平日の10−19時を捧げるにはしんどかった。1日の中で、1週間の中で、有意義に過ごせる時間帯に、机に向かって、パソコンとにらめっこする。私がいることで、クリイエティブなものが出来上がる実感もなかった。

入社1ヶ月くらいで「ここにいる私はツラくなりそう」とわかっていた。
それを実行に移すまでに、10ヶ月かかっただけ。

それから、フリーランスとなり、時々仕事をしながら、基本的には、全部自分だけのための時間を過ごした。「私は社会に必要とされているのだろうか?」という不安を抱えながらも、「だけど、私は何をしたいんだろう?」「何が強みなんだろう」の問いに真剣に向き合う。

そう、学生時代に終えたはずの「自分探し」。社会人15年にして、再会を果たした。キャリアだけではなくて人生すべてを考えるために、セミナーや本、キャリアコンサルタントとの面談、フレームワークを使った自己分析、旅、コーチングや、精神的な部分も知りたいとQHHTや瞑想も始めた。

だけど、何も変わらなかった。というよりは、変わった実感がなかった。

雷に打たれたようなビビッとくるような啓示も、頭の中がクリアになって整った感覚がまったくない。
(だけど、確実に、考え方や気持ち、付き合う人々は変わっていた。心や精神が変わった気がしないだけ)

凝り固まった概念にとらわれない

そんな時に、Dana さんの untitledを受けた。その中で、目から鱗だったのが、「凝り固まった概念にとらわれすぎない」ということ。

私は、「自分と繋がる」「セルフラブ」「瞑想」は、ここではないどこかに連れて行ってくれる特効薬だと思ってた。
・神聖な何かとつながり、導かれる
・何か行動をしてなくても、勝手にいい感じになる
・エゴがなく、崇高な存在になる
・キラキラしている
・幸せオーラをまとうことができる
そんなイメージを持ってた。

だけど、そうじゃないみたい。
そんな概念は勝手に誰かがつくった妄想(と私は解釈した)。
迷い、怖さ、不安は簡単に出てくる。人間は移り変わる心を持っているから当然。それらの弱く見える自分も全てを受け止める。その移り変わる心を感じて、気づいて、表現して、行動をする。それを繰り返すだけ。

特効薬でもなくて、本当に愚直に、実践を重ねるんだろうな。
その実践を重ねた先に、迷いや怖さや不安が少しずつ取り払われていって、「これだ!」というものが私の内側から出てくるのかもしれない。

別に、雷も来ないし、預言者から言い当てられることもない。突然、ヒーローになることもない。

私の中に眠っている、外から啓示されない

だから、私は瞑想をやってみた。「無にならない!」とやっていた瞑想は諦めて、自分と対話をするように心がけてみた。
今までも、頭の中に浮かぶものがあったけれど、「これは妄想だから、昨日見たドラマのシーンだから」と、無になろうとしていたけど。もしかしたら、ドラマがきっかけで私の何かが刺激されて思い出した、私からのメッセージかもしれない、と思うようにした。

そしたら、いろいろと言ってくれるんだよね。話しかけてくれる。
もしかしたら、ドラマきっかけで思い出した言葉だったり、「あのタスクやらないと」から連想されたものかもしれないけど。だからダメなのではなく、その思い出した言葉や映像イメージをきっかけに、それについて考えて・自分と対話をしてみるようにした。

実は、まだ啓示というか、「これだ!」という確たる想いにまではいけてない。
だけど、ようやくわかってきたのが、私は雷はもう求めないということ。周りからの刺激を与えて、自分と対話する。それでしか見えてこない。結局は、自分の中にしか眠ってない
そして、今日も、迷いや不安や怖さを脱ぐ練習を続ける。

終わり

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