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ないものさがし ーイシナガキクエを探しています(1) 感想ー

日記:5/7 (注意:この記事は、「イシナガキクエを探しています (1) 」の内容に触れています)


 大森時生、皆口大地、寺内康太郎、近藤亮太が贈るテレビ番組「イシナガキクエを探しています」を観た。放送局は、「SIX HACK」「祓除」でお馴染みのテレビ東京。今の時代にこういう番組が放送されることには計り知れない価値があると思う。ありがとう、テレ東。

祓除のときは、赤レンガ倉庫に参戦までしたのにもかかわらずnoteに記録を残していなかったので、今回は簡単なものでも記録を残しておこうと思う。祓除、現地参加した人は分かるけど、マジでめっちゃ寒かった。現地ならではの空気感を味わえたのは良かったけど、死んでしまうかと思った。Tverでは現在、祓除の事前番組と事後番組が公開されているので、気になる方は観てみてほしい。

当時の写真。イベントが終わってすぐの時は何が起こっていたのか分からず、ポカーンとしてたのを覚えている。


 それでは、本題に移る。
 「イシナガキクエを探しています」
まず、観てない方はTverで視聴してこよう。

 出演者は、ラランド サーヤ、神崎一郎、安東弘樹。イシナガキクエという55年前に行方不明になった女性をテレビの力を借りてリアルタイムの情報を募り「探す」番組だ。


 メタ的に言うと、この番組は「This Man 制作番組」なのではないのかなと思う。
 This Man とは、一種の都市伝説のようなもので、世界中の人々の夢の中に繰り返し現れるものの、現実では決して姿を現さないとされる謎の人物のことである。詳しくは以下のWikipediaを参照して欲しい。

 結局この話はアンドレア・ナテッラ (Andrea Natella)という人物による創作で、それが大きく広がってしまったというのがオチなのであるが、今回の「イシナガキクエを探しています」にも同じにおいを感じる。イシナガキクエという人物は存在しないのだが、あたかも存在しているかのように扱うことで、「そういえば見たことあるかもしれない」というありもしない記憶を人々に抱かせる目的でこの番組は放送されていると思われる。


 しかし、これはモキュメンタリーという手法をとっているので、実際に今起こっている話としてこの番組について考えてみる。

 モキュメンタリーについて知りたい方はこちら⇩


 まず、この番組の気になる箇所を列挙する。


・米原さんにとって、イシナガキクエは家族みたいなもの(家族ではない?)

・会話はできないだけで、喋れないわけではない(米原さんによると、おとなしいらしい)

・車のワイパーに捜索の貼り紙を挟むなど、米原さんの行動が常軌を逸している

・家族は皆病気か事故で亡くなっている

・写真はないと言っていたが、取材の末に写真を見せてくれた

・取材の2週間後に米原さんは亡くなった

・公開されている写真は55年前の写真であるにもかかわらず、目撃情報が各地で相次ぐ

・「米原さんの死去後の自宅で複数の人影をみた」という近隣住民の目撃情報(これだけ考察の仕様がないので割愛)

・発言と記載情報が異なる部分がある

 ・発言:イシナガキクエの年齢は現在76歳
  記載:イシナガキクエの年齢は現在77歳

 ・発言:次回放送は5月10日1時33分
  記載:次回放送は5月10日1時53分

・イシナガキクエさんを「捜している」のではなく、「探している」


 まず、家族ではない人間のことを50年以上も探し続けることはおかしい。未だに周囲の人間に情報提供を求め、車のワイパーにまで張り紙を挟む熱心さは常軌を逸しているといえる。まるで何かにとりつかれているかのようである。

また、普通そこまで熱心であるなら、写真も情報の一部として提供するのが自然だ。それをしないのは、写真を見せるという行為をためらわらせる原因があるからだと思われる。そういえば、米原さんの家族は皆病気や事故で亡くなっており、米原さん自身も、写真を番組スタッフに見せた2週間後に亡くなっている。

番組では、55年前の写真しか公開していないにもかかわらず、各地で目撃情報が相次いでいる。55年も経てば面影はそこまで残っていないだろうし、写真を見ただけで「そういえば会ったことある」とはなりにくい。目撃された場所も、新潟や栃木など、ばらばらである。まるで、存在しないものが写真を見た人間に植え付けられているかのようである。

 発言と記載情報が異なっていることも、特別公開捜索番組とうたっている割には不正確でおかしい。次回放送は番組表から1時53分で間違いないので、発言が間違っていることになる。司会を務める安東弘樹さんは、長年司会やアナウンサーを務めてきたベテランであり、うっかり間違えてしまったとは考えにくい。なにかが干渉していると考えてもおかしくはない。


 そして、番組のタイトルが「イシナガキクエを探しています」。普通、行方不明者は「捜す」もので、「探す」という表記を使用する場合は、欲しいものを見つけようとする意味で使われるらしい。

 以上のことから、イシナガキクエに関わっている人間が何かしらの不調に見舞われていると考えられる。また、イシナガキクエは行方不明者と説明されているが、「探す」という表記、55年前の1人の人間に対する異常な執着から、それは人間ではないことが想起される。

 いずれにせよ、5月10日に放送される「イシナガキクエを探しています(2)」で何が起こっているかが分かると思うので、楽しみに待つことにする。


 最後に、この番組では情報提供のために電話番号を公開しているのだが、私も番組中に恐る恐るかけてみた。すると、

 通話には誰も出なかった。そういえば、イシナガキクエの特徴の一つにこんなものがある。

会話:できない


 私たちはイシナガキクエを探している。しかし、イシナガキクエが見つかった時、それと同時にイシナガキクエに見つかったという事実も存在することになるだろう。













イシナガキクエは探しています。



ではまたー。

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