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禍話リライト ニセモノ大家
平成一桁のころの話。
大学時代から使っている古いアパートから通勤しているAさんがいた。
職場からは結構な距離はあるが、交通費を差し引いても家賃が安いからという理由でそこに住み続けているそうだ。大家も納得してくれているので問題はないらしい。
次第に住民も減っていき、ただでさえ古い建物もさらに劣化し耐震構造的にも危うくなってきていた。台風の日などは気が気でないとAさんはぼやいていた。
そんなAさんが、ある時から寝不足気味になっていた。
同じ部署のBさんは仕事がそこまで立て込んでいない事は知っていたので、恋愛やら借金やら他の要因かとおもった。
「どうしたよ、A。なんかあったのか?」
何気なくBさんが聞くと、Aさんは答えた。
「最近、大家がおかしくなったんだよ」
「え? 大家さんが?」
話を聞いていると、その大家は年配の人らしいのでそう言った面のトラブルなのではないかとBさんは勘ぐった。
「悪いんだけどさ、ちょっと、第三者の目で見て欲しいんだよ。日曜日に大家に家賃払いに行くからさ。お前の目から大家がどんな感じか見てくんね?」
「ああ、いいけど」
日曜日、Bさんが件のアパートに向かうと彼の想像以上にボロボロで「俺太ってなくて良かったなぁ」と恐る恐る外階段を上がった。そして二階のAさんの部屋を訪ね、アパートから少し離れた所にある大家の家へと案内された。
そこは花壇もある一軒家で、庭に水やりをしているお爺さんとお婆さんがいた。
Aさんは気さくに挨拶をした。
「やぁ~、どうも」
「あら、どうもー」
そう言って何気なく挨拶を終え、Aさんはお爺さんに家賃の入った封筒を手渡した。
「これ、今月分の」
「ああ~、どうもどうもぉ」
そしてAさんとBさんはその家を後にした。
「……普通じゃん」
会話したのはお爺さんの方だけだが、縁側に座っていたお婆さんもこちらに会釈をしてくれた。どこにでもいる人当たりのいい老夫婦といった感じだ。
「いかにも楽しい余生を過ごしてるご夫婦、って感じだったけど?」
「いやいやいや、なんて言ったらいいのかな。うちの大家はさ、もともと若ぇ夫婦だったんだよ」
「は?」
「夫婦は夫婦なんだけど、若かったんだよ。土地とか色々相続したとかなんかで大家やってる、俺と対して歳変わらない夫婦だったんだよ。大家」
「じゃあ、どっちかの親御さんなんじゃね?」
「いやだって、親が死んで相続したって言ってたんだぜ?」
「それじゃ親戚とか引き取ったんだろ。十分あり得るだろ。てかそんな気になるなら本人に聞けよ」
Aさんは首をひねった。
「最初は俺も、なんで爺さん婆さんがいるんだって思ったよ? そしたら、どうも~話は聞いてますよ、って家賃預かってさ。その後元の大家もなんも言ってないからちゃんと支払われてんだろうけど。でもなんか納得いかねえんだよ」
「考えすぎだろ。ンなことで夜も眠れないのかよお前」
「いや、なんかさ、なんか他にももう一つおかしい部分があったんだけどよ、今日はそのおかしい部分が出なかった気がするんだよ。うまく言葉に出来ないけど……」
うーんとAさんは唸り、消化不良のままBさんは帰った。
パッと見おかしいことは何も無い。
元の若夫婦の大家に子供が出来たか病気になったかで病院に行っていて、親戚の老夫婦が代行しているということもあり得る。
なんにせよ、振り込まれていないと言われてないのだから問題はないだろう。
月曜日。
Aさんは会社に来なかった。
風邪らしいと聞いたが、昨日Aさんと会ったばかりのBさんは違うと気づいた。
その夜気になってBさんは彼に電話してみた。
「どうしたんだよ。お前」
「いや、あの、今朝出勤しようとしたら電話があったんだよ。俺の知ってる方、若い方の大家から」
「え、なに、金振り込まれてなかったの?」
「違うんだよ、変なこと聞かれたんだよ。家賃、貰ってますよね? って言ってきて……」
「はあ?」
あまりに意味の分からない言葉にBさんは唖然とする。
「普通貰ってないんですけどとか言うだろ? それが、なんかオブラートを何枚も重ねたような言い方してきてさ。それで俺、ここ数か月庭にいるおじいちゃんに渡してますって言ったんだよ。そしたらこう言ったんだよ。ああ、やっぱりなって」
電話をかけて来た若い方の大家は、そのまま背後にいるらしい妻に向かって「タンスに入ってたやつ?」などと意図の読めない会話を続けていた。
彼らの会話を聞いているうちにAさんは次第に気持ちが悪くなった。
また、家賃を渡す老夫婦の特徴についても聞かれたのだという。
なぜ自分らの仕事を代行している人間のことを知らないのかと疑問に思いながら、Aさんはありのままを元大家たちに語った。
そういえば、あの老夫婦は自分が行くとき彼らはいつも庭にいることを思い出した。家の中にいる時に渡したことはこれまで無かった。
「で、いつもそのおじいちゃんとおばあちゃんはいつも庭にいて、その時に渡してますって言ったんだよ、俺。もしかしたら違う人なのかもしれないし。そしたら——」
元大家はこう言ったという。
「あー。昼間っから出てるんですかぁ。そんな出ずっぱりならもう俺らも長く続けられないかなぁ」
何かを諦めたかのように怖いなーと呟きながら元大家はいきなり電話を切った。
「その後からさ、マジで気持ち悪くなって休んだんだよ」
「いやぁ……なんだよ、それ。気味悪過ぎだろ。Aは大丈夫か?」
「病院に診て貰ったんだけど原因はわからないって言われるし、薬も効かねえしさあ……」
Aさんはそのまま二、三日会社に来なかった。
Bさんを含め彼の同僚たちはこれはいけない! と思い、先ほどの話を聞いて恐怖心を抱きながらも彼の見舞いに行くことにした。
「よくわかんなくて怖えけど、Aが外にも出られねえなら体にいいもんでも持っていってやろうぜ」
そして勤務後の夜、Aさんのアパートにみんなで行くことにした。
「ほら、あのアパート。Aの部屋は外階段上ってすぐだから」
「うっわ。聞いてたけどマジボロいじゃん」
「遠くからでもわかったよ。街灯に照らされるとこだけみてもよお。なあ——うわ!」
一同はそのアパートの外階段を見た。
そして驚愕した。
階段の真ん中に、あのお爺さんとお婆さんが座っていたのだ。
彼らは道を引き返してアパートの傍の角に逃げた。
「えちょちょちょ! なにあれ」
「なんかいたよ?」
「あ、あの人だ。いつも、庭にいる二人。大家だ、例の老夫婦の……」
「どうするよ。サプライズするつもりだったけどよ、誰かAに連絡しようぜ。そうすりゃ何とかしてくれるだろ」
当時は携帯がそこまで普及してはおらず、一家に一台家電が主流だった頃だ。
「この近くに公衆電話あったろ? そっからあいつのとこにかけるから」
Bさんは公衆電話からAさんの家電へとかけた。
「おう、A。俺だ。大丈夫か? 今家いるか?」
「うん」
「色々買ったから今からみんなでお前のとこ行こうとしたんだけどさ」
「ありがとな」
「いやそれはいいんだけど、階段に」
そう言いだした矢先、
「ああ、まだ座ってるのか」
「え? 知ってんのか?」
「うん。俺それで出られないんだよ」
Aさんが言うには、熱が引いて体調が安定し近所に買い物をしようとしていた時、彼らがいたので降りられないというのだ。
「ずっと座ってんだよ」
「ずっとって、いつから」
「この二、三日ずっとだよ。だから出られないんだよ。もう缶詰め状態だよ。一応必要品はあるからよかったんだけど、そろそろ底をついてきそうなんだよなぁ。ほんとにやべえよ。お前らも来るなよ」
「なんでだよ。座ってるだけなんだろ?」
「あいつらな、絶対話しかけてくると思うんだよ。話しかけられたら、俺さ、変なこと言うぞ、今から。でも俺は思うんだ。話しかけられちゃったらさ、俺、飲みこまれねえ自信がないんだよ」
そう言ってAさんは電話を切った。
Aさんは精神的に追い込まれている。Bさんは同僚に会話の内容を全て話した。
同僚たちは青い顔をする中で、正義感の強い一人が声を上げた。
「何言ってんだよ、お前もAも。ちょっとどいてくださいって言えばいけるって。風邪ひいて一人でこもってるから変な妄想に憑りつかれるんだよ。だいたいこんな時間に老人が外出てるのもおかしいって。きっとボケが始まってるのかもしれねえだろ? それはちゃんと言わねえとよ。よし、じゃあ俺がいくよ」
「お、おう」
そして彼はアパートにいった。
が、その後すぐにものすごい勢いで帰って来た。
ぎゃあああと情けない悲鳴を上げ自分らを追い越し、大通りの交差点まで逃げていった。
「ちょ、ちょっと! どうしたんだよ!」
同僚は限界まで全力疾走したのか、嘔吐しかけていた。
ようやく追いついたBさんたちは彼の姿に驚いた。
「お前、何が起きたんだよ」
「やばい、やばい、ウエッ、やばいよ、あそこっ」
やばいとえずきを繰り返す同僚を一先ず休ませることにした。
Aさんの為に買ったスポドリを飲ませ、ようやく落ち着きを取り戻した彼から話を聞くことが出来た。
「信じてもらえねえかもしれねえけど」
「いやそりゃお前の顔みりゃやばいのはわかるよ。言えって」
そして同僚は事の次第を話した。
同僚は老夫婦に「ちょっとどいてくれませんかねえ」と言った。
だが二人はどいてくれない。
そこで手前にいるお婆さんに手を伸ばし、その膝に触れた。
「ちょっとおばあちゃん」
すると、ボロッて取れたのだという。
「なにが取れたんだよ」
「……服が」
「服!?」
「だから信じないって言ったんだよぉ。ほら、セロハンテープとか古くなるとペロって剥がれるだろ? そんな風に取れたんだよっ」
人間、訳の分からないことが起きると一周回ってまともなことをしてしまうので、同僚はそのお婆さんに「あーごめんなさい服が」と謝りかけたのだという。
だが冷静になり、触れてしまうだけで剥がれる服を着ているならどうやってこの形状を保ってここまで来たのか? と疑問に思った。
ふっと、お婆さんの顔を見ると、彼女はものすごい笑顔を浮かべた。
そして同僚にボソっとこう言った。
「体触ったら、もっと面白いよ」
異質なのはその声だ。
あまりに、若い。
作り声ではなく、まるで女子高生が特殊メイクで老婆になっているかのようだった。
その瞬間、同僚は慌てて逃げ帰ったのだという。
他のメンバーは気味悪がった。
「なにそれ! 妖怪? お化け? 幽霊?」
彼の話でBさんは納得した。
「そうか……俺がいた時、お婆さん一言も声を発さなかったもんな。だからAが思い出せなかった奇妙なことって、お婆さんの声が若いってことだったんだ」
その言葉を聞いた全員、顔が真っ青になった。
そしてAさんには本当に申し訳ないが、もうどうしようもなくなりその場を後にするしかなかった。
次の日。
そのアパートの外階段に、トラックが突っ込んだ。
立地的にもそうなるのはあり得ないような激しい衝突事故で、アパートも維持が出来なくなったという。
幸い、死者は出なかった。
ともあれAさんは無事そのアパートから脱出を果たした。
そして一週間ほどして、彼は職場復帰した。
「いやーいきなりトラックが突っ込んできて一時はどうなるかと思ったけど、おかげで別のアパート紹介して貰ったしよかったよ。ちょっと家賃高くなったけど」
「ああ、ほんとよかったなぁお前」
「でも残念だったな。前んとこは安い家賃だったのに」
あえてそのアパートで見たものには触れず、冗談交じりでAさんに話した。
「まあでもお前らのとこよりは安いと思うよ? なんたって、前のアパートと同じ大家さんの紹介だからな」
Bさんは、今でもAさんと一緒に働いているという。
ちなみに以前のアパートはコインパーキングになっている。