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3月16日、2度の地震と身に沁みた教訓と

南三陸町に移住して1ヶ月と2週間が過ぎ、新しい職場での仕事も気がつけば最初の1ヶ月が終わりました。

この1ヶ月ちょっとの間、いろんな方に出会い、いろんなところへ行き、少しずつ暖かくなる気温と一緒に、南三陸の生活も楽しみ始めています。

そんな南三陸生活が始まる前日のことを、忘れないうちに書き置いてこうと思います。

3月16日、夜。

翌日17日に南三陸への引っ越しを控えたこの日、石巻の友人のシェアハウスに泊めてもらっていました。夜22時くらいに着き、友人の帰りを待ちながら布団の上で明日の予定を確認していたそのとき、揺れました。

福島県沖を震源とした地震は、マグニチュード7.4、最大震度6強。石巻市は震度6弱。最初の揺れの中では、意外と冷静に避難のことを考えていました。とっさにリュックと貴重品を抱え、友人宅が日和山の近くだったためまっすぐ行けば10分くらい、車は置いていくか、でも寒い中一晩過ごすかもしれないから乗って行こうか、リビング確認しなきゃな。

ぐるぐる考えながら、階段を降りようとしていたその瞬間に、2度目の揺れ。思わず床に手をつき、揺れが収まるころには軽くパニック。心臓バクバク。リビングを素通りし、明かりもつけっぱなしでとにかく坂道を走っていました。
途中のコンビニにたどり着いたとき、道路は避難してきた車で溢れかえり、そこから山頂へ上がる道も続々と人が歩いていました。スマホのラジオで状況を確認しながら、日和山の山頂へ到着。多くの人が避難してきていた中、町の明かりを眺めている方から、大丈夫でしたか?と声をかけていただきました。ドキドキしました、と息を乱しながら答えると、震災のときもこんな感じでしたけど、さすがに2回も立て続けに揺れるとパニックですよね、とその方はつぶやくようにおっしゃっていました。

早くも記者やテレビ局関係者の方がカメラを抱えながら取材を始めていて、境内では誰かがラジオを大音量で流してくださっていて、そこでようやく空腹に気がつき、母や姉や石巻の知り合いや名古屋の友人から連絡が入っていることに気がつきました。1つひとつのメッセージに返信をしながら、すぐ近くの自販機でホットミルクティーを買い、ラジオに耳を傾けて南三陸町の情報を拾っていました。

以前、避難するときは温度のあるものを持っていた方がいい、それだけで安心できるからと、石巻の語り部さんがお話しくださったことをふと思い出しました。

メッセージを返していくと、不思議と徐々に冷静になっていく自分に気がつきました。寒いけど大丈夫、お腹空いてるけど大丈夫、明かりがあるから大丈夫。たぶん、返事をするために自分の状況を確認しながら言葉を選んでいたからだと思います。その繰り返しが、状況把握を促してくれました。



しばらくすると、石巻日々新聞の記者さんから取材を頼まれ、質問に答えました。数日前に名古屋からきたこと、明日南三陸に引越す予定だということ、2回目の揺れではパニックだったこと、仕事柄いざというときの備えは心がけていたこと、それでも実際に動いたときには反省が多いと感じたこと。
明日の引っ越しは大丈夫そうですか?と最後に聞かれましたが、どうでしょう、まだわからないですとしか答えようがありませんでした。

そりゃそうですよ、明日になってみないと確認しようがない。

飲み切ったミルクティーの空き缶をゴミ箱に入れて、しばらく夜景を眺めていました。このまま家に戻ろうか、まだここにいた方がいいのか。結局深夜2時前くらいまで山頂の神社でラジオを聴いて過ごし、津波の心配がないことを確認してシェアハウスに戻りました。

リビングはいくつかものが倒れていて、布団を敷いてもらっていた部屋は特に変化なし。連絡を取った友人はその日は帰らないとのことでした。
電気を半分つけて、もう一度揺れてもそのまま逃げられるようにコートを着たまま布団に入り、FacebookやSNSで知人の様子を確認。結局そのまま眠れずに、朝を迎えました。
思えば、布団に入りながらもドキドキしていた気がします。

翌17日。
コンビニで朝ごはんを買ってきて、1人テレビを見ながら食べました。ここでようやく、福島や宮城の内陸の被災状況を知りました。

ちゃんとお腹が空いていることに安心して、味噌汁がいつも以上に熱く感じました。

9時になり町役場の担当の方に電話すると、避難所などは開設していますがこちらは概ね無事ですとのことで、もし予定通りいらっしゃるならお待ちしておりますと、言っていただきました。
引っ越し業者に電話すると、こちらは大丈夫です、お客様がよければ予定通り搬入させていただきますとのことでした。
そして4月からの職場の方も、とりあえずこちらは無事です、と。

ということで、予定通り17日に南三陸町へ引越しすることにしました。

朝、車に乗って出発する前に、自動車用の防災グッズも用意しなきゃなーと納車されたときにぼんやり考えていたことを思い出しました。
今思えば、これも反省です。自分の車を購入して初めての震災。どう行動すればいいのか、どう判断すればいいのか、ほとんどわかりませんでした。

場所が悪かったら、ほんとに最後だったかもしれない。本気で後悔しました。

南三陸に向かう車中で、これが三陸で生活するってことなのかと、必要以上に深刻に考えてしまいましたが、それくらいのウェイトで考えていないと、本当にいざというときに動けないなと感じました。

グッズを揃えようが、ハザードマップを確認しようが、避難訓練を重ねようが、結局最後に命を守るのは自分自身の判断と行動。
東北被災地で出会った方々から繰り返し伝えらてきた言葉が、身に染みました。

洗礼を受けたと言っても過言ではない南三陸町移住前夜。
この地で震災伝承に取り組もうという自分の気持ちを引き締め、同時に心がギュッと締め付けられるような、そんな感覚を覚えた夜でした。

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