彼の後を継いで
2022年8月8日。
交際していた彼が入院することになった。
決して、軽くはない病気で。
その日から、僕の人生は180度変わった。変わったというより、自分で決断したのだけれど。
とある地方都市。人口は約40万人の清き川が中心を流れる街に、一軒のバーがあった。そのバーが開店したのは、平成元年のこと。平成初期は大繁盛していて、立ち飲みは当たり前だった。それからも、お客さんの波はあるがお店は継続していた。
僕は、そんなお店のマスターとひょんなことから知り合い、いつのまにか付き合うことになった。明るくて、頭の良い彼は、元は旅行会社の添乗員をしていた。30歳手前まで会社に勤めていたが家庭の事情もあり、バーを開くことになった。その選択は間違ってなく、先述のように繁盛するお店を営んでいた。それは彼の人柄が成せるものだったのだろう。
一方、僕はというと性格はおっとり、おとなしい性格で、バーにいても目立たない存在だった。それでも、マスターと10数年付き合う中で、少しは変わり、お客さんとも話したりするようにはなっていた。それでも太陽のような彼に隠れた月のような存在だったと思う。
そんな僕が、彼の病気での入院を機に、バーのマスターとしてお店に立つ決意をした。彼の入院は長引きそうだったし、これまでそんなに長い期間店を休むなんてことはなかった。そんな時に、任せられるスタッフもいなかった。店を閉めていたら、お客さんが離れてしまうのではないか。そんな心配というか不安があった。それなら僕が立つしかない。直感で思った。
そのことをマスターである彼に伝えると、怪訝そうな顔をされた。それはそうだ。今まで、店側には一度も立ったことがない。それでもやる。僕の決意は固く、彼はしぶしぶ鍵を渡してくれた。
その日の夜から、僕は店を開けた。ずっと外側にいたとは言え、彼の仕事ぶりはみていたのでおおまかなことはわかっていた。最初のお客様がビールを頼んだ時、ビンのふたを外す手が震えていたのを僕もお客さんも見ていた。大丈夫かなと思われていたに違いない。それでも、優しいお客様に支えられてなんとかお店を切り盛りできるようになっていった。
彼の病は、退院して、一見良くなったように見えたのだが、急激に悪化していた。息が苦しそうで、それを見ているのが辛かった。彼は大丈夫と無理をして、いつも通り振る舞おうとするも自宅の階段で倒れ込んでしまう。
救急車を呼び、再び、入院することになった。その次の日、彼は亡くなってしまった。最後に会ったのが自分で、会話できたことはよかったが、急すぎる事実を受け入れることなどできず、涙が溢れて止まらなかった。
彼を見送った後も残された自分は、なにができるか考えたが残された店を続けることがやはり大切なことだと思ったし、なにより自分がしたいことになっていた。
あれから、2年近くが経つが、相変わらず抜けたところはあるし、お客様に助けられてばかりの日々。それでも、彼の残したものを僕が引き継ぐことができてよかったと思っている。
あの日、自分がした選択に後悔がないよう、日々目の前のお客様を大切にしながら、生きていきたいと思う。
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