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あのたび -アポ山と雨ばかりのダバオ-

 朝起きると、尻の穴の横にデキモノができていた。ちと痛い。シャワーもトイレも汚く掃除ができていないダメな安宿がいけなかったのかもしれない。外は雲が途切れずずっと一日中雨。

 4₱の軽トラでターミナルへ行き、ジプニー60₱でスリガオ(SURIGAO)からブトゥアン(BUTUAN)へ移動。ぎゅうぎゅうな座席で荷物も膝の上に乗せたままで揺られながら5時間座りっぱなしはキツい。

 Hensonly Plaza Inn130₱でキレイ。バスターミナルは歩ける距離(晴れなら)。次の町ダバオ(DAVAO)へは30分ごとにバスが出ているそう。

 昔泊まった宿が20年後の今はどうなっているのだろう? とグーグルマップで調べてみたりする。現在でも営業しているとうれしいし感慨深い。写真も載っているが当時の記憶は全く無い。長い旅行で1泊だけ泊まった通りすがりの宿なんてそんなものだ。物価は上がっていて、当時は200₱(≒440円)くらいで泊まっていたところでも、今では3000~4000円と表記されている。およそ10倍の価格になっている。昔はちょっとした貯金で長い旅ができたのでホントにバックパッカー天国だった。

 おやつにチョコパイ3₱、エッグパイ10₱。甘すぎだがうまい。教会内でキリスト像の足にキスするクリスチャンがドキッとして目に残った。
 ボクの中のドラマや漫画の知識だと、偉そうな役が「おい俺の靴をなめてみろ」と言い、それに屈する主人公みたいな構図しか思い浮かばない。ので自ら尊い気持ちで足にキスをしにいくという姿勢が衝撃だったのかもしれない。

 夜はカレー+うり+米30₱。

 翌朝、雨やまず。パン屋もなかなか開店しない。傘を持っていないので雨が強すぎてバスターミナルまでたどり着けず、途中で走っているバスを拾う。ダバオまで259₱。走行途中で全ての町のターミナルに寄っては休憩して人を乗せるのでものすごく遅いローカルバスだった。結局8時間もかかる。

 ダバオはミンダナオ島最大の都市。到着した場所がいったい町のどこなのかさっぱりわからず外は小雨状態。ガイドブックの地図を見ても通りの名が見つからない。SM City Mallというショッピングモールへ向かう途中にあった、Anton Rose Inn250₱に宿をとる。できたばかりのようでキレイで働いているお姉さんたちも若く笑顔が素敵。

 夜、いつもローカル食堂か市場を探すのだが雨で歩いても見つからずSM Mall内で済ます。歯磨き粉買う9.5₱。

 翌日も昼過ぎまで降り続く雨。あきらめて250₱で連泊。パンをもらう。歩き回るがやはり現在地がどこかわからない。当時、スマホはないのでネット屋に入り調べてみるが地図は出ず結局よくわからない。

 晴れてきて西にアポ山が見える。この山は山頂の形が三叉の鉾(みつまたのほこ)のように尖った部分が3つある。高さは3000メートルほどで富士山より少し低い。

 PNBという銀行に行くがすでに閉まっている。両替できず残り1200₱のみ。土日も銀行は空いていないだろうからあと2日もつかどうか。

 令和の現代では旅行中クレジットカードを利用するのが一般的だろうが、当時は円かドルをどこかレートがよい所を探して両替し、その国の現金を持ち運ぶのが普通だった。銀行か金行という両替屋で換金していた。空港や国境ではレートが良くない。あそこがよかった、ここはぼったくるなど旅行者の間で評判が流れたりする。

 クレジットカードで現地通貨をおろせばいいじゃん(キャッシング)と言うかもしれない。しかし当時の途上国のATMは粗悪なものが多く、カードを吸い取ったまま返ってこないとかいう話をよく聞いた。悪いお店だとクレジットを渡した瞬間にスキミングをしてカード情報を抜き取られるなんてこともある。桁をひとつ追加して法外な額をあとで請求されたりということもある。
 またキャッシングは前借りの借金なので、翌月すぐに返却しないと利息が積もって結構な金額になってしまう。長期旅行者には向かないだろう。

 だから当時の旅ではクレジットカードを使うということはかなりリスクを伴う行為であった。高級なホテルでもない限りね。ボクはそれで円とドルを持ち歩いてその都度現地通貨に両替していた。それでも両替詐欺にあったりする↓のだからどっちもどっちだ。

 翌日は曇り気味だが雨はあがった模様。次の町へ向けて出発だ。

フィリピンルート

(つづく) 


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