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アダルトチルドレン、今年もお盆をしのぎました

個人的には一年を通してお盆が、最も世間の家族熱が高まってしんどく感じます。
今年も乗り切りました。ナイスファイト👏

お盆と同じで年末年始も家族団欒行事ですが、年末年始は「粛々と過ごす」がベースにある気がしますので、そんなにしんどくないです。事情を知ってくださっている大家さんや、幼なじみの家族が声をかけてくださるのもあります。

しかしお盆の雰囲気はまた違います。
夏休みだよ!!楽しいね!!幸せだね!!と世間が過活動アッパーになっている雰囲気が、とにかく圧です。苦手です。
都会に住んでいるのと、現在の気温が馬鹿暑いというのもあるかと思いますが…

お盆に、楽しそうな家族を見て、「いいな、羨ましい…」と寂しくなったり、妬んだり、腹が立ったり、自己憐憫に浸る時期はかつてはありました。「実家帰らないの?」と聞かれた時も嘘をつきたくなくて(これは性格)、「ああ、帰りませんね…」と口籠ったら「え、なんで?なんで?」の悪意なき質問攻めにされて更につらくなる、といったこともありました。
しかしさすがに今は慣れました。
家族関連の何を聞かれても曖昧に返答し、向こうからの話を聞くマシンに徹しております。

お盆は家族と集まり、一緒に過ごす時間を楽しむという文化です。
それは日本の価値観として存続してきているものなんだから、私が物凄く傷ついたり嘆いたりすることじゃないなあ…とようやく距離を置けるようになりました。

お盆を楽しみにしている人や、「お盆楽しかったー」と家族のエピソードを話す人たちの気持ちを、フィクションとして想像するのも無駄じゃないと分かりました。
そうすると、お盆への苦手意識が薄まり、お盆から距離を置くことができるようになりました。


突然抽象的になりますが、
自分が少数派だと感じて疎外感が辛い時は、逆に多数派の存在をしっかり認めると、楽になる場合があります。

多数派の価値観を肯定しようと自己暗示するのではありません。
多数派も少数派も、平等に丸ごと受け入れようというお道徳思考でもありません。

「多数派の価値観が、自分ひとりではどうしようもないくらいにがっつり存在する」という現実を認めるのです。

「自分の価値観は少数派だ…」と嘆いて凹むより、多数派の圧倒的な強さについて考えるのです。
それは歴史と伝統に裏打ちされている、と考える。それはなぜか、いつからなのか、などといろいろ考える。すると悲しみはそれなりに薄れています。

残念ながら多数派の価値観の完全否定は不可能です。持論の構築をしようとすると泥沼にハマります。

「あるものはある。世間ではこういう価値観がある。これは多数派で、仕方がない」で、現実を一度総括すると、自分の感情と切り離しやすくなり、多少楽になります。

そうすると、「疎外感の悩み」から「疎外感についての考察」に視点を変えることができます。


この場合は「お盆は家族と過ごすものだという文化がある。これは仕方がない」です。
他にも、
「恋愛は異性としなくてはならないという価値観がある、これは仕方がない」
「企業で正社員として働くことが一人前とされる価値観がある、これは仕方がない」
「家族とは助け合い、仲良くすべきという価値観がある、これは仕方がない」
など、いろいろ応用が効きます。
この諦めのフィルターから、新しい考えや感情が生まれてくるのだと思います。

属しているのは少数派でも、多数派のことも考えていたいと思います。
自分と異なる価値観について、自発的に想像力を持つことを大切にしていきたいです。

まとまりがなくなりましたが、とにもかくにも今年のお盆は終わりました。お疲れ様でした。
暑いですが皆さまご自愛ください。

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