阿波野 藍子

小説を書くのが好きです。若くないから若い人には受けないと思います。不倫小説が多く、最後…

阿波野 藍子

小説を書くのが好きです。若くないから若い人には受けないと思います。不倫小説が多く、最後には憂き目を見てしまうというパターンが多いです。

最近の記事

間もなく86歳老人日記

2023年12月11日(月)  「海の波」のビデオを撮りに行った。家から歩いて十分ほどの、湘南の海「虹ケ浜」に。今日の波は穏やかだった。空は曇り空であったが、暖かい。人影は、いつものことながら、まばらである。  遠くの方で、波打ち際で釣り糸を垂れている人がいる。こんな波打ち際まで、魚が来るのかと、いぶかしく思っていた。  ところが、しばらくして、私の目の前で、大きな魚が飛び上がったのである。波打ち際の白い波から1メートルか2メートルの向こうという、砂浜に極く近いところで。  

    • ロイヤル コペンハーゲンと北欧デザインの煌めき展

      先日、横須賀美術館に、ロイヤル コペンハーゲン の展覧会に行ってきました。コンパクトな展覧会ながら、とても落ち着いていい雰囲気でした。展覧会の中で、これは写真を写していいよと出ていた場所が上の写真の所です。 同時に、谷内六郎展もやっていました。週刊新潮の表紙を飾った,我々の世代には懐かしい絵です。 谷内六郎とロイヤルコペンハーゲンは、コラボしていて、週刊新潮の表紙の絵が、ロイヤルコペンハーゲンの陶板になって額に入っている。 (こんな言い方で合っているのかなあ) それが、

      • 人の手を借りない

        85歳になって、考えることは、単純です。身の回りのことが、人の手を借りずにやれるように、頑張ろうということなんです。 たとえば、まだ一人でお風呂に入れる。髪も洗える。 こんなことでも、ありがたいなと思うのです。 一人でパンツがはける、着替えもできる、ありがたいなと思うのです。 左膝がやられて、歩くのはのろい。途中で、ベンチがあれば、ちょっと休んでから帰れるのにな、と、ベンチのない道を恨めしく思う。でも、まだ一人で外出もできる。電車にも一人で乗れる。 これがいつまで続くのかなと

        • ネアンデルタール人とホモサピエンス

          ネアンデルタール人が絶滅した理由と、我らが祖先ホモサピエンスが獲得した、子孫が続いていくための肉体の違いを読み、そんなものなのかと、分からないところもあるが納得できた。だが、現代人の男子の精子の数の減少、などを読んでいると、折角良い資質をホモサピエンスは獲得したにも関わらず、別の理由、精子の数の減少ということで、ホモサピエンスは、ネアンデルタール人と同じく、20万年か30万年先に絶滅するかもと、考えた。現在85歳の私が、ホモサピエンス絶滅に立ち会うことはないが、なぜかその最後

        間もなく86歳老人日記

          白髪隠しの帽子

          おはよう!今日も元気でいこう! 私は85歳のおばあちゃん 今日から、自分のことをキラキラ婆さんと呼ぶことにしよう。 あのさ、あさって22日は、高校時代の同窓会が神田であるのさ。 それでさ、キラキラ婆さんの悩みが発生したのよ。 それは、白髪。 キラキラ婆さんさ、もう白髪染めやめようと決心したの。 だってさ、染めたら頭痒いもん! 真っ白にしたいのよ。 2年ぐらい黒白マダラを辛抱してさ。ところがさ、娘が、そんな汚い頭見るの迷惑と言い出してさ。 それで、ない知恵を絞

          白髪隠しの帽子

          天井にいた蜘蛛がうまく捕獲できた便利グッズ

          さてさて皆さん、婆さん(私)の小学生時代というと、戦後ということになるんだわ。 日本が戦争に負けてね、全てがごった返しというような状況だった。 市場のお惣菜屋なんか、ハエがいっぱい旋回していてね。天井からハエ取り紙が何本もぶら下がっていて、そこにハエがいっぱいくっついて、モガモガ動いていたりしたんだわ。そんな環境で育ったから、虫は平気さ。ゴキブリも平気さ。蜘蛛(くも)もね。 ところがだよ、オッホン! オッホンは余計か、それから、60年も経って孫の代になると、ゴキブリでも

          天井にいた蜘蛛がうまく捕獲できた便利グッズ

          藤沢市立南市民図書館にある「王様のテーブルと椅子」

          藤沢市の南図書館に行くたびに、風変わりなアンティークのソファーセットがあるのを不思議に思っていました。 そうしたらなんとそれは、大島渚の奥様の小山明子さんが、大島渚が使っていたものを寄付してくださったものなのでした。 大島渚は藤沢市に住んでいたんですって。 テーブルの由来の説明文の一部を引用いたします。 「映画における自由で前衛的な作風の一方で、日常では礼節を重んじ、藤沢でのご自宅の生活を何よりも愛しておられました。このテーブルと2脚の椅子は、奥様(女優:小山明子さん

          藤沢市立南市民図書館にある「王様のテーブルと椅子」

          愛のコリーダのシナリオを読んで

          コリーダって闘牛という意味なんだって。 阿部定の事件が起こったのは1936年のことだって。 私が1938年生まれだから、私が生まれる2年前の事件なんだ。 だから明治30年生まれの祖母などは、歴史上の事件でなく同時代の事件として口に出していたんだわ。私にとってはもう歴史上の事件という感覚です。 ところで映画のシナリオですから、性の営みの描写あり、セリフありですが、読み進んで行って、その営みが昇華されて私の心が洗われると言うことはなかったのです。 S〇X好きの人がどんどん深み

          愛のコリーダのシナリオを読んで

          鎌倉大仏はやはり美男だった

          おととい(2023・2・21)、鎌倉の大仏さんを見てきました。 見て来るなんて言い方、不遜? だってお釈迦様だから、信仰しなければね。 「おととい、鎌倉の大仏さんを拝んで参りました」、とね。 与謝野晶子の短歌「鎌倉や 御仏なれど釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」 この歌のとおり、大仏様のお顔は本当に美しいと思いました。 私の写真より、実物の方がずっとずっと美しいのですよ。 ふくよかで大らかで、優しくて、衆生の悩みをすべて包み込んでくれるような度量を感じました

          鎌倉大仏はやはり美男だった

          ノストラダムスの予言

             「ノストラダムスの予言」 1999年7月、夏休みの前日、後ろの席の智 子が、真理子の背中をつついた。真理子は、 英語の加藤先生が板書しているのを見計ら って、振り向いた。智子は白い紙切れを、 差し出した。真理子は素早く受け取った。 「ノストラダムスの予言の7月が終わろう としているが、まだ安心はできない。もしも 30日まで何も起こらなかったら31日が危な い。その日は裏山の洞窟にこもって一緒に最 期を迎えよう。賛同するものは山の下の神社 に午後6時に集まれ。その際、最後

          ノストラダムスの予言

          オスカー・ワイルド作「サロメ」と原田マハ作「サロメ」の感想文

          年末『サロメ』にはまってしまった。 以前よく絵の展覧会に行っていた時、宗教画みたいなものを訳も分からず見たものだ。 聖書のことなど何も知らず、知ろうともせず、『サロメ』って何なの気持ち悪いねって、見たくないもののうちに入れていた。 でも、頭の中にひっかっかていたのだろう。 図書館で書棚を見ていたら、原田マハ著『サロメ』という本が目に入った。 私は少しでも利口にならねばならないと思ってその本を借りて帰った。 私は原田マハの筆力にぐいぐいと引き込まれていった。 原田マハは美術

          オスカー・ワイルド作「サロメ」と原田マハ作「サロメ」の感想文

          最近祈ることが多くなった。

          最近祈ることが多くなった。 若いころは、今から思えば傲慢だったのか、祈ることをしなかった。 最近になってようやく、祈るということは、人の力でどうすることもできなくなくなった時、人は祈るよりほかに方法がなく祈るのだと思うようになった。 昔、大阪文学学校で知り合た親しい仲間5人のうちに、俳句の上手な方がいた。 その方を師匠として、5人で句会のまねごとをして楽しんでいたところ、師匠が胃癌になられた。その方は「石切さんにお参りにいきたい」と言われた。 私は阿波出身で石切さんのこと

          最近祈ることが多くなった。

          秘められた青春- 昭和の娘 芙蓉と葵 -

          (1)  芙蓉は庭の水仙を切って紙にくるみ、ピンクのリボンをかけて、杉野先生のマンションを訪れた。  マンションに杉野先生がいらっしゃるかどうかは、賭けのようなものだった。日曜日、先生は時々田舎の実家のほうに帰られる。芙蓉は胸をどきどきさせながらインターホーンを押した。 「おお、紺野か」という声が聞こえて、先生はガチャっという音を立ててドアを開けた。 「おお、上がれ、上がれ」と杉野先生は芙蓉の手をつ

          秘められた青春- 昭和の娘 芙蓉と葵 -

          平野啓一郎著『富士山』について

          どんな経緯からだったかは忘れたが、私は平野啓一郎のメールレターを受信し始めた。 ついこの間届いたメールレターに、月刊誌『新潮』(新年号)に、『富士山』という小説を書いたので読んでくださいと書いてあった。 年末のある日、天気も良く温暖で風もなかった。こんな日に家にこもっているのはもったいないと思い、図書館に出かけて行って、小説『富士山』を読んできた。 筋はというと、アラフォーのキャリアウーマンがマッチングアプリで知り合ったラジオの脚本家の同年の男性と東京から浜松へと一泊旅

          平野啓一郎著『富士山』について

          カンナの恋 前編 (決定版)

           カンナは神戸空港のカフェのカウンターに頬杖ついて、海に沈む太陽を眺めていた。沈みゆく太陽の彼方に、黄泉の国があるとは考えられないが、赤い太陽のすぐ後ろに永遠の世界が広がっているような、そんな心地よさを味わいながら、うっとりと、夕日を眺めていた。     カンナは夫の骨壺を、空想の中で、海の水平線、沈みゆく太陽のかたわらに置いてみた。何の変哲もないつるつるとした光沢のある白い骨壺。太陽に比べたら、本当に小さい骨壺が、海面に揺れながら、楽しそうに波と戯れている。  カン

          カンナの恋 前編 (決定版)

          満腹料理・大人も子供も大満足の「ホッペルポッペル」

           加奈子は小川のほとりに座っていた。クリーム色のサテンのブラウスに、赤と黒の格子縞のフレアースカート、それに、白いソックスとベージュ色のスニーカーを履いていた。  柔らかい日差しがもうすぐ春が来るのを告げていた。  流れの早い小川の水はきらきらと光っていた。時折、枯れ葉が加奈子の目の前を過ぎていく。赤ん坊の手のひらのような小さな枯れ葉や、グローブのような大きな枯れ葉が、気持ちよさそうに水と一緒に滑っていく。  加奈子は、浮きつ沈みつする枯れ葉を、美しいなあと思いつつ眺めていた

          満腹料理・大人も子供も大満足の「ホッペルポッペル」