認知症の女性に助けられた話
読み手の方の中には、不快と思われる表現があると思います。ご注意下さい。
私は、自分が結婚していないことや、子供を産んでいないことを恥じていることに気がついた。
気がついた、というより、それらを見ないようにしてきたのだが、直視してしまった。
世間で言う幸せとは、結婚して幸せになって、子供を産んで親を安心させてあげる、といったもの。他にもいろいろあるね。
私の母も同じ価値観で、「孫ってさ、可愛いんだろうね、私は抱っこすることもないんだろうけど」「あんたみたいな子、行かず後家って言われる人種なんだよ、恥ずかしくて世間様に顔むけできないよ」などと言われたので、私はポーカーフェイスをしながらも、だってなんだかそういう道から逸れてしまったから仕方ないじゃん…と悲しく思っていた。
私は選べなかった、のではなく、選ばなかった、と言い聞かせた。
ほんとうは、結婚してみたいし、自分の子供もみてみたい。
でもこれまでは、その選択が出来なかった。
私は結婚とか出産ができない、と強く思い込み過ぎていた。
ある夜勤中に、私は急に涙がポロポロとこぼれて「どうしたんだろ?自分は…」と自分でも訳が分からなかった。
お腹の底から「ごめんなさい!ママ!私はママを喜ばせてあげられない自分がとっても嫌い!結婚も出産もしないで、勝手なことばかりして、ママにとって恥ずかしい存在でごめんなさい!」と吐くようにお腹から感情がせりあがって来た。
大粒の涙が止まらない。
一人のおばあさんが部屋から出てきた。もう夜の9時。
認知症を持っている方なので、1人でお部屋から出てきてしまうと、元の部屋に戻れない。
自分の部屋が分からない、ここがどこかが分からない、私が誰か分からない。辻つまの合う会話ができない。
トイレの使い方とか、着替えとか、寝るという行動もひとつひとつお手伝いが必要な方。
私は彼女の手を取り、もう寝ましょうか?今は夜なんです、と言いお部屋に案内した。
私が泣きはらした顔をしているのを見た彼女は、私を椅子に座らせた。
「そこにお掛けなさい、あなた…悲しいのね」と。
私は顔をじっと覗き込まれた。
悲しくて、情けなくて、おばあさんの手を握りしめて泣いていたら、おばあさんが私のおでこに自分のおでこをピタっとくっつけてきた。
「私はお母さんに謝りたい、せっかく産んでくれたのに私はお母さんを困らせてばかり」
「消えてしまいたい、早くいなくなりたい!」
おばあさんは、私が嗚咽するたびにくっついているおでこをトントンと優しく突っついてきた。背中を優しく撫でてくれた。
私は、最高に悲しいのに、最高に大切に扱われているこの今の状況がものすごくありがたかった。
なんの言葉もいらない、一緒にいてくれるだけでありがたかった。
しばらくおばあさんに甘えて、涙が止まった頃、おばあさんに横になってもらい部屋を後にした。
私は自分の持っている価値観を外すときが来たんだな、と思った。
結婚も出産も、自分で決めていい。
出産はタイムリミットがあるけれど。
色んな理由でそれらをしない、できない人々がたくさんいる。
あんまりタブーなこと書きたくないけれど。
私は夜勤業務に戻り、淡々と仕事をこなした。
翌朝、おばあさんを起こしに行ったら、Tシャツをズボンみたいに履いて、靴下を手袋のように手にはめていた。
「それ窮屈でしょう?もっと楽ちんな格好になろう」と言い、着替えをしてもらうと、ビー玉のようなキラキラした目で
「良かったわ、安心したわ。だから言ったのよ、庭師もそう言ってたわ」
あ、庭師さんも言ってましたか、そうですか、と話を合わせた。
私は昨日のお礼を言った。
「○○さん、昨日はありがとうございました。すごく気持ちが楽になりました」
おばあさんは少女のような、はにかみ笑顔を向けてくれた。
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