魔とかエゴとか闇が私を救う
今日もキレイごとはナシで、腹を割って全てをさらけ出します(あんれまァ!)
私は自分を成長させるために、ブラッシュアップしてきたのだが、それがおかしな方向に行っていることに気がついた。
自分の価値を高める、ということは、頑張って勉強して成績を上げるみたいな、いわばひとつひとつ階段を上ってようやく掴み取るようなものだ、と信じて疑わなかった。
でも頑張っても理想の自分とは程遠かった。
相変わらず私は嫉妬深く、泣き虫で、人の幸せを悔しがり、努力出来ない人を嫌い、人が怒られていたりするとホッとするような、魔っぽい自分がいてとても苦しかった。
私は大抵怒りに満ちていて、心の中で他人をこき下ろし、悪口をしゃべり、怖い目上の人にはビクビクしていた。
頑張れば消えてくれる魔ではなかった。
魔が邪魔だった。
いつしか私は、大学ノートに自分の心情をつらつらと書いているうちに、この魔っぽさと仲良くなり始めた。
書きすぎて、もう魔があることに降参したって感じ。
魔があるのが当たり前。魔って普通。
よぅ!魔っ!どうよ?最近。いいねぇ。相変わらず毒毒しいねぇ。
魔は悲しみや苦しみが煮詰まって出来たもの。
取り除いてあげると、ただの個性が出現する。
「またアイツ、○○さんに媚売ってる!バカじゃないの?自分のことしか考えてないビチクソ野郎が!……あ。私もじゃん。私も○○さんのこと好きで、独占したいくらい仲良くなりたいんじゃん。本当のところは。で、媚び売るのって恥ずかしいからイヤだけど、だーれも見てないなら媚びのひとつでも売ってみたい…」
こんな風に日常で魔と仲良くなり始めた。
最近は魔が出てくると「キターー!」と嬉しくなる。
魔を感じて、「分かる、本当はそう思ってたよ」と同意すると、モヤモヤが少しずつ晴れていく。
しかし強烈な魔がまだ私の心の底に眠っていた。
「私なんか価値がない」という魔。
この魔はどうしても認められなかった。
価値ってどのように判定したらよいの?
価値とは何だろう?
私には価値がない、という確固たる思いはそんな簡単に変えられない。
ないものには、ないのだ。
私は盆栽鉢の裏に付いている苔のような女。
私は勝手に自生して、食べられずに枯れて行くさみしいキノコ。
私は電信柱とかコンクリートのすき間から、ニョッキリ生えてきている中途半端な雑草。
私は部屋のすみに落ちている、どこから落ちたのか分からない用途不明なネジ部品。
私は、洋服のタグについている予備のボタン、それは決して使われることはない。
私は自分にこんなイメージを持っていて、それを心底信じ込んでいた。
なんだかこれはおかしいということに気がつき始めた。
私は、自分をいかようにでも解釈してよいのに。
世界中の人は、誰も正しく自分を見れないし見ていない。
ただ見たいように見てるだけ。
だーーれも見ないから、言っちゃおうか??
今から勝手に自分の世界を決めてしまいますよ。
魔っぽい私、最高ってことにしちゃおうか。
私は大切に愛されたっていいんじゃない?
世の中にすごい人はいくらでもいる。
私、アンジェラベイビーさん最高に大好きなんだけど。
私の世界では、私が最高でいいんじゃない?
勝手に決めていいんじゃない?
この自分の世界は、他人に理解されてもいいし、されなくてもいい。
私の魂とともにこの自分だけの世界はずっと続くの。
そんなことをしていると、「このバカチンが!」「いつまでフワフワしてるの!」って怒鳴り声が聞こえてきそうだけど、そろそろ私の耳は閉じてしまいそう。
閉じたあとには、私の世界の祭りが始まるのだ。
キノコでいいとか、苔女で満足とか、つまらない。
毎日私は外の世界に出稼ぎにいくけれど、そのときもいつでも私の内側には、確固たる私の世界が待っていてくれて、私はいつもそこで充電をさせてもらう。
そんな魔おんなでした。夜露四苦!
(間男って言葉、昔から好き。ゴムの伸びたヨレヨレのブリーフを押さえながら、逃げるように歩いているイメージ)
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