絵を描くという事
「自分の中にある見たくもないものや
知りたくもないものを、
それも自分なのだと愛するために、
絵は必要だと思う。
言葉では歯が立たない時がある。」
”自分のすべてを否定しない”
と心に決めると、なんともまあ見事に腐った
自分が現れる事があります。
だけれど、それを笑って
「これも自分さ」
なんて言えるほど、私のプライドは低くない。
そんな時、
さてこのどうしようもない感覚。
「自分で”否定したい自分”が、自分の中にある事を否定はしない」
が、それをやすやすと
「受け取りたくない」ってことも「否定はしない」
だって ”すべてを肯定する” と決めたらそうなるでしょ?
その矛盾を、あーだこーだ言葉で理解しようともがいて
うずくまっている時に、ふと。。。
「そういえば、ユングは自分の精神がバラバラになりそうな時に、
”曼陀羅”を描いていたな・・・」
と、思い出したので、それで、グルグル描いてみたんです。
そうしたら、何かが「統合されていく」感覚が芽生えました。
そして、急に思い出したんです。
「そういえば、まど・みちおさんも、
ボールペンでひたすらぐるぐるした絵を描いていたな」と。
絵は、直線と円で出来ている。
直線を言葉のようなロゴス性とすれば、
円は曼陀羅のようなレンマ性。
だから、詩人のまど・みちおさんはきっと、
表ではロゴス性の言葉で世界を表現して。
裏では自分の中の混沌を円で癒していたのかも。。。
と考えると腑に落ちるんです。
しかし、そこで生まれる絵は、決して芸術的なものではない。
あくまで、まと・みちおさんが自分自身をいやす為の
”ぐるぐる”なんだと思います・・・
そう思って自分の絵の記録を順を追ってみてみると、
ちゃーんと線の時期と円の時期があることに気が付きました。
ニーチェとかを読んでいる時は、線ばっかの絵(線)。
その後、急にぐるぐるの絵に変わって(円)。
そこからさらに、線の人物(私)が生まれてました(線)。
そして現在は、丸みをもった人物(私)になってきたかと思うと(円)。
近頃は素早く線を使った人物画(他人)も出てきて・・・(線)。
だから、それが分かって「なんだ。やってきたんじゃん。」
って思いました。
でもそれをはっきりと知る事ができて、
「ああ、これでもっと深く行ける」と思いました。
それが、私の絵を描くという事です。
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