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葦原 みゅう 〜足は姫にあげた〜

               文:大野 みやび

モデル・インフルエンサー・観光アドバイザー 2021年、東京パラリンピック閉会式にパフォーマーとして出演。 翌年にはミラノコレクション、パリコレクションに進出。車椅子でランウェイを歩き世界中から注目を浴びる。歌手MISIAのアリーナツアーではバックダンサーとして出演。葦原みゅうは、SNS総フォロワー数100万人の人気インフルエンサーだ。動画ではファッションやビューティ、ライフスタイルを配信し、一見したら他のインフルエンサーと変わらない。

だが、多くのフォロワーを惹きつけるのは、赤裸々に発信する「自身の障がい」に関するコンテンツだ。

世の中における障がいへの認知度と理解を高めるため、車椅子ユーザーである自らが様々な動画を投稿することで見えない壁を壊す活動をしている。

最も視聴回数が多い動画は「切った足はどこへ行った?」「切断面の話」といった視聴者からの質問に答えるコンテンツであり、底抜けに明るいキャラクターでユーモラスに車椅子での生活をアップロードし続けている。

そんな彼女は16歳の時、交通事故により両足を失った。病院のベッドで昏睡状態から目覚め、「自身の足を失った」とわかった時でも大泣きすることも叫ぶこともなかったという。

足がないショックや今後の不安よりも、早く外に出て車椅子で遊びに行くことを考えた。足がない事実は変えられない、落ち込んでいる暇などなかったのだ。

困難や逆境に臆することなく、明るく愛に溢れパワフルに突き進んでいる。たくさんのエピソードの中から、その強さや考え方の芯を伺った。



大道具の夢から方向転換、モデルの道へ進んでいく


父がホテルで働いていたことで転勤が多く、小学生の頃に名古屋から千葉へ引っ越したのですが、言葉のイントネーションの違いからいじめられたことをきっかけにテレビをお手本にして標準語を学んでいました。子どもの頃の夢はテレビの大道具さんになることでした。

ある日テレビを見ていると俳優さんの後ろで、舞台セットを動かしているスタッフさんの姿が目に留まりました。同じ空間なのに一瞬でまったく別の世界になることに衝撃を受けて、幼 いなりに調べたところ「大道具」という仕事があることを知り、それから私の夢は「大道具さん」になりました。

事故で両足を失った後もその夢は変わりませんでした。進路を決めるときに大道具の専門学校へ問い合わせたのですが、車椅子の前例がないこともあり難しいだろうと言われてしまいま した。

そこで、大道具の仕事にも役立つだろうと、WEBデザインの専門学校へ進学しました。

在学中、知人からNHKの番組内でのファッションショーに出てみないかと連絡が来て、表舞 台には興味がなかったのですが「テレビの舞台裏が見れる!」という好奇心からオファーを受けました。

番組の趣旨は、障がいへの理解を色んな人に広めて親しんでもらうということでした。 収録中はずっとスタッフさんの動きやお客さんの反応ばかり見ていましたね(笑)

番組放送後にSNSを通してメッセージをいただいたのですが、障がいを持つ人の家族や福祉 関係で働くかたといった何かしらで障がいと接点のある方々からのメッセージが殆どでした。 ショーの最中にもずっと感じていた「障がい者と健常者の間の壁」のようなものを改めて考えましたね。

番組のファッションショーの目的は、障がいへの理解を深めることだったのに興味のある人にしか届いていないのではないか・・・どうにか障がいへの興味のない人にも、別の角度から 知ってもらうことはできないものなのか・・・ずっとそんな風に考えていました。

“エンタメの力で健常者と障がい者の間にある固定概念の壁を壊したい!”

もちろん大道具の夢は捨てていないし、いつか制作側の仕事をしたいと思っているけど、回り道にはなるけど私がモデルとなり表舞台に立とうと決めました。

コロナ禍になり収入が激減、逆風を追い風に変える

大道具さんの仕事は難しいとしても、とにかくテレビの裏側で働きたかったので、専門学校を卒業した後はテレビ関係の会社へ就職しました。

仕事内容も環境も不満なく働かせていただいていましたが、20歳の成人式を終えた後に髪色をピンクに変えたんですね。その事で注意され始めた時に、「なぜこの会社で働いているのか?」と改めて考えるようになり、「モデルだけでは食べていけないから安定を選んでいる」という、働いている理由が入社当時と変わっている事に気づいたんです。

それならもっと挑戦するべきだと思い、安定した生活は手放すことになるけど、フリーランスへの道へ進むことにしました。

講演活動やアドバイザーをしたりと、車椅子ユーザーの表現者として、メディアでも活動させていただいていましたね。

そんな中、コロナ禍でパンデミックになったことにより撮影や講演などイベント関連のお仕事が無くなり、収入も1/3に減ってしまって・・・ 。空いてしまった時間でTikTokやYouTube等の動画配信を本格的に始めました。

車椅子でのライフスタイルを公開したり、視聴者さんからの質問に答えていくうちに、徐々にフォロワーさんの数が増えていくのが嬉しかったです。

モデルとしてファッション関係のイベントに出演するだけでなく、観光関係のアドバイザーもさせてもらっています。バリアフリーにしたい施設へ視察しに行って、車椅子ユーザーとし ての目線で改善点などを共有しています。その観光地のイメージを崩さないためにも福祉感が出すぎないようにバランスを考えています。元々、健常者といわれる立場だったので、健常者と障がい者の二つの目線で考えるようにしていますね。

視聴者からの質問に答える理由と加害者への想い

フォロワー数が一番多いのがTikTokなのですが、TikTokを見るかたって若い層が多いのですね。検索しなくてもランダムでオススメ動画が表示されるシステムなんです。

当然、障がいに興味のないかたにも、私の動画が表示されるので目に止まりやすいのでしょう。私としてはそういったかた達に知ってほしいのでまさに好都合なのです。

車椅子生活だけど、とっても楽しく生活しているし、「色んなことに挑戦できるんだよ」っていう姿を伝えたくて、水着でプールに入ったり飛行機で海外へ行く様子なんかも投稿しています。

たくさん投稿していると思わぬところでバズって、コメントが増えることにより質問も増えていきます。「事故の賠償金について」や「障がい手当のこと」、「生理のときはどうしてるの?」なんていう質問にも答えています。

「足がない人はこういう場合どうしてるんだろう?」という視聴者さんからの素朴な疑問に実践で答えている感じですね。

きっと障がいについて知らないことが多いから、偏見や壁ができてしまう気がしているんです。興味を持って質問を投げかけてもらいそれに答えることって、その壁を壊す第一歩なんじゃないかと思います。

日常の自分を投稿することによって、「どんなコスメを使っているの?」っていう障がいと は関係のない質問もいただくようになりました。障がい者も健常者も関係ないコミュニケーションがとても嬉しいです。

時には、事故の詳細について聞かれることもあります。事故後しばらく生死の境を彷徨っていたこともあり、事故前後の記憶がないっていうのもあ るのですが...。

事故のことを語らない理由は、私が事故の詳細を発信してしまうと加害者が特定されて叩か れてしまう可能性があるということです。

加害者のかたには、今の人生がありますし・・・事故を起こしてしまったことについては反 省するべきだけど、当事者同士の問題なので掘り起こすのは違うと思うんです。

私は両足を失っても幸せですし、こうして生きていることがありがたいと 感じています。事故直後に搬送されて「すぐ足を切断する」という選択を迫られたときに、正しい判断をしてくれた両親にも心から感謝しています。

早く自立したいと思っていた過去。反発心から前向きな性格へ


私は両親と妹の4人家族なのですが、父は物事の筋道を立てるはっきりした性格。母はとにかく真面目で心配性です。どちらかというと厳しい家庭でしたね。妹は私とは真逆でおっとりした清楚系で、趣味や好きな教科まですべてがまるで違います。

私は子どもの頃からアクティブなタイプだったので、17時の門限を数分過ぎてしまって家を締め出されるなんてことも頻繁にありました。家出したり大きな反抗期はなかったけれど、常に反発心は抱いていたように感じます。

母が心配性でどちらかというと悲観的な性格だったので、「そんなこと言われなくてもできるわ!」っていう歯向かう気持ちが、臆さない性格を育んだのかなとも思います。もちろん家庭環境がすべてではないし、生まれ持った性質や外での環境も大いにあるとは思いますけれど。

中学生の頃から、実家という親の管理下にいるのがイヤで自立して一人で暮らしたいと強く思っていました。

両親と壮絶なバトルにならなかったのは、「大人になるまでは仕方ない」と自分で納得して諦めたからかなと思います。

時として諦める気持ちが必要なこともありますよね、それは足を失ったときも同じですね。

「変えられないことにいくら悩んだって変わらない。それなら今の環境でできることは何?」って切り替えるほうが早いと考えていました。

実際、成人した現在は一人で生活していますし、両親との関係もとても良いですね。

SNSで発信する際に、相手の気持ちを考えた言葉遣いをするところやセンシティブに接するところは、両親の厳しさや教えのおかげだと思っています。

足を失って「できること」と「できないこと」が明確になった


映えるスイーツやスポットが好きなのですが、バリアフリー対応か否かについて調べたことは殆ど無いのです。現地に行ってお店側から断られた経験もありません。

そういう場所へ行くときって、SNSの撮影をすることが多いんですね。となると撮影してくれる人と一緒なので、一人で行くことがないというのもあるのだけれど。お店の入口まで階段があるという状況になっても、同行者に運んでもらったりお願いをすれば助けてくれる人がいます。

両足を失って自分1人でできる範囲は狭まったけど、周りの人にお願いすれば解決することがほとんどです。バリアフリーの壁を打ち破るのは、実はとてもシンプルなことなんだと思っています。

例えば、衣替えをする時に棚の高いところは届かないけど、それは後日まわりの人にお願いすればいいってだけのことです。

物理的にできないことがはっきりわかったからこそ、自分にできることとできないことが明確になりましたね。

ただ、忙しいときは飛行機のチケットを取り忘れてバタバタしたり、チケットは取ったけど宿をとっていないことで直前で焦ることも多々...(笑)そういったトラブルはあるけど、それは健常者も同じことですよね。

できないことが分かったことにより、無数にある選択肢が程良く絞れて、快適で潔く生きら れている気がします。

フリーランスとして活動し続ける理由

ありがたいことに色んな事務所から所属オファーの声をかけていただいているのですが今はお断りしています。

理由としては、自分でやってしまったほうが楽なのと事務所が選んだマネージャーさんが付くことにも抵抗があるからです。このことが一番の悩みでもあるのですが、基本的に人を信用できないんです。

相談するときもこの人にすべてを相談するってことはなくて、この件に関してはこの人とか、仕事の内容はこの人とか、そういう感じで相談していますね。

例えば、ある仕事案件のオファーがきたとして、その予算が30万だったとするじゃないですか。私としては20万円で受けられる仕事内容の場合、10万円の予算が余っているなら、終日ヘアメイクさんを付けてほしいと考えます。

そうすれば私も常に綺麗な状態でいられてモチベーションを保てますし、ヘアメイクさんにも仕事が入るじゃないですか。そういう循環まで考えてしまうので、今は一人でやっている方が性に合っているのかも知れません。

自分の売り込み方に関しても同様で、周囲の人から文化人枠を薦められることが良くあります。モデルやショーをする仕事ばかりはできないから、講演会などの言葉で伝える仕事もしていますけど、私は文化人になりたい訳じゃないんです。

自分から発信する時は敢えて「車椅子モデル」とは言わず、「モデル」という表現をしています。

理由は、モデルという本来の意味でもある“お手本”のように、私の仕事や生き方などありのままの“葦原みゅう”を見てほしいからです。

それに車椅子を宣伝しているわけではないですし、パリコレやミラノコレクションに出演した際も、歩く手段が車椅子というだけで洋服を宣伝しているので、これに関しては「ファッションモデル」としてランウェイを歩きました。

テレビやメディアでは、「モデル」でなく「車椅子モデル」として紹介されます。そうした キャッチーな表現のほうが、分かりやすくインパクトを与えることができるでしょうから、その意図については理解しています。

SNSもテレビと一緒で、障がいを全面に出したワードを使うけど、本来はそこ関係なしに見てもらってフラットな交流ができるのが理想ですね。

そういう面でも、事務所に所属してしまうと自分の目的とズレていってしまうのではないかという気がしているのでフリーのままでいます。とはいえ、そろそろ業務量的に限界を感じているところはあるのですが(笑)

少しずつ心のバリアフリーを実感してきている


以前、私の書籍の出版イベントをしたのですが、その時に7~8歳くらいの子どもが来てくれたんです。お母さんの付き添いで来てくれたのかなと思ったら、その子が私に会いたくて来てくれたとのことでした。

私からすると「こんなに小さな子が私のコンテンツみるの?!」って 驚きましたね。

何もやましいことはないけど、例えば“障害者”という文字だってわざわざ“害”をひらがなにしていないし、漢字もたくさん使っているから幼い子どもには理解し難いと思っていて・・・。

「どうして私の動画を見てくれてるの?」って聞いてみたら、「足がないのに明るくて頑張っててすごいから!」と答えてくれました。

見えにくい障がいや難病というわけでなく、私の場合は両足がないから視覚的にも分かりやすいようですね。

街中でも声をかけてもらうことが多いのですが、「お手伝いしましょうか?」の声かけではなく、9割くらいの方が「みゅうさんですよね?」といった感じで話しかけてくれます。車椅子だから声をかけたというのではなく、いつも見ているからとかファンだからという自然な感覚 でお声掛けしてもらっています。

SNS上で“葦原みゅう”の自然体を発信してきたので、視聴している方々も自然に見てくれるようになったのかと思います。

バリアフリーとか障がいという言葉を使わなくても、心のバリアフリーができている世の中が理想だと思っています。

まだまだ壁はありますし、壊してもまた新たな壁が待っていると思います。けれど必ず壊せ ると信じて挑戦していきたいですね。

小さな頃に抱いた大道具さんにはなれないかも知れませんが、どのような形にしろ制作側にまわりたいという夢は諦めていません。

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