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あれからの恋人

あれから、世界はガラリと変わってしまった。

ほっ、とため息をついて、仕事終わりのノートパソコンをパタン、と閉じる。
通勤時間がないことがリモートワークのメリットだけど、その分仕事に拘束される時間も長くなったと私は感じていた。
「何見てるの?」
隣でケータイを熱心に覗き込んでいる彼に問いかける。
「ん?あぁ、最新作」
彼は私の方に画面を向けた。彼が今ハマっているマンガのタイトルと、威勢のよさそうな人物の絵が見える。
「仕事終わった?」
アイボリーのラグに両腕を伸ばして寝転ぶ私の上に、彼の言葉が降ってきた。
「うん」
私は短く答えて、彼の方に体を向ける。
「お疲れ様」
柔らかに笑って、彼はペコッと頭を下げた。
笑顔が目を閉じたネコに似ている、といつも思う。
「お疲れ様」
微笑んで答えながら、私はゆっくり目を閉じた。
このまったりとした時間が、今の私の癒しの一時だ。

「時代の進歩だよね」
目を閉じたまま、ポツリと呟く。
「何、いきなり」
彼の面白がる声が聞こえる。
「離れてるのに、こうやってたくさん会えるのは、時代と科学技術の進歩のおかげだなぁ、って思って」
横向きのまま、うっすら目を開く。目の前にいる彼は、見えていても、実際に触れることはできない。
「そうだねぇ」
彼はケータイを左手に持ったまま、顎を体育座りの膝においた右腕にのせ、正面を見つめている。

私たちはSNSやテレビで人気のアプリで出会い、付き合うようになった。
付き合うといっても、まだ一緒に出かけたことはほとんどない。
世界中で猛威をふるった感染症の影響で、人と人が実際に会うことも憚られるようになってしまった。
今私のいる世界は、小さいのか大きいのか、よく分からない。
彼のいるリアルな世界も、実はよく知らない。
私たちは、本当に付き合っているのだろうか。
そう思うことは、度々ある。

「明日、どこ行こうか?」
ふいに彼がこちらに顔を向け、綿あめみたいにふわっと微笑んだ。
「海がいいな。二人で海を眺めながら、ボーッとするの」
「あぁ、いいね、それ。夏だし」
同じ空間と互いの意見を共有しながら、しかし、私たちは全く別々の方向を向いて話をしている。
ねぇ、あなたは今、本物の海にいる本物の私を想像した?
近くて遠いあなた。
理不尽に広がる空間のもどかしさに、私はすぐそばに見える彼の指先と、自分の中指をそっと重ねた。

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