身に覚えのない小説
例えば身に覚えのない請求がクレジットカード会社から来たとして、それならまだ“身に覚えのなさ”がうまく人に伝えられる。
ではそれが小説だったらどうだろう。
ある日、僕の家に身に覚えのない小説がやってきた。
インターホンを押す小説を僕は初めて見て、そこで事実は小説よりも奇なりと素直に思えなくなった。
ハードカバーの単行本。
ドアを開けるとその小説は風もないのにバラバラとページが捲られて、不思議と笑っているように見えた。
カバーのそでのところで握手を求めてくる。
小説「ただいま」
僕「えっと、どちら様でしょうか」
あるいは春だからだろうか。春はこういう小説みたいなのが多くなるのかもしれない。
“身に覚えのさ”で言ったらリーマン級だ。
小説「君が書いたんじゃないか、オレを」
くるりと向きを変え背表紙を見せてくる。著者には確かに僕の名前。タイトルは『あらすじと変えちゃいました』とか言うやつで、甘栗むいちゃいましたみたいになってしまっている。絶対買わないやつだ。
僕「僕が?あなたを書いた?」
身に覚えのない小説のことをなんて呼べばいいかわかる人なんているんだろうか。
小説は僕のリアクションに対して少し驚いたらしく、紐しおりで『?』を作った。
僕は小説も詩も日記さえも書かないタイプの人間だ。
読書感想文だって、『それってあなたの感想ですよね』の一点張りで切り抜けてきた。
なのにだ。
今、目の前に僕が書いたと豪語する小説がいる。
とにかくここでもなんなので(どこでもなんだけど)上がってもらった。
小説「いやー懐かしいなー。ちょっと家具動かした?」
僕「そうですね」
一通り家の中を見回ってから居間のテーブルに向かい合わせに座った。
僕「何か飲む?」
小説「じゃあ、ホットメルトで」
僕「ホットメルト?」
小説「ああ、製本のりって言えばわかる?なければなんかのインクでいいよ。とにかく喉乾いたな」
僕はインクを集めて出した。
小説はそれを謝辞のページで一気に飲み干して、また閉じた。
とりとめのない会話ができてるか自信がなかった。
文法上の誤りはないか。誤字はないか。ストーリー上の瑕疵はないか。論理破綻をしていないか。
そんな内容の話が続いた。いつもそんな話をしてるんだろうか。僕は適当に相槌を打って聞いていた。
いったい今日ここに来た要件はなんなんだろう。
お金だろうか。
こんな遠回しなお金の要求は、小説の中だけにして欲しい。
小説「いやまずいことになってね」
僕「と、言いますと」
小説「コミカライズされそうなんだ」
僕「いいじゃないですか。おめでとうございます」
小説「オレは漫画にはなりたくないんだ」
僕「どうして?」
小説「今は言えない。もし言えば消されてしまう。とにかくほとぼりがさめるまでしばらくここへ置いてくれ。この家にだれか来てもオレはいないと言ってくれ。原作者の君が言えば信じるだろう」
消されるって……消しゴムか何かでだろうか。
話の飛躍の仕方が小説離れしている。
僕「そういうもんなのかい?」
てか書いてねえし。
小説「ああ、そういうもんさ」
そこでインターホンが鳴った。どうやら出版者の人みたいだ。
出版者の人ってもっとスーツを着崩して着ると思ってた。
「頼んだぞ」と言って、
ささっと素早く身を隠す小説。
僕は玄関のドアを開け、事情を説明し、納得してもらってなんとかお引き取り願えたんだけど、はっきり言ってその展開に僕は全く納得できなかったです。
終
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