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キミの静かの海


「よかった、まだ弾けて」

もうピアノしか無いその部屋でキミが僕の知らない曲を弾いてくれた。

ピアノをずっと弾いてなかったキミに僕はあのとき出会ったんだとそのとき知った。

立ったまま弾くキミを月の光が優しく包んでいた。

僕はまだ優しく包まない月光を知らない。いつだってそれは等しく優しい。

新しい暮らしは僕が勧めた。

何かの伴奏のように僕がなれたらいいなと思った。

キミは過去にとらわれていた。どうして過去は消えてなくならないんだろう。もしかしたらこの宇宙に過去がないのかもしれないのに……。

最後に長くキミは鍵盤を押さえた。

広がった音が、ずっとキミを見守ってきたこの部屋の隅々にまで行き渡った。

「素敵な曲だね」とその終わりに僕は小さく手を叩いた。

二人で東京を出よう。

床に並んで座って天井窓の向こうの丸い月を見上げた。

幻想的な月の光はこのアパートまで届いてくれた。
今の僕たちは心だけで会話ができた。

ずっとそれまで誰とも会話なんてできてなかったんじゃないかと思うくらいに。

人類で初めて月に降り立ったニール•アームストロングは「月に何を持っていきたいか」と聞かれて、「できるだけたくさんの燃料」と答えた。

逆にロマンチックだなと僕は思った。

キミとどこまでも行きたい。そんな気分だ。

心だけの会話に言葉はいらない。

互いに触れることもない。膝を抱えたままで。
月面みたいに静かな部屋の中。

横にいる君の涙がわかった。

その雫は心のなかの月にこぼれ落ちる。

人は誰しも心に月を持ってる。

だからこそ地球から一番近い星として月があるじゃないだろうか。

どうか僕を信じてほしい。

僕は目を閉じた。そして心の中で月着陸船に乗る。

キミの心の中の月面に降り立つために。

まだ誰も降りたことのないキミの心に。

『キミの静かの海』

僕はきっとそう名づけるだろう。



                      終

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