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創作の独り言 レビューってなに?

レビューってどう書くの?

 皆さんはレビューをしたことがあるでしょうか。小説の場合、近い言葉で「書評」などがありますが、平たく作品がどんなものであるかを客観的な要素から記述するもの、程度が適切でしょうか。私はあまりレビューなるものをしたことがないのですが、昨今ネットショッピングの普及で実録的なレビューを参考にすることは多いでしょう。
 では、これまで話した「物語」というものについて、どのように評価をしていけばいいのでしょうか。これは実は存外に難しい問いになります。そもそも、小説に構成された物語は当然ながら「書き手」と「読み手」に大きく解釈の違いが生まれますし、それは読み手同士の中でも十分に起こりうることでしょう。

 ときにそれは対立を生むこともありますし、共感を生む場合もあります。ですが、実際に適切なレビューが書けているな〜と思えるようなものって少ないという印象を抱いています。だからといって、私が「レビューの何たるかはこうだ!」と言うのはまたおかしな話です。
 なぜなら私は、現状読み手というよりも書き手の方に思考がよっていますから、到底客観的かつ論理的な視座から解説は困難でしょう。ましてや、レビューの一つも書いたことのない人間がこんなことを垂れ流している時点で、可笑しいといえばおかしい話なのですが、今回の独り言はこの「レビューの書き方」という部分に焦点を当ててみましょう。

1.レビューとは、客観的なものであることを忘れずに

 レビューとは、ある程度の客観性が担保されていなければならないと私は思います。これに対しては賛否両論あると思います。勿論、その人が抱いた気持ちを率直に伝えることも必要なのですが、何も「主観を入れずに書け」ということではありません。
 重要なのは、客観性を主体にして、主観の場合はしっかりとそれを明記する必要があるのです。

 「そんなの当たり前だから」と抱く人も多いと思いますし、実際私も同じことを抱くことでしょう。ですが、特に映画のレビューサイトを見てみると、実際にレビューとして客観的な視座が展開されているものはほとんどなくて、酷いものであれば主観的なものをさぞ客観的な調子で書く人もいます。
 ですがその一方で、映画に対して客観的な視座で文章を書くということは、実は結構難しいものです。

 その理由は、「作者が表現したものは“客観的に見て良いから”という理由で書かれているとは限らない」という前提があるからです。
 論理性は一つの考え方です。理路整然として、一つ一つ根拠を持って作り上げていくという考え方なのですが、事芸術の分野においてこの論理性は相反する性質があります。

 有名なものだと、「月が綺麗ですね」という夏目漱石が訳したとされるものがありますね。これは英語教師をしていた際に、「I love you」に対して漱石が行った翻訳であるという話があります。
 なお、このお話は正式な文献がなく、私はあくまでも「都市伝説」くらいにしか思っていません。正式な根拠がないので、この話を他の人にする場合は「諸説あり」くらい付け加えておくレベルのものなのですが、この話には合致するので使用させていただきます。

 英語を知らない人でも、「I love you」が相手に対して愛しているという旨の言葉になることは知っているでしょう。では、何故このような逸話が生まれ、都市伝説レベルの内容が流布したのでしょうか。夏目漱石らしいからというのもある意味では考えられますが、それ以外にも、この言葉と背景が「美しいから」というのも一役買っていそうです。
 前回の記事で「日本語は察するものである」としていましたが、そのような曖昧な美学がここで表出されているように見えるのは気の所為でしょうか。論理的かつ合理的に考えれば、自分の言葉がしっかり通じないこのようなことを言うのは論理的とは言えないでしょう。しかし、この言葉が美しいから、という理由で使う人がいるのもまた事実です。この事実は覆しようがないものでしょう。

 だから、レビューはできるだけ客観的になったほうがいいけど、表現されたすべてが論理の法則に当てはまるわけではないし、そこにあるのは感性によって構築されたものであることを忘れてはならないのです。

 では具体的にどこを論理的に書いていけばいいのでしょうか。
 これも、またいつかの独り言で話したように、「必然性」に絞っておくことで解決するでしょう。
 表現される物語はすべて必然です。起こるべくして起こることばかりでなければならないし、突如出てくるものは「ご都合主義」など悪辣な印象を与えかねません。
 ついでに言えば矛盾していてもいけません。話が噛み合わなくなってしまいますし、物語としての破綻をきたしかねないからです。
 このように、簡単な規範に当てはめて書けば、芸術という曖昧な領域にあるこれらを理解し、そして評価という難しいことも達成できそうです。

2.「主観的に○○だったからだめ」はNG

 映画のレビューにおいて特に多いと思う(あくまでも私の印象です)のですが、「こういう後味の悪い終わり方はクソ」なんて強い言葉を使っている方がいらっしゃいますが、これはレビューの最悪パターンでしょう。

 論理的でもないですし、好き嫌いで判断して悪印象を植え付けることは絶対にしてはいけないことだと私は思います。どんなに内容が険しいものでも、そこにはプロフェッショナルたちが練り上げた「意図」が込められているはずですし、それを「主観の一言」で決定してしまうのは理不尽の極みと言っていいことです。

 これが特にあるのが「ホラー作品」に対してのレビューです。そもそもホラー作品というカテゴリー自体が客観的なレビューが困難なものなのですが、だからか輪にかけてこのような悪辣なレビューが散見されます。
 例えば「俺が怖くなかったから駄作」、「なんか気持ち悪いから見ないほうがいい」などがこれに当てはまるでしょう。具体的な箇所で、チープな部分があるのであればそれはレビューとして妥当なものですが、主観一つで片付けられるレビューほど、見るに堪えないものもありません。

 ですが、主観意見は重要です。中身がどうであれ、その作品を見て抱いた一つの感情の実例なのですから、それを否定するのも気が引けます。
 前述の例を少しいじってみましょう。

例)  「俺が怖くなかったから駄作」
改良後)「ビックリ要素が連続、しかも同じようなシチュエーションで使われてしまっていて、どのような恐怖演出があるのか分かってしまう。そのうえで、私は怖くないと思った」

 であれば印象が変わってきます。正直なところ「怖い」「怖くない」は我慢比べのようなものであり、具体的にどこでそのように感じていたかがわからないと次に繋がるものも繋がりません。
 ついでに、もう一つの方も改良しておきましょう。

例)   「なんか気持ち悪いから見ないほうがいい」
改良後) 「身体の欠損や虫などの生理的な嫌悪感のある描写が多くて、これらの描写が苦手な私にとっては視聴を躊躇うほどだった。苦手な人は見ないほうがいいと思う」

 こうすれば、具体的にどのような気持ち悪さがあったかわかりますね。レビューとして残るものは、その後の売上にも影響があります。だからこそ、適当な意見ではなくて、少しでも貢献できるような内容になることが望ましいといえるでしょう。

結論

・レビューは客観的かつ具体的に。
・でも作者が表現した部分が論理的なわけじゃないよ
・主観的な否定意見はゼッタイ駄目、入れるのであれば具体性を持って!

という感じで今日の独り言はいじょう、これにて終了おやすみなさいスヤァ

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