第三章 - 軋む者 1


目次 → 「煉獄のオルゴール」
前回 →  鏗鏘のアラベスク 4

次回 →  軋む者 2



 気がつくと、僕はあの「記憶の中枢」にいた。
 透明な六角形のケースに臓物が浮かぶ異形と、目の前に立ち尽くしている瑠璃が最初に見えて、辟易とした声を上げて蹲ってしまう。

 今見た光景、到底冗談の類であるとは思えない。現実をなぞってきた感覚があるからこそ、「優一を自らの手で殺害した」という事実が体中の筋肉を圧迫するように重くのしかかる。同時に、どうしてそんなことをしたのか、どうして「一緒に死んでくれ」などという言葉が浮かんできたのか理解できず、苦しみに苛まれて床に手をついてしまう。

 一方、それを見ていたと思われる瑠璃の混乱した言葉が聞こえてくる。瑠璃は「どうしたの?」と驚いた口調で言葉をつなぐが、それに一切答えられないとわかると、ゆっくりと顔を近づけて頭を撫でてくる。
 僕は驚いて顔を上げた。なぜなら、その手のひらがあまりにも、この狂気の世界で触れてきた優一の手のひらとそっくりだったからだ。

「……君は、一体何なんだ!」
 不思議と飛び出た言葉に自分自身違和感を抱きながらも、その言葉に「どうして、優一と……」と接続し、静かに呼吸を整える。乱れた息の根源は恐怖であるか、自責であるかは分からないが、少なくとも無意識の最奥ではそれを熟知しているように思える。
 けれどもその思考を手繰り寄せるよりも先に、瑠璃は表情を変えることなく、静かに語りだす。

 「僕は、この世界の管理人で……」彼はそう言おうとするが、僕はその言葉を強い語気で遮った。
「そんなことが聞きたいんじゃない! 僕は……どうして、僕自身が殺した、優一と君が瓜二つなのか……それを聞きたいんだよ!」

 あの世界で映る優一の顔は、捉える事ができなかった。モザイクがかかったように、自分が相貌失認であることを疑うほどに何も見えなかった自分の思考の中にある彼は、瑠璃の顔そのものだった。
 思い出したのだ。彼の顔を、彼の声を、彼の仕草を。

 その全てが今目の前に佇んでいる瑠璃そのものであり、生き写しなんて言葉では語れないほど、優一と瑠璃は同じだった。そんな二人が決定的に違うとすれば、僕にかけてくる言葉たちだ。
 より自然に、現し世で語り合うような言葉を投げてくる優一に対して、瑠璃は意味深なことばかりを行間を広く言い放ち、そして掴みどころが無い。話している意図や言葉は全くもって違うのだが、それでも僕は、瑠璃が優一と全く同じであると胸を張って言える。

 多くの事を思い出したからこそに断言できる言葉に、僕の心拍は露骨に早まっていた。早晩卒倒してしまうのではないかと思えるほど脳は混乱に満ちていて、真実を聞きたいと息巻くだけで気持ちが先走ってしまい酸欠に陥ってしまいそうになる。
 尋常ならざる僕の気迫を感じたのか、瑠璃は顔を歪めながら静かに語り始める。だがその内容は、僕が望んでいたものとは全く違うものだった。

「……ごめん、きっと混乱しているのだろう。君の記憶の世界で君が何を見たかはわからないが、それこそが君が生前においてきた大切なものなんだと思う」
「だから僕が聞きたいのはそこじゃないんだよ!」
 僕はその言葉に更に言葉を荒げて言い放った。自分の望んだ答え以外が帰ってきた瞬間に怒りを顕にするなんて子どもそのものであるが、強くなる怒りが更に僕の言葉を壊していき、最終的には瑠璃の肩を壊すように抱え込んだ。

「お願い瑠璃……僕は、どうして君のことを殺したの……? どうして、二人で死のうなんて、言ったの? 教えてよ……お願い」

 言葉が嗚咽に紛れてよく聞き取れないかもしれない。それでも僕は泣きながら彼に詰め寄っていた。もう殆ど言葉として成立していないことを理解しながらも、溢れ出る感情は行所を失ったように滔々と流れ続けていた。
 あまりの状況に瑠璃もすっかり混乱しているのか、泣き続ける僕の手のひらを握って、静かに部屋の片隅へと僕を寄せて座らせてくれる。僕は涙で声が出せなかったが、その時の仕草がまさに、あの狂気の世界で僕の隣にいてくれた優一そのものだったことは、瑠璃に伝えることはしなかった。

 暫くの間泣きくれた僕に対して、彼はただそばにいてくれた。ひっそりと掌を繋いでくれる感覚はまさに生前を思い出させる。
 不均等な呼吸の感覚の合間をすり抜けてくる瑠璃の息の音色はとても心地よくまるで揺籃のような優しさがふんわりと皮膚に隣接している。安心感しか得ることのないこの状況がしばし続けば、荒かった自らの呼吸は静かに鳴りを潜めていき、嗚咽混じりに謝罪をするときになれば思考も冷静に糸を張っていた。

 「……ごめん」何十分と泣きじゃくった後に出た言葉はそんな安っぽいものである。けれども簡潔な気持ちを込めるには十二分だったようで、自らの手のひらが瑠璃の掌によって握りしめられることがそのまま返答になっているようだった。
 冷静になってみるとあの態度はあまりにもひどいことであるが、それほどに僕が見つけてきた生前の記憶は残酷に燻っている。すると、隣りにいる瑠璃は僕の顔を少し悲しそうな顔で一瞥したと思えば、ひっそりと言葉を繋ぎ出す。

「僕は……君がどんな世界を見てきたかはわからない。僕はあくまでこの世界のことしかわからないし、君に僕がどう見えているのかは尚の事分からない。でも、君が自分の感情と折り合いをつけなければこの先には決して進まない。君が見ているこの世界は、永遠に繰り返すだけになるんだ」
 瑠璃は感情を込めないように、しかし滲み出る悲しみが言葉の端々に現れた声色でそう言った。
 婉曲的な表現をしているが、ようは「自分自身で考えなければならない」ということだ。それは重々承知しているのだが、気持ちの整理を簡単につけることなどできないし、そもそも欠落している部分が多すぎる。

 そう、僕はあらゆる面で欠落している。にも関わらず、優一を愛していたという気持ちだけが強く光を放ち、それ以外の部分が確実な影に覆われている。
 僕は、自分と向き合うという覚悟をしていながら、気になっている部分を適当に浚っているだけで、何一つ前に進めていない。影となっている部分に、自分自身の行動を説明する部分があることは明白なのに、涙ばかりでそこを見ようとしない、実に愚かしい行動に自分自身を拒絶してしまいそうになる。
 けれど、そこで拒絶しても何も変わらないのだ。それこそ、ただ無限の時間を繰り返すばかりで、瑠璃の言うように「永遠」に先にも進めず、戻ることもできない。

 この先に進むために必要なのは、本気で心に向き合うこと。
 僕はそれを腹に括り付け、瑠璃の表情をしっかりと見て、自分が見てきたことを詳細に伝えた。到底、人に語ることのできないようなことであるが、そんな内容を一つ一つ語ることで、自分の気持ちにより向き合えるような気がしたのだ。
 その気持を察してくれるように、瑠璃は一切の否定も、言葉を差し込むこともなく最後まで聞き取ってくれた。

 粗方すべての言葉を聞いてくれた瑠璃は、僕の人生のことを憂うように僕の頬を静かに撫でひときわ優しい言葉で「君がしたことはたしかに悪いことだ」と口火を切る。

「悪いこと……だけど、君は絶対に対面したくないものと今、対面しているんだ。それは誰からも責められることではないし、誇っていい。数多の死に対面してきたからこそよく分かる。君が自分のことを向き合えば向き合うほどに、この世界は応えてくれるはずだ」

 瑠璃の言葉が言い終わるのとともに、今度は視界が小刻みに揺れ始める。
 同時に、鼓膜は水でも張ったかのように鈍く音を頭に響かせ、それが音響の歪んだアラベスク第1番であることに気がつくまで相当の時間を要させた。その音に釣られて、音の方向を見てみると今までと同様に、オルゴールを回す怪物が生物とは思えない動きを浮かべながら出現する。

 しかし、それに対して強烈な違和感に駆られていた。先程まで見てきた者と、少し違う。
 どういうわけか、その者の皮膚は先程のように引っ剥がされたわけでもなく、継ぎ接ぎであるが人間としての体裁を保っているような外見であり、見たところ「全裸の男性」のように見えた。
 先程まで「異形の怪物」にしか見えなかったものが、どういうわけか「全裸の男性」に見えるようになった。

 これがどのようなことを指し示しているかは分からないが、より存在が現実味を帯びたことで不気味さは倍増しているのは確かで、見るだけで足元が竦む。
 しかし、精神的な僕の異変に対して、隣りにいた瑠璃の表情は恐ろしいほどに歪んでいた。恐怖などではない。それはとんでもない痛みを感じている表情であり、頭を強く押さえつけて苦しそうにしている。

「瑠璃……? どうしたの?」
 思わず飛び出た声に、瑠璃は大きくかぶり振る。どうやらオルゴールの音が強烈な不協和音になっているようで、声をかけるだけで更に苦悶の表情に形相を変える。
 そんな状況ではあるが、瑠璃は必死にこちらに声をかけ、辛うじて「真実を見つけろ!」という言葉のみ聞き取ることができた。

 更に瑠璃が話しているのだが、次第にオルゴールの音が大きくなっていき、その度に瑠璃は頭を大きく抱える。しかも、その音に習うように、部屋の前方に位置するハニカム構造の透明のオブジェが倒れてしまい、ガラス状のなにかが室内に散乱する。

 同時に、そのオブジェの裏側には自分がかろうじて入れるほどの小さな扉があり、瑠璃はそこに向かって指を指し、命を振り絞るように言い放った。

「君には見えるはずだ! 扉に入れ!」

 瑠璃の言葉に従って扉へとかけだすと、今度はオルゴールの音色が凄まじい勢いで本当の旋律へと変化していき、最終的に美しいアラベスク第1番の音色が生じ始める。

 僕はその音色の変化を感じながら、同時に抱いた恐怖から逃れるように扉へと駆け出した。

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