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創作の独り言 小説と物語

「創作の独り言」について

 早速ですが、この記事より「創作の独り言」というシリーズを始めたいと思います。後にマガジンにまとめたいとは思いますが、根本的になぜこのシリーズが生まれたのかというと・・・

 率直に公募作品に取り組む時間が取れないこと!

 小規模な作品を展開できるnoteはとても魅力的ではあるのですが、毎日毎日「連続投稿です!」などという甘言を囁かれ続ければ、是が非でもこれを続けたいと思うのが人の心……そんなことを思ってつらつらと60日を超えているわけですが、私が目標とする365日までは果てしなき旅路です。
 そんな中、noteの記事を書いて、公募作品を書いて、趣味のものを書いて……なんてやっていったら本当に時間が足りませんでした。

 現状、私は公募作品を想定した物語を3つ抱えているのですが、2つ未完成であり、これが終わらない限りには先に進みたくないというのが本音です。しかもうち一つは半分ほどの書き直しが決定している上、すべて10万を超える長編ばかりなので、noteの連続投稿を決めつつ、すべての公募作品を書ききることが時間的に不可能になっていました。

 そこで、この「創作の独り言」は、スマホでも簡単に作ることができるということをコンセプトに作りました。
 具体的にこれでは何をするかというと、「特に根拠とかないけど、創作についてなんとなくこんなことを思ってる」という、一言でいうと少し長いツイートに近いものです。

 そもそも仕事や家事を抱えて、実際に創作に当てる事のできる時間が少ないことも相まって、スキマ時間でnoteに取り組みたいのですが、どうやら連続的な思考が苦手なようで、時間があくとなんとなく書きたいことがずれてしまうのです。

 それを避けるために、「記事」ではなくて「長い独り言」くらいに思っていれば自分でもやりやすいだろうとしてこのシリーズをまったりゆったり進めていきたいと思います。
 モノローグ程度の記事すら浮かばない状況では基本的にこれを投稿して、連続投稿を繋いでいきたいと思います。

 前置きをこの程度に、早速本文に入りたいと思います。


「物語」と「小説」は何が違うのだろうか?

 よく思うことですが、私は「物語」と「小説」の違いを考えることがあります。漠然とした使われ方をしているこれらですが、実は調べてみると、以外に文学という学問の中で語られているような、複雑な体系を持っているそうです。

 それらについて調べればすぐに分かることですので、ここでは私が思っている2つの違いについて記述します。

 まず、それぞれの辞書的な意味を調べます。
 小説は定義など多くの記述された文章がありましたが、多く意味として紹介されていたのが「散文で構成された虚構の物語」というものが最も見られました。
 これはネット検索をかければわかることなのですが、実際に「これが小説である」と明確に定義することは現状できないとされています。

 ではここで現れた「物語」という言葉を調べましょう。
 「物語」という言葉は、goo辞書では下記のように述べられています。

”作者の見聞や想像をもとに、人物・事件について語る形式で叙述した散文の文学作品。”
「goo国語辞書 より引用」 https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%89%A9%E8%AA%9E/

 他にもいくつかの意味がありますが、今回の比較においてはこれが最も適切であると思います。
 さて、ここまで記事を読んだことがある人は、「物語」と「小説」には明確な区分があると知っている人がいてもおかしくないと思われます。下記のサイトでは面白い記述がありました。

 以前は、小説と物語の間には明確な区分があるとされてきたそうです。
 すなわち、「話の展開に内容から導かれる必然性があるもの」が小説で、「内容とは関わりなく偶然のつながりによって話を進めてゆく」のが物語ということだったようです。
 それがさらに発展して、「話の展開と主人公の具体的な性格に必然的な関わりがあるのが小説。そうでないのが物語。」とも言われるようになった時期もあるようです。
 「日本語マニア-物語と小説の違いって何?定義はどうなってるの? より引用」
https://jmania.net/story/

 なかなか興味深いものがありますね。なお、こちらのサイトでは最後に「現在は一概に分けることは難しい」とも書かれています。こちらのサイトもとても面白い話が書かれているので、ぜひご参照ください。

 さて、ここからは私が思う2つの違いです。私の場合は結構単純で、小説を「散文で作られた物語」としていて、物語を「特定の一部始を丁寧に描く頃」として分けています。

 非常に淡白ですね。いわば展開されるストーリーが「物語」であり、文章で描かれる世界が「小説」である。とすること。

 私達は実に多くの物語に遭遇しています。小説という媒体だけではなくて、例えばそれが絵になれば「漫画」、アニメーションになれば「アニメ」、誰かが演じたものになれば「ドラマ」や「映画」、他にも「ゲーム」などがありますね。

 どれも、物語を作るという上では共通していますが、これらは全く異なるという見解を示す方がほとんどでしょう。

 私が言いたいことはまさにここです。
 小説は文字という媒体の上に物語が乗っかっています。これを言えば、他も一様でしょう。アニメの上に乗っかっているストーリー、ゲームの上に乗っかっているドラマ性、どれも「物語」です。
 多くの人が創作をするこの時代、どの媒体を選び取るかは非常に重要であると同時に、それぞれで表現できるものは大きく異なっていることでしょう。

 とりわけ小説は取り組みやすい分類であると言えるでしょう。なにせ一人でも始めることができますし、使用するのは私達が日常的に使用している「言語」なのですから。

 けれど、だからこそに難しく、「小説」だからこそ表現できる「物語」を常に模索し続けなければならないわけです。中には、「小説」だからこそうまくいかない物語もあるでしょう。

 そこに込められる気持ちや感性は否定してはいけないと私は思います。なぜなら、物語に限らず、多くの創造によって作り出される産物は、「どれだけ人と違う視点であるか」が重要な要素になるからです。
 同じ視点でものを作っても、やっぱり「二番煎じ」にしかならないわけです。だからこそ、本流に乗るためには「違う自分を愛すること」が大切になるでしょう。

結論

 話が大きく変わった気がするのですが、「小説」と「物語」は、明確に違いとするよりも、どちらかというと連続的な要素があると判断するほうがいいかもしれませんね。

 主題から180度変わるところが実にこのシリーズっぽくて面白い話です。まさに大きな独り言。そんなことを思いながらも私はこれをしれっと投稿していくことでしょう。

 作ってみたら自分でも面白そうなのに、結局「独り言」で終わる、それがこのシリーズのコンセプトにしていきたいと思います。

 次回もこのような流れになるとは思いますが、ご覧いただける方が一人でも多ければ幸いです。



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