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イギリスの小学校(自己決定力)

50年前私はイギリスの公立小学校の2年生でした。担任の先生は、中年のベテラン先生でした。私の中に残っている先生は、落ち着いていて、感情的な態度を見せたことがありません。良いことも、悪いことも、言葉で伝えてくれます。悪い行いに対しては、ゆっくりと低い声で「no」と一言。眼鏡の奥から、目も一緒に「no」と言っているようでした。

そんな先生の下、生徒たちはみんな伸び伸び遊んだり学んだりしていました。なので一度だけ怒られたというほどではないのですが、注意されたことがあり、私の心に深く残りました。

それはバザーの時の出来事です。おもちゃ交換会のようなもので、家で使わなくなったおもちゃを持ち寄り、欲しいおもちゃを僅かなお金で買うという仕組みです。欧米では大人もよくやっています。家の前に不用品を並べ、通りがかりの人や近所の人が物色して買って行きます。

そのバザーの時、私は欲しいものが決められなかったのです。それまでも度々決められずに、「Mimmyはどれにするの?」と促されることがありました。イギリスの小学校は、自分で決めて、意思表示しなければならないことが多いのです。逆に全員一斉に同じことをやる時間は、ほとんどありません。音楽で歌を歌う時や理科でテレビを見る時くらい。いつも私はなかなか決められませんでした。

バザーの時も何を買ったらいいか決められずにいました。そんな私に先生は、今までの経緯もあってか少しきつめに、「決定できないのは良くない。自分で決めることは大切なこと。」と言われました。

たぶん私は”何が正解だろう?“と思いながら選んでいたのだと思う。正解なんて無い。自分の心がしたいこと、欲しいものを選ばなくちゃいけなかったのだ。だけどそんな習慣がなかった。ミセスファーズの言葉で、“自分で選ぼう!、選べるようになろう!“と強く心に決めました。

日本でも最近は、自己決定感を育てよう、という動きがあるようですが、50年前の日本では見当たりませんでしたね。みんな同じことを同じレベルでできることが良いこと、と考えられていたように思います。ですから、帰国後日本の小学校に入って、ほとんど何一つ選べないということが、私には苦痛でした。選べないということは、考えてはいけない、あるいは考えたことを受け入れてもらえない、ということです。考えることで”私らしさ“、個性が育つのではないでしょうか。

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