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そばにいるだけの存在

  • 登校はしたいけど、教室に入りづらい、入れない生徒が通う校内支援教室の相談員をしています。

「この教室に来た頃の先生の記憶がないんです。」

昨年5月からほぼ毎日中学校で顔を合わせている生徒からこんな事を言われた。

私は週4日、1日5時間この生徒と毎日顔を合わせていた。だから、「え?」っと初めは思った。確かに私はいたし、初めて話した言葉も覚えていたから。でも、後からじわじわと嬉しさというか達成感のようなものが感じられた。それは、どうしてかと言葉にするのは難しいけど、いつも生徒のそばにいて寄り添う存在になりたいと思っている私には、何かしてもらったと思われるより、記憶がないぐらい自然に風景のようにそこにいられたことが嬉しかった。特別な存在じゃなくていいのだ。

私がいた記憶がないという時期は、その生徒にとって人生最大とも言える悲しい出来事があった頃だった。教室に入れなくなり、私がいる別室に登校することになった。表情が暗く、俯きがちの生徒にあまり積極的に声をかけず、適度な距離感で接しようと思っていた。本人が話したいと思うまで普通に日常会話をしていこうと決めていた。なぜなら、悲しい辛い話ほど、誰かに話すことが難しいこともあるだろうと思ったからだ。それに、辛い体験をしたってそれにずっとそれに囚われているわけではなく、毎日頑張って日常を過ごしている生徒の姿を見て、今を支えてあげたいと思ったからだ。「おはよう、よく来たね、昨日は何したの?」そんな声かけをしていた。

毎日一緒に時間を過ごし、目の前にいるその子と交流をするうちに、別室登校になる前に何が起きたのか、何が辛かったのか、今どう思っているのかなど蓋が空いたように話してくれる時が訪れた。

「なんか先生には、色々話しちゃうんですよね。いつもにこにこしてるから。」

とある日言われた。何だかてれくさくて「何も魔法はかけてないよ」とふざけて答えてしまったけど、嬉しかった。今では、顔をあげて素敵な笑顔を見せてくれている。私が特別なトレーニングをしたわけでも、働きかけをしたわけでもなく、ただそばにいて「いつも見ているよ。そばにいるよ。」と気持ちを向けていただけで、その子は自分の力で少しずつ前を向けるようになったのだ。

「記憶がない・・」と言った後に、「他の大人に色々言われたんだけど、その時は、もう話したくない。何もわかってないよ。と思った。」と教えてくれた。なるほどと思った。私たち大人は、”なんとかしてあげたいとか、力になってあげたい”と思いがちだが、それは心に閉じ込めてただそばにいる存在になることが、本当の意味でのサポートなのではないだろうか。落ち込んでいても、何も話さなくても、泣いても、ネガティブなことを言っても、いつも変わらずそばにいて「そうか。そうか。」と話を聞いてくれる存在がいて、ありのままの自分を受け止めてもらえる場所があったら、子どもは自分の力で立ち上がって歩き出せるようになる。子どもは、弱い存在ではない。

まだ、辛い思いが波のように満ち引きすることもあるけど、成長し続ける姿をこれからも何気なくさりげなく見守っていこう。

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