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エッセイ:『ふたり』について

ㅤ赤川次郎の『ふたり』を読んだ。大林宣彦の映画版は何度か観ていて、前々から原作が気になっていたのだ。
ㅤ優等生の姉を事故で亡くした劣等生の妹は、ある日夜道で男に押し倒されると姉の声が聞こえ、手元にある石で男を殴りつける。
ㅤそれから姉の声と会話する日々が続く中で、母が精神を病んで入院したり、その最中で父が不倫したり、その相手が家へ乗り込んで来たり......一家の危機を姿なき姉と二人で乗り越えるというお話。
ㅤまず驚いたのは姉の描写。映画では幽霊として妹の横に立っているのが原作では姉の声のみが聞こえて、それと喋っている。
ㅤこれは中々怖い。映画では(映像というメディアの特性もあろうが)姉が視えるようになってしまった少女、というのが原作では自ら姉の声を作り出して、自作自演で姉と会話をしているような......これはかなり怖い。
ㅤいや、リアリズムであるとも言えようか。実際に、幼少時に強いショックを受けた子供にはそういったことが起こったりする。
ㅤ赤川次郎は文章が上手い。簡潔で、短いシーンを繋いでいるから兎に角読みやすい。
ㅤこれは編集の努力か彼の努力かしれないが、親友の「真子」の読み方は「まさこ」なのだが、主人公は彼女を「マコ」と呼ぶのでかなりややこしい。それを場面が変わる事に「真子」の漢字にひらがなで「まさこ」とルビを振る丁寧な心遣いに感動。読まれる文章は凄い。
ㅤ主人公が落としたラブレターの文章も上手い。「あなたが時折、学校の帰り道に私と出会って、私のことに気付いてくれた時は、息が止まりそうになります。友だちとおしゃべりしていて、私のことに全然気付かずに行ってしまわれると、その日一日__悲しくて口をきく気にもなれません。馬鹿みたいですね、本当に。でも、これが恋っていうものなんだと、私は実感しています」
ㅤ余りにも文章が背伸びした中学二年生、上手い。上手すぎる。キャラクターに喋らせるとはこういうことかと舌を巻く。
ㅤ残念なのが、落としたラブレターのことを学校で言いふらされる騒動を利用して、主人公が普通に男と付き合ってしまうこと。
ㅤ人は不快を取り除く為にアクションを起こすのであって、幸せじゃ大して何も起きないんだな。人の不幸は面白いものでしょう?ㅤましてや物語なんだから。
ㅤこの彼氏とのくだりは映画では親友の真子に上手く差し替えられていて、この真子も親が倒れたりと不幸を不幸で繋ぐから脚本の桂千穂は偉い。
ㅤクライマックス、父の不倫相手が乗り込んできて母との修羅場。会話で斬り合うのは小津安二郎の映画を観ているようで背筋が伸びる。
ㅤこの不倫の元を辿ると、娘の為にゴルフ接待を断った父が、そのせいで上司に嫌われ東京から北海道へ転勤。その先で風邪を引いて看病した部下とくっつく。
ㅤ悲劇として良くできているんだな、父が善人であるが故に家族が崩壊するという。誰しもが自分の合理性に則って生きているが故に......ボタンの掛け違いとはこのこと。
ㅤ福田恆存は「家族」そのものに意味は無く、ただ同じ空間で生活しているだけだと言った。ㅤこれは物語に触れているとよくわかる、恋愛は物理的な距離なんだな。精神の距離なんてものは無くて、あるのは身体の距離のみである。
ㅤだから本作のように、家族想いの父が不倫したりする。夫を事故で殺した相手と行く先々で何故か鉢合わせ、ついにくっついてしまう『乱れ雲』という成瀬の大傑作映画があるように。
ㅤ近所の図書館で児童向けの文庫版を借りて読んだのだが、市場に多く出回っている新潮文庫版のカバーがダサいんだ、これが。新装版出したら売れると思うんだけどな、勿体ない。

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