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トラウマができた日

今日の記事は辛くなる方も

いるかもしれませんので

辛いことが苦手な方は気をつけてください。


子供の頃のこと。


トラウマができた日。

私が6歳で小学1年生。

10月ころのある日の1時間。


その日学校から出された宿題を

夜8時ころから始めた。


算数の引き算。

全然わからなくて母親が教えてくれていた記憶がある。


あまりにもわからなすぎて勉強の途中から母親がキレ出したと

記憶している。



私が覚えてるその時の様子。



「何度言ったらわかるんだ、このボンクラ!!」

「だから、こうだって言ってるだろ!!」

「なんでこんなこともわからないんだ!」



何度も頭を叩かれ、「叱る」ではなく

母親自身が持ってるアダルトチルドレンの「強烈な怒り」

で強く何度も罵倒された。

(母親も間違いなくアダルトチルドレン)


その時の情景は涙でいっぱいでしたが

鮮明に覚えています。

次女のはみがきをしながら怒りを爆発させる、

生まれて間もない三女のお世話をしたり。

置いてあったミルク缶や

算数を教える時に使っていた薄い茶色の木のサイコロや

サイコロのケースが水色だったこと。

茶の間の照明の明るさなど。



その時に私が強く感じた思いは、


「自分が悪いんだ」

「親が怒ってるのは自分のせいだ」

「お母さんをここまで怒らせる自分はここにいては

いけない存在だ」

「ごめんなさい」

「勉強のできない自分はダメな人間だ」

「生きてちゃいけなかった」

「ここに生まれては迷惑だった」

「ママが大好きだから、ママを笑顔にしてあげたいのに、できない。悔しい」


強い自己否定と劣等感と罪悪感。


ただ、泣きながら感じることしかできなかった。




たった1時間、されど1時間。

私にとってとても長く感じる時間で、

トラウマとなった日の

出来事。


この1時間で、

「私は生きていてはいけない」

「私は生きるに価値のない人間だ」

「早く消えてしまいたい」

「本当にごめんなさい」


という強い自己否定と罪悪感が出来上がりました。


その後コーチングとあることをする日まで

ずっと囚われ続け、

何をするにもこの出来事が私の行動にストップをかけたり

どうせできない、と罵ってきたり。


体育座りして顔を埋めている小さな自分と

生きてきました。


何をするのでもこの1時間で

出来上がった自分の価値をベースに生きてきたので

本当に生きづらかった。

何かしようとしても不機嫌な表情の母親が仁王立ち立ちで
見張っているような気がして、

いつ責められるかわからない。

いつも、ダメなことが起こるような選択ばかりした。

不幸になる恋愛ばかり選んだ。

辛かった。でも、怖くて暗くて狭い牢獄から出ることも

出る勇気もなかった。



大人になっても、私の心を母親が支配してた。

支配されてると思ってた。

支配から出ることは許してもらえないことだと思ってた。

私が幸せになると悲しむし、嫉妬するから。

母親を悲しませたくない。




この後、9時頃父親が帰宅して、

まだやってるのか。

早く寝なさい。


と言って解放されました。


この時はまだ、父親は味方だと思っていました。




これをブログに書くか、ものすごく悩みました。

1年くらい悩みました。


読んだ人が苦しくなったり辛くなって欲しくないと思っていました。

でも、もしも同じようにトラウマになってる人、

同じことをしてしまって後悔してる人がいたら

知って欲しいとも思いました。



私はこのトラウマについて既に

強い怒り、悲しみ、愛して欲しかった、大切にして欲しかった、

見捨てられ不安などの気持ちや記憶はあるけど克服しています。



記憶が消えたわけではないですが、(記憶は消えません)

蘇っても、大変だったな、よく乗り越えたな、

あの時自殺しなくてよかったな、

今、生きてる自分てすごいなと自分で自分を褒めてます😊


そして、今はこの時の強い怒りを

自分の「生きる」「子供を愛する」

「やりたいこと」を実現するときの

チカラに変えています。✨✨




最後まで読んでくださった方、

ありがとうございます✨



35年の自己否定や生きづらさを克服。自分と向き合い5年。克服後は自分のやりたかった事を120%叶える人生に変化。サポートしていただけたら、自分らしく前に進める女性を増やす活動に使わせていただきます。