隠し通した2年間。前編
こんばんは。
今日は朝から偏頭痛で、お昼は主人と子供がマクドナルドのドライブスルーで買ってきてくれました。めんたいチーズのチキンタツタがおいしかったです♪
ちなみに、息子はハンバーガーが食べられないので、いつもハッピーセットのナゲットセットです。でも、最近は5個だけじゃ足りないので・・・
いつも大人用と息子の予備を兼ねて15ピースパックも購入しています。
今夜は、家族の話を書かせていただこうと思います。
わが家は大家族です
私は現在、自分の実家で主人と息子2人と、実父・実母・父方の祖母と暮らしています。ただ、祖母は認知症が進んでいて現在は施設に入ったり家に戻って来たりの繰り返しです。
さて。長男の障がいが分かった時に最大の問題は同居していた私の祖父母でした。子供たちにとっては、曾祖父・曾祖母になります。
2人とも言い方が悪いかもしれませんが、とてもプライドが高く、その時代を生きてこられた方なので、国籍や同和問題に対してとても偏見を持っている人たちでした。
私の通った小学校・中学校・高校は、そういう問題についてしっかり教えられる教育方針で、その方たちがどんな環境で今まで生きてこられたかを聞かされてきました。なので、一緒にニュースを見てたり特集番組を見ると聞かされる差別的な発言が、とにかく嫌いで、そういう所はとても軽蔑していました。
私が主人と結婚したいと思っていると伝えた時も、学歴から国籍から何から何までを確認され、嫌悪感しかなく、憤りを感じました。
そんな祖父母が、障がいに対して寛容なはずもなく。
実際、知り合いの子供さんに知的遅滞があると分かったら、面白おかしく偏見の目で話していた姿を見ていたので、
「あなたのひ孫、自閉症と知的遅滞があります。」と言う勇気がありませんでした。
バレてはいけない日々でした。
私の両親も父方の叔母も、長男の事を話した時にはビックリはしたものの、温かく受け止めてくれました。それは、主人のお義母さんたちも一緒でした。ただ、問題は祖父母のことでした。母も父も叔母も口を揃えて「とにかく黙っておこう」と言いました。祖父母にとって、長男も次男も隔たりなく「かわいいひ孫」であって欲しいと思ったからです。
それには、私も主人も同じ考えでした。
しかし、それからが大変でした。
絶対音感に近いものを持っていた祖父は、高齢で耳が遠くなっていても、長男が突然あげるキーキー声や叫び声をとにかく嫌がり、よく怒鳴られました。
さらに、長男が電気のスイッチに興味を持ち、何度も何度も付けたり消したりする事にも怒られ、「何回言っても分からない子」とよく言われ、
幼稚園に入ってもなかなかオムツが取れない事に、祖母は「まだオムツはいてるのか!?」と、トイレに行くたびに呆れられていました。
それは、長男に対しても窮屈な思いをさせていたと思います。
私が祖父母からの視線を敏感に感じすぎて、長男に「あれもダメ!これもダメ!」と神経質なくらいにピリピリ接していたからです。
この家に住んでいなかったら、もっとのびのび育てられたのに。
いっそのこと、カミングアウトした方がいいのではないか。
どうすることが1番良かったのか。何度も考えました。
そんなにしんどかったら、さっさと家を出ていけば良いじゃないか。
そんな風に思われる方もたくさんおられると思います。
でも、その頃祖母の認知症が出始め、母が精神的に参り始めていた頃でした。だから「に~げたっっっ!!」なんて選択肢は私にはありませんでした。
少し長くなってしまったので、この続きは次回書かせていただきます。
今夜もありがとうございました。
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