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おはようございます!
Webライターの旭コータローです。

久しぶりのnote更新になります。
今月は本当にいろいろありましたが、ようやく仕事的にも気持ち的にも落ち着いてきたので、書こうと思います。

テーマは、理念である「タイヨウ・ライティング」についてです。

今日からさまざまな角度で「タイヨウ・ライティング」について書いていこうかと。

今日は僕が昔、「タイヨウ」という理念を掲げて失敗したときの話をします。



ときはさかのぼり、2016年4月。

リクルートスーツに身を包み、やる気に満ち溢れているひとりの男がいました。

その男こそ、のちにフリーランスのWebライターになる”旭コータロー”だったのです。

彼は、自分の理想を体現できると思い、東京にあるベンチャー企業に内定したのでした。

人当たりが良いと言われることと、笑顔を武器に営業職で入社。

同期は全員で16人いました。

創業したて、法人二期目にしては、大量採用だったと思います。

そこで、彼同期の中でも印象に残るように、内定者時代から、とあるキャッチコピーを掲げていました。

それが、「”太陽のように明るい”晃太郎(←本名)」だったのです。

同僚にも、上司にも先輩にもみんなこのコピーを自己紹介で言っていました。

自分の笑顔で子どもたちの笑顔を輝かせたいと本気で願って。

まったく実力もないのに、営業職に飛び込んでいったのです。

「ここから俺の人生は始まる!」

そう思いながら、彼はやる気に満ち溢れていました。

しかし、それは長くは続きませんでした。



入社して一ヶ月が経った頃でしょうか。

同期が次々と結果を出し始める中で、彼はいまだに何の結果も出せていませんでした。

営業はToCで、一軒一軒決められた家のピンポンを押す飛び込み営業です。

玄関周りにある自転車やらお砂場セットやらでターゲットの子どもがいるかどうかを判断して、ピンポンします。

※塾の営業で、ターゲットは小・中学生でした。

当然、二期目の会社なので知名度もリストもゼロ。

すべて体当たりでいかなければなりません。

で、もう結論だけ言うんですが、どうがんばっても売れなかったんです。

しかも、仕事をしているのは東京という未開の地。

  • 初めての独り暮らし

  • 友達や友人は皆無

  • 料理できないので、全部ごはんはコンビニ弁当

  • 隣に住んでいる会社の先輩の部屋の壁が薄くていろんな音が聞こえる

  • 大阪弁と会話のリズムが違う

結論、病みました。(笑)

なので、太陽のように明るくなれなくなってしまったんです。

結局仕事は3ヶ月で辞めてしまい、大阪に帰ることになりました。

それからでしょうか。

彼は「太陽」というキーワードを使うことが怖くてずっと避けていたんです。

なぜなら、一回失敗したから。

もう失敗したくなかったから。

でも、その後いろいろあり、ライターになってからやっぱり自分の理念って「太陽だよな」と思いました。

どれだけ隠そうとして、蓋をしても、自分の魂には嘘はつけなかったんです。

この理念を掲げたおかげで、大変なことも多いですが、やっぱりこの理念はずっと持ち続けて生きていきたいと強く思った次第です。

というわけで、今回は以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!

旭コータローでした!

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