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スマブラステージ【AD.1976.ワンボードマイコン】

1970年代後半のマイコン(マイクロコンピュータ)のスマブラステージです。
 ワンボードマイコンは、むき出しの一枚の基板に最低限の電子部品を取り付けたコンピュータ(電子計算機)です。
 キーボードで簡単なプログラムを入力すると、7セグメントLEDに計算結果を数字で表示できる機械でした。

7セグLED
キーボード

 現在のコンピュータと比べ、ほとんどできることが無かったものの、1940~60年代のコンピュータは、研究室や国家機関、大企業が保有する極めて高価でサイズも大きい公的な機械だったので、10~20万円程度の値段で買えて、個人が所有するコンピュータのワンボードマイコンは革命的と言える存在でした。


このような形のコンピュータが出来上がるまでに、様々な発明を経由しています。

・コンピュータ

 英語のcomputerは、元は計算する作業者を指す言葉でした。

 古代から、面倒な計算をスムーズにするための計算器は存在し、紀元前24世紀頃のメソポタミアには、現在のそろばんの原型と見られるアバカスが使われていました。
 近世に入った17世紀には、歯車を組み合わせて、数値を入力すると計算結果が表示される機械仕掛けの計算機が作られます。

 そして、計算機は現在に至るまで、汎用化、高速化(電子化)、低価格化、省スペース化、大容量化等が行われてきました。

・汎用化への挑戦

 歯車式の計算機は、計算式に応じて歯車の機構を作るので、苦労して複雑な計算機を作っても、一つの用途でしか使えない物でした。
 やがて、歯車の配列をクラッチで変えることで、複数の用途に使える計算機が作られるようになり、1830~1870年頃にイギリスのチャールズ・バベッジは膨大な歯車を組み換えて、あらゆる計算ができる巨大計算機「解析機関」を作ろうとしました。長さ30m、幅10mもの巨大な装置が構想されましたが、資金が足りずに完成はしませんでした。

・パンチカード

 解析機関では、パンチカードを使って計算式を入力する予定でした。
 パンチカードは、厚紙に複数の穴をあけて、穴のパターンで情報を記録する、最初期の記録メディアです。

 1801年にフランスの発明家ジャカールは、織物に複雑な模様を編込む仕事を自動化するために、長い厚紙に穴を開けて、紙の穴のパターンに沿って模様を織る、ジャカード織機を作成しました。
 ジャカード織機は、使う紙を変えることで、異なるパターンの編み方が可能で、計算機(コンピュータ)にプログラムを入力して指示を与える、プログラミングの発想の元になったと言われています。

 1890年頃にアメリカのハーマン・ホレリスが国勢調査の集計を簡略化するために、回答結果をパンチカードに記録して、機械で読み込むタビュレーティングマシン(作表機)を開発し、集計作業の飛躍的な高速化に成功します。
 パンチカードによる集計は、紙に穴が開いているか、閉じているかのデジタルデータ(2進数)として情報を保存するノウハウを蓄積させ、電子回路で作られた電子計算機(コンピュータ)のデータ処理につながりました。

・電子計算機の誕生

 大型の機械計算機は、膨大な歯車を動かす都合で、壊れやすく、歯車の速度の限界によって、計算速度に限界がありました。
 1937年にアメリカの工学者クロード・シャノンが、デジタルデータ(2進数)の計算を電気回路で行うことができると論文で発表し、歯車を電気回路に置き換えることで、計算機をより高速化する試みが始まります。(電気回路はさらに高速の処理ができる電子式回路に置き換わりました)

 1940年代に、電子計算機(コンピュータ)が各地で開発されます。1947年にアメリカ陸軍が弾道計算を目的に製作したENIACは、幅24メートル、高さ2.5メートル、奥行き0.9メートル、総重量30トンの巨大な電子計算機で、コードの配線を組み替えることで、実行する計算式を変更できました。

 ENIACでは、実行する計算式(プログラム)を変えるのに数日がかりで配線を組み替える必要があり、非常に手間がかかるものでした。
 そこで、計算する内容(プログラム)を電気信号としてコンピュータに記録させて、書き換えられるプログラム内蔵方式のコンピュータが構想され、プログラムを電子データにして記録できる装置(水銀遅延線、ウィリアムス管など)の発明で、1948年に実現しました。

 コンピュータによる計算結果は、紙に印刷されたり、パンチカードに穴を開けるなどの形で出力されていましたが、1950年代末からオシロスコープやブラウン管などで、画像を出力する装置(ディスプレイ)が使われ始めました。

・コンピュータの小型化

 1950〜70年代の冷戦時代、戦闘航空機、誘導弾(ミサイル)、宇宙船や人工衛星の開発が活発になり、航空機にコンピュータを搭載し、リアルタイムで軌道を計算することが待望されていましたが、重量数十トンで部屋を埋め尽くすサイズのコンピュータではもちろん搭載できないため、各国はコンピュータの小型化に力を注ぎました。

 1940年代後半から50年代前半のコンピュータは、真空管を使って回路の電圧を一定に保っていましたが、真空管は、サイズが大きく、消費電力が大きく、冷却が必要で、壊れやすい部品で、先述したENIACでは17468本もの真空管が使われていて、故障の多発に難儀していました。

 1947年頃に発明された半導体素子のトランジスタが、1950年代後半に真空管の代わりに使えるようになると、コンピュータは故障しにくくなり、大幅な小型化、低電力化に成功します。
 
 電子回路の小型化は進み、1961年に集積回路(IC)が実現し、数cm四方のチップ一枚に回路を格納できるようになりました。

集積回路

・マイコンからパーソナルコンピュータへ

 集積回路の発展によって、かつて部屋を埋め尽くすサイズだった計算装置がチップ1枚に収まるようになり、サイズの小さいマイクロコンピュータが作れるようになります。さらに、大量に生産されたことで値段も下がり、冒頭で述べたように、ワンボードマイコンのような個人で使用するパーソナルコンピュータの販売が実現します。1974年に発売されたAltair8800が最初のパーソナルコンピュータと言われています。

 ワンボードマイコンでも、モニターに繋いで結果を画面に出力できるものがありましたが、1977年にはディスプレイ、キーボード、記録装置を内蔵して、部品を足して機能を拡張できるパソコン、Apple II、PET 2001、TRS-80等が発売され、現在のパソコンの原型が出来上がり、以降コンピュータは爆発的に普及していくことになりました。



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