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スマブラステージ【AD.1912.飛行船】

 飛行船は空気より軽いガスをつめた風船の浮力を用いた航空機です。

・人類の飛行への挑戦

 人類は古代から空を飛ぶ方法を模索していて、15世紀のレオナルド・ダヴィンチも飛行機を熱心に研究していましたが、実現させることはできませんでした。

 その後、気体を温めると膨張して密度が低下し軽くなることを利用した熱気球が考案され、1783年にフランスのモンゴルフィエ兄弟が人を乗せた熱気球を飛ばすことに成功、これがおそらく世界初の有人飛行だと考えられています。気球は910mほど上昇し、飛行時間25分、飛行距離は9kmでした。

 同時期に気体の中でも重量が軽い水素ガスやヘリウムガスを袋に詰めることで浮力を得るガス気球が開発され、ジャック・シャルルが水素気球を1783年に有人飛行を成功させました。高度は550m、飛行距離2時間5分、飛行距離は36km、モンゴルフィエ兄弟の熱気球の有人飛行の10日後のことでした。

 気球は風向きに合わせて動くので操縦できないものでしたが、1852年にアンリ・ジファールが蒸気機関のプロペラでガス気球を動かす飛行船を作り、史上初の動力飛行を実現しました。
 ブラジル出身のサントス・デュモンは自由に舵をとれる飛行船を完成させ、1901年にエッフェル塔を周回し、パリは熱狂に包まれます。気球や飛行船を飛ばすショーは、墜落事故で多くの死人を出しつつも、見物人からは大変な人気を集めました。

 同時期に翼を用いた飛行機の研究も進み、19世紀後半に翼に発生する揚力の研究が進み、1853年にジョージ・ケイリーがグライダーの有人飛行実験を成功させます。
(揚力についてはこちらをご覧ください↓)

1903年にはライト兄弟がライトフライヤー号で有人飛行実験を成功させ、初めての「人が操縦可能で、動力付きの、着陸できる飛行機」が誕生しました。この時の最高記録は飛行時間59秒、飛行距離約259.6メートルでした。

・飛行船の発展と黄金期


 ガス袋を固い素材で補強することで飛行船はある程度頑丈になり、1900~1906年にドイツのツェッペリン伯爵がアルミ合金で作った骨組みに複数の風船を搭載した硬式飛行船(ツェッペリン)を完成させました。


 硬式飛行船は複数の風船を持つので一部を損傷しても飛行が可能で、機体が頑丈になったことで高速化と大型化が可能となりました。1909年に民間飛行船会社の「ドイツ飛行船運輸会社」が作られ、始めは遊覧飛行、1911年には空港間を飛行をできるようになり、ついに航空機による輸送業、旅客業が実現しました。

 硬式飛行船はドイツ軍に正式に採用されて偵察や爆撃に用いられることになります。1914年からはじまった第一次世界大戦において、飛行船は都市の爆撃に用いられます。1915年にイギリス(ブリテン島)への爆撃が始まり、当時のイギリスは空からの攻撃に対して全く対抗手段がなく、1916年にはロンドンも爆撃され、ロンドン市民を恐怖のどん底に陥れました。

・飛行船の落日

 軍事利用された飛行船は、登場した頃は地上に大きな恐怖を与えましたが、飛行船からの爆撃は命中精度が低い大雑把な攻撃しかできないものでした。
 さらに、第一次大戦の間に対空砲が改良され、固定翼の戦闘機の性能が高くなると、サイズが大きくて動きが鈍い飛行船は簡単に撃墜できるようになります。
 また、金属を使い頑丈になった飛行船も悪天候、特に強風に弱く、作戦中に遭難や墜落事故を起こす飛行船も多くありました。

 大戦後、固定翼機が改良され性能が上がるなか、1937年に大型飛行船ヒンデンブルク号が爆発事故を起こし、ガスを用いた飛行船の安全性に疑問が持たれます。その後、軍事、民間の両方で固定翼機が主流となり、人類の夢を実現した飛行船の黄金時代は幕を下ろすことになりました。

このスマブラステージでは背景のサーチライトが動くギミックを持っています。

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