タカコ1000

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コラムとやらを書いてみた。

私が、ヤクルトスワローズが好きな理由のひとつ、それは親近感である。 間借りする神宮球場はよくも悪くも趣深く、まるで親戚のあんちゃんの応援にやってきたような距離感で選手を応援することができる。 かつてスワローズには、名物ワンマンオーナーがいた。 松園尚己氏。 巨人に勝たなくていい、ファンがヤクルト買ってくれなくなる。という発言(当時は巨人一強時代)で有名だが、それよりも大好きな名言がある。 選手は家族。 時を経て、SNS上で、監督、選手、球団を全肯定し、おめでたい発言をする人々

    • コラムとやらを書いてみた。

      ここ近年の山田が気になる。 山田といえば、山田太一でも山田邦子でもなく、山田哲人である。 山田は山田なのだ。 昭和の小学生だった私は、スポーツ選手は原でも清原でもすべて苗字呼び。 ゆとり世代にとって、呼びつけはいいイメージがないのかも知れないけれど、私はスポーツ選手は苗字で呼ばれてなんぼだと思っている。 当然そこにリスペクトはある。 長嶋ときいて、長島スパーランドを思い出す人もいるかもしれないが、ほとんどの人はあの長嶋茂雄なのだ。落合といえば、落合陽一ではない。 私は、山田哲

      • 苦悩する我らの4番へ

        歓声を 背中に背負う 若武者の うつむく影を ここまで飛ばせ #推し短歌

        • コラムとやらを書いてみた。

          先日、某タレントさんの発言をヤフーニュースで見た。 スポーツをただ応援しているだけの人が、自分が何か成し遂げたわけでもないくせに、どうして(自分のことのように)喜んだりできるのか。理解に苦しむ。 実に興味深い質問だなと思った。 彼女の発言の意図がどこにあったのかはわからないが、裏読みすれば、人の人生の一部に乗っかって騒いでるだけじゃないか。あんたらの手がらじゃないだろ。という感じなんだろうか。  私は、スポーツ観戦が好きだし、代表戦などはジャンルを問わず、なんでも応援。TV

        コラムとやらを書いてみた。

          コラムとやらを書いてみた。

          昭和の後期、小学生だった私にとって、プロ野球は世代を超えた娯楽だった。夏の蚊取線香の匂いと父親の怒鳴り声。確かにそこに、野球があった。 そしてあっという間に月日はたち、国内、海外問わずいろいろなスポーツが、いつでも、どこでも、誰でも、手軽に、見られる時代へ。  私は、1993年Jリーグ元年に、まったくプロサッカーというものに興味が持てず、武田修宏の髪型やラモスの裸足にローファーがなぜにおしゃれなのかわからずにいた。野球はダサくて、サッカーはナウい。そうゆう時代が確かにあった

          コラムとやらを書いてみた。