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コラムとやらを書いてみた。

昭和の後期、小学生だった私にとって、プロ野球は世代を超えた娯楽だった。夏の蚊取線香の匂いと父親の怒鳴り声。確かにそこに、野球があった。
そしてあっという間に月日はたち、国内、海外問わずいろいろなスポーツが、いつでも、どこでも、誰でも、手軽に、見られる時代へ。

 私は、1993年Jリーグ元年に、まったくプロサッカーというものに興味が持てず、武田修宏の髪型やラモスの裸足にローファーがなぜにおしゃれなのかわからずにいた。野球はダサくて、サッカーはナウい。そうゆう時代が確かにあった。そりゃ、金のネックレスよりティファニーのオープンハートがいいに決まってる。
 2002年、日韓ワールドカップで御多分に漏れず、誰かを応援し、喜びを分かち合うという楽しさに目覚めた。顔にペイントなんぞして、♪オ~レオレオレジャポネ~と声を張り上げた。サッカーのスピード感ある試合にすっかり慣れてしまった。そして野球は、いつでもそこにあるもの、そのはずだった。
 2020年、年明け間もなく、世の中の生活スタイルがすべて変わった。スポーツをはじめ、娯楽というものが一気に消滅。大好きな旅行もできず、演劇、コンサート、イベント、人との会食さえも制限された。
やることがない閉塞感の中で、YOUTUBEばかり見ていた。そんな中、出会ってしまったんだ。運命の出会い。
      東京ヤクルトスワローズ公式マスコット、つば九郎
 各球団にマスコットがいることは知っていたけれど、正直、子供の頃からサンリオなどを見てもかわいい!と思う感性が欠落していたようで、興味はまったくなかった。
でも、なにかが違うぞ、これは…。
九郎って名前がまたいい。令和のキラキラネーム?そんなものとは無縁だ。
そこから、ありとあらゆるつば九郎関連の動画を見た。ブログも読み漁った。久しぶりにスワローズについても勉強した。我ながらすごい集中力だ。
そして、気が付けば、神宮球場に足が向いていく。
 何十年かぶりの神宮は昔のままだった。まさしく、雨上がりの土の匂いがする昭和がそこにあった。そして湿った空気の中、フォルム、色合い、表情すべてに完璧な物体が、ポツンとたたずんでいた。
思ったよりでかいな。それが第一声。
つば九郎というマスコットは子供向けなんかじゃない。今までの概念を取り外し、そもそもかつて子供だった大人を対象にしている。子供はその愛らしいフォルムと表情に騙されているにすぎないんだ。
          『小学三年生のおっさん』
 つば九郎の魅力を要約するとこれにつきる。小学三年生は素直だ。デブに、恰幅がいいですねとは言わない。分別もつくけれど、自我も強い。まさにギャングエイジ。
そしておっさん。おっさんは本来、心やさしい。人の痛みがわかる世代。自虐と皮肉で場をなごませ、ときおり本音をにじませる。
こんなんだけど、いい人なんだよねぇ~。これが一番強い。
ファンは質問に返り討ちをくらっても、触ろうとして殴られても、みんな笑顔。笑顔、笑顔、笑顔なのだ。
たかが球団マスコットに一喜一憂する姿は、他者からみれば滑稽だろう。
社会的立場もある大人がキャラクターの入ったアパレルを恥ずかしげもなく身に着け、あれやこれやと大人買い。ピカチュウやドラえもんにはできない荒業だ。かわいいだけじゃないんだよとグッズにプリントされたつば九郎がほくそ笑む。
そしてある時、気がついた。
この時代、生き抜くための大事なことは、つば九郎的処世術。
  いつでも明るく、元気よく、機嫌よく、人を励まし、本音で生きる。
 残念ながら、今年、チームは悲願の三連覇を掲げながらも、安定の最下位争いに転じている。それでも、つば九郎は今日も元気だ。観客席を見ればいつもと同じ笑顔のファン。スター選手に手を振り、つば九郎にツッコミを入れ、ビールが半額だと喜んでいる。遺産となりつつある都会の球場で、父親が下着で歩き回る居間から聞こえたあの日のナイターが、そこにはある。
ノスタルジーがある。それだけで十分な2023年の夏。

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