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帯同生活【@上海】振り返り②:隔離期間

 前回の続き

 私が上海に行った頃は、中国では入国後7日+3日のホテルでの隔離が必要だった。

 まず、飛行機を降りるとPCR検査、その後空港内を長い事移動しながら、途中QRコードを読み込んで個人情報を入力したりするゾーン(どういう名目だったかわからないけどやらないと通れない)を通って預けた荷物を受け取り、滞在先ごとにわけられた場所で待機。その後バスに乗って隔離先のホテルに向かう。

 むかし台湾に旅行に行った経験から、英語が通じるかと思っていたが、ほとんど通じなかった。ただ、運のいいことに入国審査の係員さんだけは英語が喋れた。ここが一番会話があったので(と言っても4,5回の往復だったけど)本当に助かった。

 ホテルへ向かうバスの中では、防護服を来た係の人からの点呼があった。印象に残っているのは、カタコトの日本読みで名前を読んでくれたこと。そうじゃなかったら、多分呼ばれていることに気が付かなかったと思う。自分の名前の読み方くらいはわかるけど自信がなかった。
 バスは何箇所かホテルの前に泊まり、点呼された人が荷物を持って降りるを繰り返した。私は多分、2,3番目のホテルで降ろされた。

 到着したホテルは、後で調べると上海ディズニーランドの近くで、中クラスのリゾートホテルだった。もちろん通常営業なんてしていないので、エントランスは荷物が積まれて廃墟のようだった。一緒に降ろされた人たちといっしょに手続きをした。
 ちなみに半分以上が日本人で、戸惑っている人が多かったけれど、日本語の話せる中国人の方がいて助けてくれた。あと、日本人の男性2人と知り合い、WeChatの友達になった。この2人とは隔離生活中にチャット上で手続きやスケジュールなどについて話すことができた。
 手続きが済むと、トイレットペーパーや歯ブラシなどが入ったビニル袋を渡されて部屋に案内された。

 聞いたところによると、都心の一流ホテルに当たる人もいるらしく(妻はヒルトンだったか有名なところだったらしい)、ハズレだねと言われたが、部屋は広く、ダブルベッドが2つ置いてあって(1つは布団やマットレスが撤去されていた)私には十分快適だった。水回りも悪くなかった。10日程度缶詰になるにはなんの問題もなかった。そういえば冷蔵庫がなかった。
 もちろんシーツやタオルの交換はないけど、正直一人暮らしをしているときもそんなにこまめに替えていたわけではないので気にならなかった。

 ホテルに入ってからは、1日3回の食事と、2,3日に一回PCR検査があった。食事は戸の横に置いた椅子の上に置かれ、置いた合図に戸がノックされる。PCR検査は係の人が2人一組で回ってくる。

隔離中の生活

 特にすることはないので、中国語学習の動画を見たり、本を読んで過ごした。飽きたら寝た。運動不足が気になったので、筋トレもした。
 隣室からはたまに音楽が流れてきていて、ああ、他にも人がいるんだなぁと思った。
 あと、たまに窓の外を羨ましそうに眺める「閉じ込められた人ごっこ」をやったりもしていた。

 ちなみにお酒と煙草はNGだった。私は吸わないので全然よかったけど、喫煙者はきつかっただろうなと思う。

恐怖の電話

 受付時にフロント(?)にはWeChatのアカウントを登録していたのだが、連絡が内線電話でかかってくることがあった。対面でさえ十分にコミュニケーションができないのに、電話越しでは何を言っているのかよくわからない。
 「わかんないですぅ……」感を出していたら「わかったわかった」みたいな感じでよしなに切ってくれるので、チャットで問い合わせるを繰り返した。もう少しリスニングをやっておくべきだったと思う。
 一度だけ、おそらく翻訳ソフトを使って英語音声を流してくれたこともあった。このへんはたぶん、対応者によって違うのだと思う。向こうからしたら「なんでわからんねん」と思ってたと思う。

ご飯

 当時ネットで調べてみたら、賛否両論だったみたいだけど、私はかなり楽しくご飯を食べていた。というか、外部からの刺激がご飯かPCR検査しかないので、それしか楽しみがなかった、というのが正しいかも知れない。
 どれも温かい状態で提供してくれていたし、味付けも結構好みだった。ただ、分量が多いし、運動もできないのに3食たべるのはちょっとしんどかったので結構残してしまったので、毎回残りを廊下に出しておくのが申し訳無かった。

朝食はおかゆ+蒸しパン、餃子、卵など
1日1個、多分朝食についてきた飲み物
飲まないと溜まる

その他、感想

 最初の3日は結構緊張していたが、4日目くらいからはかなり隔離生活に順応していたと思う。PCR検査で陽性がでなければ何も起こらないし、危険もないし、3食が保証されている。もともとインドアの私にとって、気晴らしに外に出られない以外はかなり快適な空間だった(電話除く)。最後の2,3日は「もう終わっちゃうのか……」という寂しさも少しあった。

 それにしても、隔離されている側も大変だが、隔離している側、というかそれに実際に対応している側も大変だったと思う。感染リスクがあるなか、海外からやってきた言葉もろくに通じない外国人と日々接するというのはしんどかったんじゃないだろうか。いろいろ対応してくれた人たちには、丁寧な感じの人もいれば、雑な感じの人もいたけど、とにかく感謝しかない。

 無事隔離期間を終えたあとは、最後に荷物を消毒してもらってホテルの外へ。夕方近かったけど、陽の光がちょっとまぶしかった。


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